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9.護るもの6

待合室で緊迫したやり取りが続く。


病室で目を開けたユージンは天井の見慣れない景色に瞳だけを動かして、様子をうかがった。

そっと首を回してみる。


視界には白い部屋と自分に繋がれている点滴。それしか見えない。


私はいったい?


体を起して初めて、床に広がる血と白衣を着た女の子が倒れていることに気付いた。

「キャー!!」

悲鳴が響く。

その声は、静まり返っていたロビーにも届いた。同時にシンカはやっと拘束帯を断ち切ったところだ。

ユージンの悲鳴に周囲が気を取られる隙をついて、シンカはすぐ後ろに立つマクマスの銃を持つ手を掴んだ。

ぐいと引き付けると、立ち上がりざまにマクマスを投げた。

床に背から落ちた女医は何かうめいたが、すでにシンカは奪い取った銃でマクマスの額を狙っている。マクマスを膝で押さえつける。


「この女を殺すぞ!人質を放せ!ドクター、ミオの手当を!」

後半は人質になっているドクターへの指示だ。シンカの迫力に迦葉の部下たちがだじろいだ。

奥で押さえつけられていた消化器科の準研究医が身じろぎする。彼はミオのことを気に入っていた。シンカは「お願いします!ミオを、助けてほしい」と。彼を見詰めた。


「だめでしょう、ルー。いえ、皇帝陛下。そこの、イランを見なさいよ、いいの?殺しちゃって。私はどうせ迦葉のコマなのよ。いつ死んでもいいのよ。」


受付ではイランが太った女に殴リ付けられたところだ。

「いったいわねぇ!」

イランは小声で、抵抗する。


……人質が、多すぎる。


シンカはイランを見た。そして、横にいるクリフトにも視線を移す。シンカの蒼い瞳にクリフトはじっと見入っている。消化器科の準研究医は目が合うと視線をそらした。結局全員が身動きできないのだ。

シンカの作った隙に自らを呪縛するテロリストを殴りつけることなど、そう、民間人では出来はしないのだ。


シンカは小さくためいきをつく。


瞳に宿す怒りが悲しみに変わった。

押さえていたマクマスを開放すると、銃を床に落とした。


立ち上がったマクマスはレーザー銃を拾い上げる。凶暴な視線を生意気な皇帝陛下に向ける。銃を振り上げる。

が、と痛みとともにシンカは床に倒れこんだ。わき腹に蹴り。一つ、二つ。

痛みに体を丸めているものの、シンカはうめき声ひとつあげない。


「可愛くないわね」

ふんと鼻息を荒く吐き出して、マクマスが残酷な笑みを浮かべる。

シンカの髪をつかんで、顔を上げさせる。


「やめて!陛下に何するの!」

駆け寄った女性がいた。患者の着る白いローブ姿で、細い手足が剥き出しになるのもかまわずに、シンカに抱きつく。

ユージンだった。

「だめだ、ユージン。病室に、帰るんだ!」

「いやです。このままでは陛下が危険です!」

分かっているのかいないのか秘書官は、まだ少し冷たい髪をシンカのほおに押し当てて抱きついている。

「あら、まあ」

マクマスがあきれた声を出したのと、同時に、もう一人。

「彼を殺されては困るな」

エドアス・ゲーリントンだった。


迦葉の見張りがいるはずの非常口から入ってきたようだ。手には小型のレーザー銃が握られている。

教授は表情一つ変えずに、ユージンを引き離そうとする作業着の男を撃ち殺した。

ユージンの悲鳴が上がる。

息を呑む気配はするものの、ユージンを除いて声を上げるものはいない。

教授は救急救命室の様子を見てもさして驚いた風もなく、つかつかとシンカのそばまで歩いてくる。テロリストも彼には銃を向けようとしない。


「教授」

マクマスがゲーリントンを見つめた。

「シンカは、大切な研究材料なんだ」

「まったく、ねえ、陛下。あなたの周りはなんでそんな、変な人たちばかり集まるのかしら」

ユージン以外の視線を集めて、レザイアは派手にため息をついた。


その時、緊急車両到着の警報が鳴った。

救急高速艇がきたのだ。救急救命病棟ではごく普通の風景も、これほど白々しく響いたことはない。


テロリストたちに緊張が走る。


受付のイランが、同僚に視線を合わせると同時に受話器を取りかける。その手を、太った女が止める。

緊急搬送口のドアが開いた。


シキだ。背後に数人の武装した人影もある。

「ふせろ!」


シキの前には非常警報装置。ちかりと派手な火花が散ると、一斉にスプリンクラーの消火剤が天井から撒かれる。

どろりとした液状の霧が室内をあっという間に真っ白にした。その中で、いつの間につけたのか、暗視スコープをつけたシキたちは、正確にテロリストたちを撃つ。ゲーリントンは一目散に、彼の目的、つまりシンカに駆け寄った。

