エデンの遺産
「行ったな…あいつら」
「ああ…無事に戻ってきてくれたらいいけど」
リンゴと王と、人間とイヌとスライム。この地の残り火はそれだけだった。絶望の中の一筋の光明ともいえるが、どれだけ眩く光っても死者は目を覚まさない。溶けきったロウソクに、火は灯らないのだ。
「アプリ…いや、ラル、僕はあの子に会って、疑問に思ったんだ。殺意もあの子も同じ人間なのに、どうしてこうも違うんだろうって」
「ああ、俺も正直さっぱり分からない。いくら人間がEXPで破壊的衝動に駆られると言っても、あそこまでイカれちまうとはどうしても思えねえんだ」
(身も蓋もない話だが…)
アプリは知っていた。殺意の血液で、密かに行っていた研究ーーーなぜ人間とモンスターで、こうもEXPに対する反応が異なるのか。
そもそもモンスターと人間では、成り立ちが違う。元々獣だったモンスターは、進化を続け、生物の規範から逸脱した人間とは、根本的に異なるのだ。
EXPに対する反応においては、アドレナリンーーー危険を回避するために、生物が咄嗟に大量分泌するホルモンーーーによってもたらされる影響に、その差異が表れる。
その人間は危険を自らの力でねじ伏せる、『闘争』で回避するのに対し、獣は『逃走』のために、その興奮物質を分泌する…人間の強力なアドレナリンは、EXPを別の物質に変異させるのだ。
(その名もAXP…Awakening en X Power)
未知なる力を目覚めさせるもの。
この変異によって、アスフは先程理性を失わなかったのだと思われる。スライムも元々獣でないから、アドレナリン云々は関係ないのだ。
(しかし…アドレナリンの分泌は一時的なもののはずだ。どうして殺意はいつまでもあの状態を保っていられるんだ…?)
アプリーーーラルは、殺意の背後に潜む別の存在を感じずにはいられなかった。いや、本当はそれが何かも、なんとなく分かっていたのかもしれない。
「結界が…粉々に破壊されている」
視認できない僕らにはその様子を知ることはできなかったが、今のジャックの言葉なら信じるしかない。
「エレスは…この先にいる。なんとしても、彼を救い…戦いを終わらせる」
そう言って、心なしか歩幅を広げて歩くジャックに、後ろからついて行く。
結界の奥は、前と変わらない。中心に大きな岩がぽつんと置いており、その奥には大樹が根を張っている。
僕は、結界と森の敷居をまたいだ。
景色が変わった。
ドクダミの花畑に1本だけ大樹が生えた、ひたすらに光が広がる世界。
「やっと会えたね」
美しい少女が、大樹の腕に腰掛けている。世界が時間を刻むことを放棄したかのように、その周囲はどこか浮世離れしたオーラを纏っていた。
「ごめん、思ったより結界を維持出来なかった…どうやら、彼はずっと前から結界に穴を開けていたみたい」
「君は…?」
「私はノア。この世界の神様だよ」
息を呑むほど美しい旋律、俗世から切り離されたかのような異質な存在感は、神であるから。それで全て説明がつく。しかし、納得がいかないことがひとつあった。
「神様のくせに、殺意に負けたのか?」
「…神様っていうのはね、全能じゃないのさ。ただ、力を与えられただけ…私もね、もともとただの人間だったんだーーー」
僕に、走馬灯のように、明確で体感的なイメージが流れ込む。フラッシュバックを繰り返し、脳内でバチバチと火花が散る。やがてその全てが収束し、僕はこの世界の成り立ちを知った。
「寒い…」
極寒の氷雪の大地で、少女は凍えていた。世界も凍えていた。
「助けて…」
少女は手を伸ばす。しかし誰も来なかった。
