5.
サンデリアーノ邸の中庭で、テオドールは何度目とも知れない溜息をついた。
彼の見上げる先には、アイビーの部屋に続くテラスがあった。木を伝い、壁を登り、アイビーの部屋へ忍んで行くのが、このごろの彼の日課だった。
アイビーのもとへ行かなければ、わざわざ理由をつけてサンデリアーノ邸に泊まった意味がない。
だが、押してダメなら引くべきだ。
セオリーだとわかっていながら、今宵もアイビーに会わなければ、眠れはしないと思う。
と、何処かで見回りの私兵らしきものが誰何する声が響いた。
きゃぁと小さく響いた声に、眉を顰める。
声の方へ近づくと、アイビーと侍女がいた。
「脅かさないで!」
ふくれた様子のアイビーが声をあげる。
「どちらへ?」
「温室よ」
「ではお供を・・・・・」
「ダメよ!」
強い口調に、なんだか嫌な予感がした。
「今日は私の誕生日ですもの。月光花の花を見に行くのよ」
「はぁ・・・・・」
わかったような、わからないような曖昧な声に(あたりまえだ)、とっておきの秘密を打ち明けるような顔をして、アイビーが微笑んだ。
「知らないの? 月の光の中でしか咲かない魔法の花よ。お誕生日の日に、この花が咲くのを見ると、お願い事が叶うのですって。でも、お願い事をしている姿を誰にも見られてはダメなのよ」
だから、付いてきてはダメよ?
念を押して、アイビーが歩きだす。
アイビーの姿が茂みの陰に隠れたのを確認して、後を追おうとする仕事熱心な兵士に合図を送る。
「必要ない」
「こんな時間にどうされたのですか?」
「散歩だ」
僕の後ろを見て、常に付いている護衛がいるのを確認すると、兵士は静かに頭を下げて反対方向へと歩きだした。
◇
温室の前を通り過ぎ、庭の外れの蔦に覆われた壁の前で、アイビーは手提げ袋から何かを取り出した。
庭へ花を見に出てきて、なぜ手提げ袋が必要なんだ?
また馬鹿げた呪いだろうか?
兄上よりも、母上よりも、アイビーと一緒にいた時間は長いはずだが、未だに彼女の思考回路は理解できない。
アイビーが十一、二歳くらいのころ、恋人ができる呪いだとか、恋が叶う呪いだとかで、夜中の庭園で白い薔薇の花を探したり(そもそも白薔薇の花園ではないから、そんなものあるはずがない)、夜明けの薔薇の雫(なんなんだ、それは?)を探して、一晩中薔薇園で薔薇を眺めていたことがあった。
薔薇園に敷布を敷いて寝そべり、一晩中アイビーのおしゃべりに付き合っていたことを思い出して、思わず微笑みがこぼれた。
あのころのアイビーは、可愛いお気に入りの従妹だったはずなのに。
結局、いつの間にかアイビーは眠ってしまい、薔薇の雫とやらも見つからなかった。
かちん、と金属の合わさる音がした。蔦に隠されるようにしてあった木戸が、きぃと軽い音を立てて開き、庭の香りとは別の、夜の王都の空気が流れ込む。
「何をしているんだ!」
思わず叫び、振り返ったアイビーが顔を顰めた。
「あなたこそ,こんなところで何をしているの?」
「質問に質問で返すのは感心しないな。もう少し大人になったらどうだ?」
アイビーの手から鍵を取り上げる。
何を考えているんだ、この魔女は?
・・・・こんな夜中に?
・・・・・・誰に会いに?
どす黒い何かが沸き上がってきて、乱暴にアイビーの肩を掴んだ。
「もう少し自分の立場をわきまえろ! 君はいつまでも甘やかされた子供のままだ!」