看護士や準研究医が悲鳴とともに床に伏せる。

「きゃー!!」

伏せることも忘れ、ユージンは頭を抱えて叫ぶ。混乱しているのだ。


シンカは慌ててユージンを抱きしめた。

姿勢を低くさせる。

それでも秘書官は視点が定まらずもがいて暴れる。細い手がシンカを押しのけようとする。

「ユージン、落ち着くんだ、ユージン!」

秘書官は震えている。

「シンカ、こっちだ、そんな女に構うな!」

教授がシンカとユージンを引き離そうとした時だった。


ゲーリントンに撃たれたはずのマクマスが、受付のカウンターにもたれながらにやりと笑った。ちょうど教授とシンカの背がこちらに向いた。



「あ…?」

シンカは背中から熱い一閃が入り込むのを感じた。

「シンカ!この、バカものが!」

消火剤を吸い込んでむせていたゲーリントンが、マクマスを睨みつけ止めを刺した。

女医は丸く見開いた視線を宙に漂わせ、息絶える。


レーザーに壁紙が焦げるのか苦い香り。ワゴンが倒れ薬品がこぼれ床に広がる。煙る室内。悲鳴。

視界は白くにごり、突入してきた男たちは銃を構え、暗視ゴーグルをつけて走っている。

シンカは頬に冷たいユージンの手を感じていた。

声は聞こえない。

不意に咳き込んで、甘くて苦い自分の血の味を感じた。


何も聞こえない。


白い煙の中、暗くなった視界。黄色い非常灯が点滅するたびに、コマ送りを見るように景色が変わる。何を見ているのか、シンカにもよく分からなかった。


ユージンは震えていた。

自分でも何を叫んでいるのか、分かっていなかった。

必死で力なく崩れる皇帝を抱きしめる。

気絶したシンカは重く、女性の手ではどうしようもない。掴んだ手がぬるりと滑り、赤く染まる手で何度もシンカを抱き起こそうとする。

大切なものが手の中で、重く、硬くなっていく。絶望的な悲鳴をあげていた。


「どけ!」

その手を大きな手が止めて、ユージンの代わりにシンカを抱き上げた。白衣を着た短い金髪の男。穏やかににやりと笑う。

そう、ゲーリントン教授だ。



帝国軍の増援が到着した時には救急救命室は戦場のように混沌としていた。兵士と、情報部エージェント、搬送される遺体、逮捕される迦葉の男。抱き合って呆然としているイランとクリフト。ミオを探して、叫んでいる消化器科の研究医。けが人の手当てに奔走する医師。


元の状態が想像できないほど、乱雑に舞い散る書類と薬品、転がるビン、医療器具。すべてがもやもやとした煙に包まれている。


「おい、ユージン!」

肩を揺すられて、そちらを見ると、黒い瞳でこちらを見ている男。シキ、だ。

「シキ、さん。」

シキは、足を撃たれたのか、引きずっている。

「シンカは?あいつは、どうした?」

「陛下?」

気付けば、そこに彼の姿はなかった。

床にはマクマスの遺体と水溜りのような血の赤。

「教授、あの、男が?陛下、怪我をなされて!」

涙が頬を伝う。

シキは混乱のまま泣き崩れそうなユージンの肩を抱き寄せて支え、見回した。

「私が」

医師に腕の傷を手当てしてもらっていたレザイアが立ち上がると、駆け寄る。ついてきた医師は、シキの傷に眼をやると止血をはじめる。

それにかまわず、シキはレザイアにユージンを渡すと、電話でレクトを呼び出そうとする。応答はない。その脇を担架に乗せられたミオが通り過ぎる。

「畜生。迦葉の思惑通りじゃねえか!レクトさんともあろう人が、後手に回っている。」



「軍務官は、多分、今夜ですべてを終わらせるつもりなのよ。」

ユージンを介抱していたレザイアが言った。

「なんだよ、それは。あんた、なんで知ってる!」

「私、雑誌社をやっているの。軍務官の、恋人よ。」

恋人、という前に一呼吸あったのは少し不自然だった。


「見るといいわ」

レザイアが、携帯電話の画面をニュース映像に切り替えた。

緊急ニュースで、セトアイラスの各地、そして、同時にブールプールの地下街でも、帝国軍による一斉攻撃があり迦葉の支部が統べて壊滅させられていることを報じている。

地図で表されたその個所はセトアイラスのこの都市でも十箇所以上にのぼっていた。


「掃討作戦、ってわけか。だから、俺に病院を任せると・・。」

もし、シンカがここに来なければ、ここではこんな事件は発生しなかったはずだ。

いや、ユージンがあんなことにならなければ、シンカが病院に来ることもなく、迦葉の作戦が実行されることもなかった。

急遽、派遣された二人のエージェントは、作戦を未然に防ぐことはできなかった。

今、レクトに連絡が取れるとは思えない。

床の血痕からすると猶予はない。


「おい、緊急車両を一つ借りるぜ!」

「あ」

追いすがるユージンを、レザイアに押し付けた。

「やだ、何よ!」

「たのむ。」

止血テープを貼っただけの状態でシキは足を引きずりながら建物の外に出て行く。

「なんで、男はみんな勝手なの!もう!」

いきまくレザイア。傍らの同じ年くらいの秘書官が床の血の池から視線を離せないまま、痩せた白い手で自分の袖にしがみつくのを感じた。「大丈夫よ、きっと、シンカは大丈夫」おびえたように震えるその手を、ぎゅっと握ってやる。


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