数年前から、この世界は熱と光を徐々に失っていった。先進的な文明が作られ、この世界のエネルギーが大量に消費されたことが原因とされている。森の中の動物達は洞窟に篭もり、地面に潜った。人間は限られた食料を巡って争った。やがて、この世界の生命はかつての0.4パーセント…それ以下まで減った。
この少女も、運良く生き残ったその中の一人だったが、両親とはぐれ、生きる術を失った。
「私…死ぬんだ」
少女は絶望を知り、希望を捨てた。
『君は死なない』
どこからか声が聞こえた。否、どこからではない。自分の頭の中で声が響いていた。
少女は天を見上げた。純白の体と大きな翼を持った生き物が宙を舞い、自分の眼前に雪を少しだけ撒き散らせながら、しなやかに着地した。
『私は神の使い。世界の管理者の代理として、貴様に頼みがある』
「なあに?」
少女はもう凍えていなかった。頬は少し赤みを取り戻し、美しさに磨きをかけた。
龍は金色の瞳で少女の目を見据えた。
その時、少女は理解した。この世界の仕組みを。
かつて世界は闇だった。
世界は闇から忽然と生まれ、また闇に消える。
ある時、創造主と呼ばれる存在がこう言った。
世界に光あれ。
たちまち世界は光を知り、光によってその姿を確立した。
創造主は世界に光を与え続けた。しかし、無数に生まれる世界の全てに、自分一人で火を灯すのは無理だと悟り、ある存在を創り出した。
龍である。
幾千幾億…いや、数字で数え切れないほど生み出された神の使いは、世界に光を与える代役を、見事にこなして言った。
しかし、世界は単純ではなかった。
ほんの一握りのわずかな世界は、光を消費し、闇に飲まれ、そのバランスを失って消滅する。つまりはその寿命を急激に減らしてしまうのだ。
その場合、また光を与えなければならないが、龍は二度、直接世界に干渉することはできないのだ。
闇に飲まれた生まれたての世界と違い、光の存在する世界に龍が光を放つと、世界は逆に光に包まれ、飲まれ、消滅する。
そこで創造主はある案を考えた。それは、それぞれの世界に管理者を置こうというものだった。
基準は、エデンーーー闇を母とし生まれた世界の始まりの地。あるいは世界の中心で生まれた無垢なる少女であること。
そうして選ばれたのが、ノアだった。
ノアは神の力を与えられた。その力を使い動物に心を与え、それらの協力のもと、エデンの地下に新たな世界を作った。
エデンの園。彼女はそう名付けた。
言葉を話す獣と、人間が手を取り合って生きる世界。
ノアは世界に少しずつ光を戻しながら、平和な日常を慈しんだ。
しかし、ある事件が起こったのだ。
人間があまりにも増えすぎて、地下の畑だけでは賄えなくなったのだ。
エデンの園を広げることも考えた。しかし、これ以上広げると崩れてしまう危険が高まる。
こうして食料不足を改善することが出来ず、いつしか人間は空腹で凶暴化した。
獣を襲い始めたのだ。
ノアにはどうすることも出来なかった。生物に対する直接の力の行使は禁忌であったのだ。
彼女には大量の力を消費して龍の複製を作ることで、その禁忌を回避しつつ、危険を回避する手段があったのだが、それを放てば人間が全て死ぬと分かっていた。彼女にとっては人間も獣も、どちらも大切な家族だったから、自分でそのどちらかを選択することは、あまりにも残酷なことだった。
そして、彼女は禁忌を犯した。
ある一匹の獣に力を与え、地上に逃がしたのだ。
そもそも禁忌とは、世界のバランスを保つために作られたルール。生物に力を与えるというのは、神の力をのさばる悪党に悪用されてしまい、結果としてその均衡を失わせることに繋がる危険性があった。
