プロローグ
初めての投稿です。至らない作品ですが、読んでいただけると嬉しいです。
短編で考えていたのですが、少し字数が多くなってしまったので分けてみました。
校舎の木陰のベンチで、二人の令嬢が仲睦まじく座っていた。
一人は蜂蜜色の髪に勿忘草色の瞳をキラキラと輝かせた小柄で可愛らしい少女。表情がくるくると変わって見ているこちらもついつられて表情豊かになってしまう。
もう一人は、薔薇色の髪が緩くウェーブし、琥珀色の瞳をした落ち着いた美しい少女だ。いつもは貴族らしく毅然とした表情の多い彼女が、緩く口元をほころばせている。
彼女たちはなにかを言い合っては、二人で頬を緩めてクスクスと笑っている。
きっと、何を話していたの?と聞いても二人の答えは一緒だろう。
『秘密です。』と。
令嬢としては失格であろう、あの眉をへにゃりとした柔らかな笑顔で。
木が風に吹かれざつくと、幾筋かの光が彼女たちの足元に落ち、その光景はあまりに美しかった。
そして今はもう見られないと知っているから、ひどく悲しかった。
ああ、これは夢だ。
あの幸せが一生続くと信じていた頃の。
バチッ!
暖炉で燃やしていた木が爆ぜた音で、ハッとした。
うたた寝してしまっていたらしい。
目の前には先程まで目を通していた領地の書類が並んでいた。
「昨日も遅かったですし、お疲れでしょう。少しお休みなさっては?」
控えていた家令のアルがそう声をかける。
「いや、収穫祭も近いし、ここのところ他に手を取られ普段の仕事が滞っていたからね。もう少しやることにするよ。」
そこにノックの音が控えめに響く。
アルが扉を開け対応する。
書類に目を通しながら、ふと、先程まで微睡んでいた懐かしい頃の思い出に思いを馳せた。
もうあれから10年が経ってしまったのか……。
あの、婚約破棄した頃から……。
「旦那様。お客様がお見えだそうです。」
「客?今日は来訪の予定は無かったはずだが?」
「はい。」
「断ってくれ、今日は午後からも用事が詰まっている。それくらい、アルだってわかっているだろう?」
ばさり、と既に確認済みの書類を机の右側に積み上げる。アルにしては気の利かない対応に、少し不満を態度に出す。
「奥様のご友人だそうで。」
「レティの?彼女は今、別荘にいる。訪ねてくるほどの友人なのに知らないのか?胡散臭いな。」
「赤髪の女性で……、"悪役令嬢"と名乗っているそうです。」
ガタンっ!
"悪役令嬢"
そう聞いた瞬間に、私は椅子から勢い良く立ち上がっていた。
その言葉には聞き覚えがあった。
私が婚約を破棄した彼女が、目を伏せながら
『私は悪役令嬢だから』
と言っていたことを覚えている。
「本当に、彼女がここに?」
"彼女"と言ったその人を、アルは思い浮かべてくれたらしい。
「恐らくは。」
いつも無表情のアルが、懐かしいような、困ったような、そしてひどく嬉しそうに頬を綻ばせた。
「彼女を応接室に。彼女は、シア産の茶葉を好んでいた。少し熱め、濃い目に淹れてもてなしておいてくれ。ああ、ミルクと黒糖も。アル、大切なお客様だ、君がついていてくれ。私はすぐに用意して行くから。」
アルは、いつもより少し長く頭を下げ、畏まりました、と言って部屋を出て行く。その黒曜石の瞳が、少し潤んでいたのは、気のせいだろうか。
いや、アルは彼女の人柄を慕っていた。
酒を飲める年になり調子に乗った私が、同席を拒むアルに半ば無理矢理に付き合わせ、杯を交したとき。
酔ったアルは、彼女を素晴らしい女性だと褒め称えた。見目の美しさだけでなく、彼女の本質を捉え、この国の至宝だと賛美した。
そして、私の、王位継承者の配偶者として、誰よりも相応しい、と。私と彼女が治めれば、きっと素晴らしい治世に成るだろうと。
夢のように、うっとりと語った。
そして、私の知る限り人生でただ一度、前後不覚になるほど酔った彼が、机に伏せ弱々しく呟いた。どうして彼女がご主人様の婚約者なのか、と。
それ以上の言葉はなかったけれど、彼はきっと、彼女を愛していたのだ。私のそばで、私とともに彼女を支えられることを喜び、望んでいたのだと、今なら分かる。
そう、私はそのころ王位継承権を持ち、次期国王として望まれていた。そして、彼女は誰よりも王位継承者の配偶者候補として相応しい令嬢だった。
ただ、
私が、王に相応しくなかったのだ。
私は着替えて彼女のいる応接室に向かう。
逸る気持ちはあるが、どこかで少し彼女に会うことを躊躇う気持ちがあった。
君はどうして、あんな行動を取ったのか?
