2.
遡ると、シャハール帝国の始祖に行き着くサンデリアーノ公爵家は、帝国の最も古い家系のひとつだ。今は亡きサンデリアーノ公爵夫人は、現シャハール皇帝の妹にあたる。
シャハールの薔薇と呼ばれた美しいプリンセスと、若かりしサンデリアーノ公爵の家名と国をかけたロマンスは、純愛好きのシャハールの民を大いに沸かせ、未だにふたりのロマンスをなぞった歌劇が公演されている。
けれど、美しいプリンセスは早逝し、公爵には直系男子がいないため、長子のエレノアが公爵家を継ぎ、アイビーは五大家と呼ばれる始祖の時代から続く公爵家のいずれかに嫁ぐだろうというのが、大方の見方だった。
そんなに簡単に思い通りになってたまるものですか。
ふふっと笑うと、アイビーの傍らに立っていたマグノリア侯爵家のニコロスが照れたように笑いかけた。
ニコロスは、アイビーが侍らせている取り巻きのひとりだ。
取り巻きにも色々な種類がいて、結婚しろとせっつく口煩い輩からの逃げ口上にアイビーのご機嫌伺いをしている者、サンデリアーノ公爵家との繋がりを求める者、アイビーの莫大な持参金が目当ての者・・・・。
この中に、本当にアイビー自信を好んでいる者がいるのか、十七歳になったばかりの彼女には、まだわからなかった。
でも、少なくともひとりはお友達がいるわ。
ニコロスは父親に言われてアイビーのご機嫌伺いをしていたのだが、意外なほどふたりは気が合い、今ではうっとおしい取り巻きを避けるためや、ただ踊りたいときに付き合ってくれる数少ないお友達になっていた。
「踊りたいわ、ニコ」
アイビーがニコロスの手を引くと、彼が贈った金鎖と銀鎖を組み合わせたブレスレットがしゃらしゃら音を立てた。今朝届いた誕生日プレゼントの中で、一番アイビーの気に入ったプレゼントを贈ったのもニコロスだった。
小さく響く涼やかな音色が、夜明けから続いているうんざりする気持ちを晴らしてくれるような気がして、それを口実に、今日はニコロスと一緒にいる。
せっかくの誕生日に、聞きたくもないおべっかを聞いて、うっとうしいだけの相手と踊るなんて、考えただけでもうんざりするもの。
くすくす笑ながら、ワルツの曲に合わせてくるくる回る。
遥か遠い北の国、『天女の血を継ぐ国』から嫁いできた祖母譲りの深い瑠璃色の瞳と輝く金の髪。滑らかな象牙色の肌をしたアイビーは、褐色の肌と黒髪の民が多い南国シャハールでは珍しく、そこにいるだけで華やかな彩を添えていた。
その容貌と可愛らしさから、春の妖精とも呼ばれるアイビーも成人を認められる十七歳となり、誰が彼女を射止めるのかが、今春のシャハール社交界の注目の種だった。
アイビーが回るたびに、シャハールの海を思わせる深い瑠璃色のドレスが波のように裾を揺らす。
右の頭頂部で緩く結い上げた金の髪に編み込んだ真珠が、シャンデリアの光に煌めいて『春の妖精』から、大人の女性へと変わろうとしているアイビーをより可憐に見せていた。
四曲目の曲を踊り始めた時、ニコロスが驚いたようにアイビーを見つめた。
未婚の女性は、婚約者や兄弟以外の相手とは、続けて三曲以上は踊らないのがシャハール社交界のルールで、アイビーは続けて二曲以上を誰とも踊ったことがなかった。
小さな囁きが交わされ始めたのに気づかないフリをする。
四曲目を踊り終えて、
「疲れちゃった」
と笑うと、ニコロスもアイビーを見つめて笑った。