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3.くまとココアと女難の相2

セトアイラスの朝は冷たい。

薄いグリーンの空に太陽の光があふれる時間になっても、シンカは肩にかけるアルパカのショールを手放せずにいる。そのまま、朝食を食べる。

少し眠い眼をこすりながら、ニュースを報じるネットワークTVを見つめる。ブールプールは、桜が咲き始めたらしい。今年は、見られずに終わりそうだ。

ミンクは無事試験を終えただろうか。

ニキの散歩は、ちゃんと行っているのかな。ぼんやりとそんなことを考えている。

温かいパンとスープ、とろりとしたオムレツ、デザートのオレンジを平らげる頃には、シンカの頭もはっきりしてくる。

「ユージン、今日、俺宿直でいないけど、一人で大丈夫か?どこか行く予定はあるのか?」

メイドの女性と、キッチンで話をしている秘書官に声をかけた。

「はい。陛下、私は明日のカストロワ大公との会食の下見を兼ねて、こちらの政府のかたがたとお食事の予定です。」

「そうか。気を付けていって来いよ。」

ほっとする。半分仕事なのが残念だが、シンカ以外の人と遊んでくれることは歓迎する。

「陛下、本日の午後、コート・ロティの学長がお時間を作ってくださっておりますので、お手の空いたときにいつでも、学長をお訪ねください。」

「ああ、わかった。まだ、挨拶してないからな。」

シンカは、そう言ってコーヒーを飲む。

「こうして、朝からお話していますと、まるで夫婦のようですわね。」

シンカはむせた。



「お兄ちゃん、大丈夫?」

免疫治療科、第二病棟。アイリスは二つに縛った髪を揺らして、首をかしげる。そのしぐさはとても、可愛らしい。病室の小さな椅子に座って、シンカは少女のぬいぐるみを繕う。

「あら、とても器用なのね。」

アイリスの母親が、コーヒーを持ってきてくれた。

シンカは、縫い終えた糸をくるくると結んで、切り離す。

「さ、できた。」

「すごい。」

「昔ね、漁師の手伝いをしたことがあるんだ。」

「漁師?」

「海で、魚を獲っている人たちのことだよ。」

シンカは、少女に話す。

「漁師は網を使うんだ。でも、よく破れてね。これとは少し違うけど、やっぱり針で繕うんだ。」

「ふうん。お兄ちゃんはお魚獲ったの?」

「ああ。十七歳のときだ。一度、こんな大きな魚が僕の網にかかってね。青い色できらきらしていて、初めてそんな大きな魚を捕まえたから、すごく嬉しくて。でも、重すぎた。船に引き上げる途中で逃がしちゃったんだ。」

「ふうん。」

「悔しくてね。でも、漁師が言ったんだ。あの魚は、海に必要な一匹だった。だから、誰が獲ろうとしても、きっと同じだったんだってね。貴重なその姿を見られたんだから、お前は幸運だった。慰めだとは思うけど、でも、なんだか嬉しかったな。」

少女も、その母親も、目の前の、栗色の髪の青年を見つめた。その美しい黒い瞳は笑うと吸い込まれるようだ。

「僕は、その漁師に出会えたことも、その魚と同じで、すごく幸運だったと思うんだ。それ以来、どんな人や物事に出会っても、たとえばそれが、喧嘩別れに終わってしまう出会いでも、それは幸運だったんだって、思うようになった。」

「アイリスと会ったのも?」

少女が問う。

「もちろん。」

微笑み返す青年。

アイリスの母親が、そっと目頭を抑えた。


シンカは、午後、培養中の樹状細胞の様子を確認すると、培養室にこもるふりをして、そっと学長室のある最上階へ向かった。

今回の配慮に対して、礼を述べておかなくては。

最上階にエレベーターが止まると、正面に秘書らしき女性が座っている。

「お約束はございますでしょうか。」

にこやかに問われ、シンカは、頷いた。

「はい。ファルム・シ・デアストルが来たと伝えていただければ、お分かりになると思います。」

「少々お待ちください。」

秘書が学長に確認している。

「デアストル、こんなところで何をしている?」

振り向くと、ゲーリントン教授だった。ちょうど、入れ替わりに、学長室から出てきたらしい。

「教授。僕、学長に呼ばれまして。」

「お前が、カストロワ大公の援助を受けていると言うのは本当だったのか。」

シンカはにっこり笑うだけで、答えない。

「大公も好き者だな。」

「教授も、大公に見込まれていると伺いましたよ。」

穏かに笑う青年に、若干三十歳の教授はピクリと眉をしかめた。

「僕は、援助を受けるつもりはありません。失礼します。」

礼儀正しくお辞儀をして、シンカは学長の部屋のある廊下の奥に向かう。それを、見送るゲーリントン教授。若干三十歳、この大学において三十代で教授まで上り詰めるのは、通常ではありえない。エドアス・ゲーリントン、彼は天才と呼ばれ、二十五歳でこの大学の研究医となった。その影には、カストロワ大公の援助があったと言う。

だが、ゲーリントンは、知っている。カストロワは、金は出すが口は出さない。才能があるものに資金提供のみするのだ。それは、彼のこだわりでもある。自分で道を選び成功するものにだけ、協力する。カストロワは、そういう若者のことを親愛の情を込めてこう呼ぶ。『私のコレクションたち』と。

ファルム・シ・デアストルにしたような、研修生となるための推薦枠に口添えするなど、ありえない。カストロワに目をかけられ、期待されてきたゲーリントンだからこそ、分かる違いだった。

彼には確信があった。

ファルム・シ・デアストル、あいつは、カストロワの『コレクション』ではない。それなのに、カストロワの口添えで、特別枠に推薦してもらった。

つまり、特別なのだ。

青年の姿が見えなくなるまで、見送ると、若い教授は、口元に神経質な笑みを浮べる。



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