その獣は案の定文明を回復した地上のある研究施設に幽閉され、その神の力を知性のある人間が手にしてしまったのだ。
禁忌を犯した彼女は、エデンの園に縛り付けられ、永い眠りに落ちた。
いわゆる終身刑というやつだ。その上彼女の命は世界が無くならない限り失われることは無い。彼女は、永遠にこの世界で眠り続けるかに思われた。
しかしある日突然、少女は目を覚ました。
自らの力に共鳴する存在を感じ取ったのだ。
それが、ルーだった。
ノアはルーに力を与えた。モンスターたちの姿を、かつての獣たちと重ねていたのだ。もちろん禁忌だが、既に罰を受けていたから関係ないと判断した。
ルーはその力で地下世界に緑を蘇らせ、モンスターたちに希望をもたらした。引き換えに未来に絶望を残した。それが今である。
ーーー神の力は、歪んだ形で世界に蔓延する。
人間は、その力を増大させる手段を開発した。が、それは忌まわしき神への反逆と同義であった。
やがて人間は報いを受けることになる。
神以外の者が、神以外の力でそのエネルギーを無理に引き上げたことで、光と真逆の半物質ーーー世界の母たる闇までも創り出していることに、矮小な人間たちは気づいていない。それも光よりも遥かに多く。
そうして造られた人工的光のエネルギーを、脚色された伝説をもとに人間達はこう呼ぶ。
エデンの遺産。と。
そして、その遺産の暗黒面を具現化した存在がエレスーーールーの半身だった。
地上は闇に飲まれ、地下世界は光に飲まれた。
エデンの園という光の世界は、エレスにとって地獄そのもの。闇を生み出すエレスはモンスターたちに迫害され、行き場を無くし、やむなくルーに挑む。ルーは力を失い、自分は自らの肉体をバラバラにされ、同じように力を霧散させた。それはエデンの園を漂い、モンスターの肉体に宿った。
その後、わずかな闇の力と魂だけになったエレスは、氷瀑の森から地上に出た。闇に大きく傾いた世界は、エレスにとって素晴らしい楽園だった。
そうして力を吸収し、エレスはその力を取り戻した後、彼は運命的な出会いをしたのだ。後に殺意と呼ばれることになる、一人の人間の少年に。
エレスは少年の体を借りて、エデンの園に舞い戻った。氷瀑の森の天井から。
彼は、復讐心のままに虐殺を続けた。かつて自分に与えられた痛みを植え付けるように。
僕はゆっくりと目を開けた。大量の情報を処理した後だが、脳はオーバーヒートを起こすこともなく、静かにこの状況を受け入れていた。
『アスフくん。このままじゃ、この世界がなくなってしまうんよ。エデンの園を救っても、世界が闇に耐えきれなくなる』
「僕は…どうしたらいい?」
『エレスを救って。世界に光が戻すことは簡単さ。だけど、エデンの園には闇が必要なんよ。わずかな均衡の乱れが、世界の命運を分ける。少しのズレも許されない』
少女は白く長いスカートをはためかせながら、ふわふわと僕の前まで飛んできて、両手を握ってこう言った。
『君だけが頼りなんだ』
また景色が塗り替えられた。岩と大樹の空間に、僕は戻ってきたのだ。
「ポッキリ族たち?いるかい?」
ジャックが聞き覚えのある単語を唱えた。
(なんだったか…)
僕は記憶を探るが、結局思い出せなかった。諦めてジャックの視線の先を見る。
大樹の後ろから、手足の生えた枝がにょきっと顔を出した。手を前に出して、とてとてと走る。岩の横に立って、こちらにぺこりと頭を下げた。それから枝は後ろに振り返って片手を振り回した。
直後、大量の枝が大樹の後ろからゾロゾロと現れ、岩の周りを囲んだ。
