3.
テオドールが広間に入ったのは、ちょうどアイビーとニコロスが三曲目のダンスを踊っていた時だった。
ぴったり抱き合うように踊るふたりは、教本よりもいささかくっつきすぎだ。
さざ波のように広がる小さな囁きが、今日のアイビーの様子を逐一教えてくれる。
アイビーに、もっとサンデリアーノ公爵令嬢としての自覚を持てと注意するべきだろうか?
ニコロスと何かを囁きあい、くすくす笑うアイビーが、次の曲を踊り始めた。
四曲目?
四曲目だと!?
僕がここにいることに、彼女は気づいているだろうか?
もちろん、そうに決まっている!
アイビーは僕を苛立たせる天才だ。
可愛い顔で、無邪気な笑顔で僕を貶め、罪悪感で堪らない気持ちにさせるくせに、僕が正そうとすると、そんなことは望んでいないと突っぱねられる。
この一年、毎日がその繰り返しだった。
どうしてアイビーとこんなことになったのか、今でもよくわからない。
ただ、温室で泣いているアイビーを見たとき・・・・・。
もちろん、アイビーの名誉を守るためにも、そのまま結婚を申し込んだ。
気楽な第二王子として好き勝手にしていても、手を出してはいけない相手くらい心得ているし、アイビーはキスの先に何が起きるのかすらわかっていなかった。
僕を拒まなかったのは、僕を信じていたからだ。
サンデリアーノ公爵には、二年ほど前に、内務間を通してアイビーとの結婚の打診をしたことがある。母が婚約者候補の令嬢たちを次から次へと連れてくるのが面倒だったのと、最有力候補がエレノアだったからだ。
淑やかで控えめなエレノアは理想の妻になるだろうが、アイビーを選んだのはちょっとした反抗心だ。
公爵には「アイビーが成人したときに望む相手がいるならそれが理想だ」と言われ、保留にされた。国の成り立ちからか、(シャハールの初代皇帝は天女と恋に落ち、祖国の王位を捨て、国を捨て、神々の試練に打ち勝ち、シャハールの王となったと伝えられている)『真実の愛』好きのシャハールでは、自由恋愛は珍しいことではないため、それを受け入れた。
母のお気に入りのアイビーに打診したことで、母も静かになった。
テオドールにしてみたら万々歳だ。
だが、去年、まさかアイビーに断られるとは思ってもみなかった。
アイビーが僕を憎んでいることは知っている。彼女の純潔を奪い、その後もずるずると後ろ暗い関係を続けているのだから当然だ。けれど言い訳をするのなら、アイビーは僕を相手に誘惑の真似事をして面白がっている性悪女だ。
僕には、アイビーと結婚する以外の選択肢など、残されていないというのに!
また罪悪感が胸を刺してきて、その痛みを押さえつけるように、楽しそうに踊るふたりに眉を顰める。
思えば、僕は子供のころからアイビーに振り回されていた。
子供のころから、アイビーの面倒を見るのは、なぜか僕の役回りだった。
僕と同じ年のエレノアは、淑やかで内気な少女で、叔母や母の傍らで、にこにこ笑いながら日長一日、読書や刺繍をして過ごしていた。八つも年が上だった兄は、あのころから次期皇太子としての責務に忙しく、息抜きにふらりと現れて、おいしいところだけ持っていった。
そして、アイビーは・・・・。
アイビーに乗馬を教えたのも、ダンスを教えたのも兄上かもしれないが、(アイビーがそう主張するのだ)その練習に付き合ったのは僕だった。
木から降りられなくなった子猫を助けようとして木に登り、そのまま落ちたアイビーを助けたのも僕だ。ちなみに子猫はそのまま逃げていき、アイビーを危険な遊びに付き合わせたと怒られたのも僕だった。
城のどこかに飾られていた黄金の魚の置物を池に逃がして大騒動になったこともあった。今では池の中に飾られているその魚で釣りの真似事をして、危うく溺れかけたこともある。
それを助けたのも、当然、僕だ!
それなのに、シャハールの海の色の瞳をした魔女は、僕が不用意に言った一言で大泣きし、それ以来、冷たい目を向けるようになったのだ。
あんなに懐いていたくせに!
まだ終わらないのか、この曲は?
可愛らしいアイビーの顔が夢見るように微笑んで、ニコロスを見ている。何かを耳元で囁き合うほど近づくのは、三曲以上云々よりもルール違反だ。
この場で小言を言えば、アイビーは益々反発するだろう。
だが、いい加減、もう少し大人になり、彼女の名誉と僕の体面を考えてもらいたいものだ。
魔女への求婚は、この一年、上手くいかず、初めのころは数日おきに人目を忍んで会いに行っていたのが、今では毎日アイビーを追いかけている。
当然、気づいている者も多いだろう。
これ以上、僕にどうしろというんだ?
見つめ合うふたりを見ていると、違う可能性が頭をよぎった。
無邪気で無垢だったアイビーが、もしも、本気でニコロスを想っていたら・・・・・。
再び罪悪感が頭をもたげて、刺すように胸が痛んだ。
やっと踊り終えたアイビーが笑いながら歩いてくる。
アイビーの笑い声は透き通った鈴の音のようで、広間のざわめきの中でも、彼女の声だけは聞き取れてしまう。吸い寄せられるように手首を見て、また、胸が痛んだ。
もしも僕が奴なら、他の男と寝たアイビーを許せるだろうか?
シャハールの海の色をしたアイビーの瞳がテオドールを認め、その顔が喜びに輝いた。
そして、
「レオ兄様!」
真っ直ぐにレオナルドの腕の中へ飛び込み、無邪気な笑い声をあげた。
魔女め!