君はなぜ、今になって姿を現したのか?
君は元気でいるの?
それでもずっと、私は君の顔が見たかったんだ。
ガチャリ
開かれた応接室で、彼女がこちらを振り向く。一瞬のことなのに、スローモーションのようにすべてゆっくりに見えた。
振り向く際の彼女の髪がふわりと揺れ、紅色の軽くウェーブした髪から、朝露がのった薔薇のような瑞々しい香りがした。
ああ、本当に。
ずっと、ずっと会いたいと願っていた、彼女だ。
ヴィオレッタ……!
私は足早に彼女の元に駆けつけ、その足元に跪いて彼女の手をそっと取り、口付ける。
「まぁ、大袈裟ですわ。ローシェ様。」
ヴィオレッタの表情に似合わない、少し高い鈴のような声でそう告げる。
あの頃と変わらず、誰の目も惹きつける美しさだった。記憶の中の彼女となにも変わらない。
ただ、周りの目に負けぬように、誰にも弱さをさらけ出さぬように張り詰めていたあの頃の空気はなく、表情は柔らかく、落ち着いた雰囲気だけが、年数を重ねたのだと教えてくれる。
「久しぶりだね、ヴィオレッタ嬢。」
少し、声が震えた
「ええ、本当にお久しぶりです、ローシェ様。」
「相変わらず、君は美しい。……神に感謝するくらいに。」
その言葉に、ヴィオレッタは目を丸くしたあとに、クスクスと笑い出す。
「ローシェ様は、お世辞がとてもお上手になられたのね。」
ああ、ヴィオレッタだ……!
本物の、彼女だ!
右眉を少しだけ顰めて、彼女は我慢できないように笑い出す。
あの頃、レティとずっと笑っていたときの笑顔と同じ。
懐かしさに胸が締め付けられ、目頭の奥がつんとした。
彼女が今目の前にいることに、改めて神に感謝を捧げたい気持ちだった。
「さぁ、ヴィオレッタ、座って。」
私は彼女の手を取り、ソファまでエスコートした。たった、数歩しか彼女をエスコートできないことが残念だったが、それでも彼女を斜め上から眺めることができて幸福感を覚えた。
ソファにつくと、アルが私にもお茶を用意してくれた。シア産の茶葉は特に香りが良く、芳ばしい香りが部屋に広がる。
彼女の髪色のような、美しい紅のお茶を目にしながら、さて、なにから話したものか、と悩んでしまう。
ちらりと彼女を盗み見ると、ふんわりと、まるで昔レティと笑いあっていた時のように微笑んでこちらを見ていた。
「ヴィオレッタ……、もし君が許してくれるなら、昔のようにヴィオと呼んでもよいだろうか。
あ、いや、それは虫が良すぎたか、すまない、気の利かないことを言った。」
言った後で、慌てて取り消す。私と彼女が親しかったのは、もう10年も前のことだ。
「ふふ、そんな慌てなくても。
もちろんです、以前のように変わらずヴィオと呼んでくださるなら、嬉しいです。」
「……ヴィオ。あの後、元気でやっていたの?私は、君をずっと探していた。けれど、手がかりもなく、君の行方が掴めなかった。」
「ええ、ずっと元気でしたよ。風邪くらいは引きましたけど。
……ローシェ様が探してくださっているのは知っていました。けれど、私はお会いするわけにはいかなかったんです。私は、レティを害してしまったから、合わせる顔なんてなかった。」
それは、まさに私がずっと聞きたかった核心だった。
ねぇ、何故君はあの時、私の目の前であんなことをしたんだ?
その答えを知りたくて、ずっと、ずっとずっと君を探していた。
あの時の君の思いを、今日こそ、聞かせてほしい。
さぁ、君が悪役令嬢だった頃の話をしよう。
読んでいただき、ありがとうございます。