「久しぶりだね…みんな、頼むよ」
ポッキリ族は頷いた。正確には、枝がゴムのように曲がったのだ。ポキッという音は出さなかった。
彼らは手にあたる細い枝を一斉に岩に向けた。
岩は色を失い、透明になり、やがて消えた。
思い出した。スライムの城の地下で見た、透明の剣を作ったという謎のモンスターだ。
(ポッキリ族…イメージ通りだったな)
ポッキリ族は仕事を終え、大樹へと帰っていった。そしてジャックがおもむろにこちらを振り返った。
「この先に、エレス…もとい、殺意がいる。準備はいいな」
僕とライムは顔を見合わせ、意を決して頷いた。
岩の下に隠されていた階段を下っていく。やがてたどり着いた地下の地下は、冷気に満ちた氷の世界。
さしずめ天然の冷蔵庫といったところだろうか。
光と闇が混濁した、混沌の空間。ここが最後の戦いの地となる。
突然、身の毛がよだつ程の冷たい殺気を感じ身構えると、赤い目をした人間が、赤々とした料理用ナイフを僕に振り下ろさんとしていた。
白刃取りの要領で、僕はなんとか直撃を免れる。あまりの衝撃に地面の氷が抉れ、突風が巻き起こる。
「久しぶりだね、マイブラザー」
躊躇いなくナイフを押し付け続ける。
「僕の兄貴を返せ、エレス」
「なんだ知ってたのか、面白くない」
そう言って、殺意はさっと距離をとる。
ライムはロングソードに変身し、僕はそれを握った。
「いけるか、ライム」
「心配すんな、スライムは無敵だ」
同時に地面を蹴った。
お互いの得物が衝突し、空間にそのエネルギーが、風となって表れる。
目にも止まらぬ連撃だった。斜め切り、垂直切り、振り下ろし、回転斬り、水平切り…技後のディレイは全くなく、攻撃が防御の仕事を奪っている。赤い目をもつ兄の顔は、常に笑っていた。
対して僕はもちろん専守防衛。恐ろしいまでのスピードだったが、引き上げられたレベルと殺意の力で、なんとか対応出来ていた。
殺意の赤い目に対し、アスフは蒼い光を宿す。蒼炎の如く冷たく激しい生命の焔そのものだった。
実力は互角。体力戦に持ち込まれると思われたが、結果として、実力とは無関係のところで、その差は大きく広がるのだ。
ミシッ…殺意のナイフが悲鳴をあげた。数多のモンスターを葬り、その返り血を浴びたナイフは手入れなどまったくされていない。その上ただの料理用ナイフである。ライムのロングソードとは月とスッポンともいえよう。
ようやく殺意の顔に焦りが見られた。
一瞬の技の遅れを見逃さなかった僕は、殺意ではなく、そのナイフの腹をロングソードの刃でぶっ叩く。
半ばからその半身を無くしたナイフは、音もなく氷の壁に突き刺さった。
僕は間髪入れずポケットの注射器を取り出し、剣を握っていない左手で殺意に飛びついた。
しかし、殺意は笑っていた。
その背後から、赤い目を持つ闇ーーーエレスが顔を出し、ホースから流れる水のように飛んでいく。僕はそのまま兄に注射器を刺し、薬品を投与する。
兄は既に意識を失っていた。
「一体なにが…」
「アスフ!!!剣を捨てろ!!!」
ジャックが大声を出した。
右手に掴んでいたロングソードーーーライムに禍々しいオーラが宿っている。剣は宙に浮かび、身体の構造を変えていった。
ひたすらに大きくなっていく。その巨大化は、天井から5メートルほどのところでやっと止まった。
現れたのは、黒い龍。
かつて光をもたらした龍とは、似て非なる…真逆の存在だった。
『愚かだね…スライムはもともと俺の身体だったんだよ。わざわざぴったりのものを探してきてくれるとはね』
龍は僕の脳内に直接その声を響かせた。
直後、龍は頭を真上に上げ、その長い口を開いた。そこに黒と紫を混濁させた禍々しいボールが生成され、エネルギーを集中させた。
一瞬だった。
漆黒の波動は僕の身体を飲み込み、向かいの壁まで一瞬で吹き飛ばす。
ロウソクは、溶ける間もなく焼き消された。
「こんなことになるとは…」
ジャックは膝をつき、その様子をただ見ていることしか出来なかった。
『ルー…悪いけどお前らに勝ち目はないよ。この世界のほとんどはもう闇に飲まれている』
「黙れぇッ!」
ジャックの身体が光に包まれた。その体は眩い鎧を纏い、巨大な鳥へと変化する。
目にも止まらぬスピードで、黒い龍の体に傷をつけていく。しかし傷は浅く、まるで効いていない。
『君たちは報いを受けたんだよ。犠牲の上に成り立つ平和を良しとして、光に依存したから…もう終わりだ。この世界は闇に飲まれて消える。残念だったね』
龍は咆哮し、闇を暴発させた。
鳥は羽を失い、犬に戻った。
龍はどこか寂しげにそれを一瞥した後、四肢を地面につき、闇のオーラを展開した。
闇を世界に流しこもうとしているのだ。
「うー…ん」
目を開け体をあげると、そこには黒い龍がいて、白い鳥がいて、血を流した兄弟がいた。
「アス…アス…」
全身に苦痛が広がる。体を酷使しすぎたのだ。それでもノスィはアスフの元へ、足を引きずりながら向かった。
死んでいた。
ノスは知っていた。エレスに体の支配を奪われ、魂の奥底に意識を追いやられても、自分の目を通して外の世界を見ることは可能だった。少し前は自分の身体で心を持つ獣を殺している景色が見えた。ついさっきは、自分の兄弟と戦う景色を見た。
今は自分の目で、弟の死体を見た。
「すまない…俺の…俺のせいだっ!」
俺が、あの時薬を取りに行ったから。あの悪魔に目をつけられ、結果として弟を死の世界へと誘うことになった。全て自分のせいだ。
俺は弟の体を抱き寄せた。
「すまない…すまない…」
ずっと、ずっと涙を流し続けた。しかし、アスフは灰になったロウソクだ。光を失った目には、もう焔は宿らない。
リィン…リィン…
鈴の音が聞こえた。
リィン…リィン…
次第に音は大きくなっていく。
リィン…リィン…
アスフの首から下げられていた鈴がなにかに引っ張られるように浮かび、眩い光を放った。
美しい少女が兄弟の横に立つ。
「たのむ…弟を…弟を助けてくれ…」
少女は優しく微笑んで頷いた。
ノスの目に無数の星々が映った。
その後、俺の横には眩い光の鎧を纏った弟が、その瞳に純白の…神の焔を宿し、黒い龍を見据えていた。
龍はこちらに気づき、弟と対峙した。
『神の力を借りた…?馬鹿な、ノアが人間に干渉するなど…』
弟は首から下げた鈴を掲げた。
『龍鎮の鈴…まさか…!?』
「嫌なんだ…誰かを失うこと。誰かが辛い思いをすること、誰かが悲しむこと…!それを消す力が、僕にあるのなら…!」
アスは拳に光を宿し、龍に突き出した。
聖拳突き。
左手を引き、上体を固定したまま体を捻り、エネルギーを拳に集中させ、全てを破壊する技。
こうして繰り出された拳から放たれた一筋の流星。無限の星々すら霞むほどの煌めきが、龍に迫った。
龍も負けじと漆黒のレーザーを繰り出す。
二つの光線は激突し、拮抗し、大気を震わせた。
一瞬、アスが有利に思われたが、龍は闇の力を、地上から吸収し始めた。
黒き波動は先程の数倍の大きさとなり、光の光線を押し返した。
アスはその圧力に両足を踏ん張り、氷の地面を突き破らせて耐える。
その時、アスの周囲をふわふわとしたなにかが囲んだ。
それはやがてモンスターの形となり、アスを支えた。
『なんだ…あれは…!』
アスの拳から放たれる光は徐々に輝きを増し、空間に光が満ちた。
「これがぁぁぁあああ!!!人間のぉおおおお!!!」
『モンスターの!』
「根性!執念!魂のッ!!!ちからってやつさぁぁぁああああああ!!!」
光は闇を突き破り、龍に迫った。
龍はなんとか闇を集中させ、耐えるものの、それも時間の問題だろう。
『バカな…こんなことが…』
「キミには分からないだろう、エレス。光でも闇でも、決して消すことの出来ない力。それがいきものの心のエネルギー…甘く見たね」
『ルー…!生きていたのか…!?』
「キミにずっと謝りたかった。僕は必要以上に光を行使した。調子に乗った。もともと自分だったキミを追い詰め、それでも僕は君を虐げ、傷つけ…僕は…僕は最低だ…」
「ごめん、エレス、俺達も正直馬鹿だった」
アプリが瞬間移動でルーの翼に表れる。
『ラル…』
「ごめん!エレス!」
「悪かった!」
「本当にごめんなさい!」
アスの周りだけでなく、龍の周りにも魂の影が現れる。
『でも僕は君たちを殺したんだ…後戻りなんて…』
「キミはエレスじゃない、ルーだ。僕だ。殺したことは無くならないけど、僕だってその責任を負わなければならない。僕も償いをしたい。キミと一緒に」
龍は目を見開き、闇の放出を止めた。そのまま光は龍を包み、闇が霧散した。
全てを賭けた魂の戦いの後。
少女が僕の前に降り立つ。
『ありがとう…約束を守ってくれて』
「僕は…どうしたらいい?」
『私と一緒に来て』
少女は純白の龍に姿を変え、天井に光の柱で大穴を開けた。それから僕を背中に乗せ、地上へと帰還した。
『アス…君は、山の中で家族以外の人間に会ったことがあるかい?』
「いや…ない」
『私が結界を貼っていたのさ。この山全域に。君の父さんの頼み…いや、願いでね』
「どういうこと?」
『家に帰って、直接聞いてごらんよ』
山の外は、とても広大だった。真昼だった。
僕の知っている呆れ返るほど穏やかな水色ではなく、深々とした蒼で、太陽の位置から想定される時間よりも少し薄暗い。見るからに明るさが失われかけていた。
そして、その眩しく輝く太陽と元気のない蒼空の下で息づく生命の存在を示す色とりどりの住宅と、それを反射して光る海原。そして…場違いに大きい研究施設が見える。
『お願い、私の代わりに』
僕は掌を向け、研究施設を光に包んだ。そのまま光は収束し、残ったのは白衣の研究員たち。わけがわからないと言った顔であたりを見回していた。
龍の背中に新たなモンスターたちが現れ、龍はこう言った。
『もう大丈夫だよ。キミたちは、今日からエデンの園の住人さ』
光を撒き散らせながら、龍は太陽の下で空を翔び続けた。
「エレス…いや、ルー。頼む、僕の代わりに」
ルーは頷き、地下世界に闇を流した。世界はもとのバランスを取り戻した。
龍は言う。
『世界は平等じゃない。誰かが幸せを感じた時、誰かは辛い思いをしているだろう。だけど、幸せしかないなら、それは幸せじゃない。辛い思いをするから、日常は輝き、幸せが生まれる。逆も然り、さ。だからこそ、世界はバランスが必要なんだ。犠牲のもとに成り立つ平和なんか、幸せなんか、そんなもの間違ってる。みんなで苦しみ、みんなで笑い、みんなで手を取り合って生きていく。それがきっと、一番の幸せなんだ』
僕は静かに聞いていた。それが正しいことなのか、間違っているのか、僕にはわからない。だけど、犠牲のもとに成り立つ幸せは、本当の幸せじゃない。そこだけは納得できた。
「世界に…光あれ」
僕はそう呟いた。
第8部 エデンの遺産 終