9.護るもの5
お待たせしちゃいました♪では、続きをどうぞ〜!
シンカは隙をうかがおうと女医が携帯電話で何か検索している横顔を盗み見る。
後ろ手に縛られたそれをどう断ち切ろうかとリングの操作を始めた時。
「ルー、様子は…!ドクター!」
ミオだった。
マクマスがミオに気を取られた一瞬に、シンカは弾みをつけた蹴りで女医の銃を持つ手を蹴り上げようとする。が、後ろ手に縛られたシンカの動きはいつものようには行かない。
一瞬遅かった。
マクマスは腕でシンカの蹴りをかわすと、銃をベッドに横たわるユージンに向けた。
「この子を殺したいのかしら?」
「!やめろ!」
「じゃあ、大人しくしてほしいわね」
にやりと。
尊敬していた内科医が銃を自分に向けるのをシンカはじっと見ていた。
握り締めた拳に力が入る。
!
不意に放たれた白い光線は一瞬の後に、シンカの右肩に消えた。
「ルー!?」
リングを操作する余裕が奪われ、目のくらむ痛みとミオの悲鳴。かすかな悲鳴がすぐに途絶え、シンカが体勢を整えて顔を上げたときには床にミオが横たわっていた。
痛みに奥歯をかみ締めた。
「ミオ!ミオ…」
こめかみを小突かれて、シンカは床に座り込む。
ミオ!
白衣の背中はじわと赤く染まる。今、処置すれば、助かるはず。
女医はと見上げれば、薄笑いを貼り付けたまま銃をベッドで眠るユージンに向けようとしていた。
「やめ、ろ!」
ユージンの前に立ちはだかる青年に、マクマスはにっこりと無邪気とも思える笑顔を見せる。
「馬鹿な子ね。それじゃ身動きできないでしょ。あなたの命をかけるほどの女なの?」
その頃ちょうど、コート・ロティ大学病院の急患受付に、そぐわない黒服の大男が二人駆け込んできた。黒いスーツ姿、顔にはサングラス。この深夜にその姿があからさまに普通ではない。
男たちは人々の視線を集めながら受付のイランに尋ねた。
「ファルム・シ・デアストルはどこにいる?」
「ああ、三番の……」
言い終わらないうちに二人が駆け出すので、イランは怒鳴った。
「ちょっと、ちょっと、カードは?身分証は?受付してよ、!もう!なんなのよ」
気付くと、待合にいた患者の注目を浴びていた。治療のためにあちこちにいる患者も迷惑そうにこちらを見ている。
「あ、はは…すみません」と声を小さくし受付に座りなおした。
深夜。
先ほどの救急艇以来、急患はない。珍しいほど静まり返った夜勤だ。
静か過ぎた。
イランは小さく首をかしげた。
「イラン、なんか変じゃないか?」
コーディネーターのクリフトが太った体を揺らしながら、イランの背後でつぶやいた。同じことを感じていたイランは視線だけで頷く。
「なんか、いつもとちがわないか?年寄りや子供が一人もいないぜ」
「そうね。なんか変ね」
端末に視線を向けるふりをしながらも、イランはカウンターの外に立つクリフトに眉をひそめて見せる。
時刻は深夜三時。普段、この時間にはそんなに患者はいないはずなのに、今夜はやけに多い。多いくせに静かなのは通常良くある子どもの姿がないのだ。
この晩、宿直の医師はマクマスとミオ、それ以外に消化器科の準研究医の三人だけだ。看護士は四名。それにこの二人。それより多い人数の患者など、この時間には珍しい。いつもなら交替で仮眠が取れるのに今日は全員が働いている。
待合室には、二十名近くの人間がいた。
酔っ払って暴れる男とそれを押さえる仲間らしき男たち。その作業着は機械技術者のようだ。彼らとは離れた隅に座っている、スーツをきっちり着て神経質そうに青白い顔をうつむかせている青年。
喧嘩した様子の男たち数名。タクシーの運転手風だ。
具合の悪そうな男性に寄り添う、体格のいいでっぷりした女性。
待合室の一番奥に、壁にもたれて立っている派手な女性。金髪を長くした彼女は、胸元を強調したスーツに身を包み腕を組んで待合室の様子を眺める。
レザイアだった。
レクトが珍しく電話に出ないので勘を働かせて公邸に行ってみたが、そこはすでに誰もいなかった。シンカが地球に帰ったという情報は得ていないので、病院に来てみたのだった。
そこでレザイアは気付いてしまった。
今、受付に駆け込んだ怪しい二人の男、ファルム、つまりシンカのことを探した二人は、情報部のエージェントだ。何かがあったのだ。
そして。
この待合室にいる酔っ払いの男。あれは、地球では手配中の犯罪者だ。他にも数人、どこかで見た記憶がある。どれも犯罪がらみだ。
偶然にしては何かがおかしい。
どこかで見た記憶のある数人の顔をリングに仕込んだカメラで撮影すると、レザイアは煙草を吸う振りをしてそっと時間外の待合室を抜け出した。
病院のエントランスを出ればひやりとした風に肩をすくめる。先ほど撮影したデータをレクトに送る。軍務官なら何か知っているかもしれない。
すぐに返事がきた。
「君はホテルに帰って、じっとしていろ」
そうメールにはある。
「なによ、誉めてもくれないのね」
紫煙をふっと吐き出すと不満そうに肩をすくめ、レザイアはもう一度待合室に戻った。
その時には先ほどとは様子が一変していた。
患者の姿がない。
太った女が受付の女性とコーディネーターを銃で脅している。背後の書類棚の向こうに看護士が四人、そこにドライバー姿の男たちに連れられて、準研究医が加わった。
レザイアは入り口近くに立っていた神経質そうな青年に銃を突きつけられた。
「!何よ!なんなの?」
男は黙って、ただ銃を女性のほおに当てている。
その時、悲鳴が上がった。
数分前。
病院の救急の搬入口の外でシキは気を落ち着けようとタバコを吸っていた。
強い風にほこりが舞い、目を細める。
「何か、用ですか?」
身じろぎもせずに声を発したシキに、背後にたたずむ白衣の男は一瞬ひるんだ。そっと近づいたつもりだった。ゲーリントンはふと笑うと前髪をかきあげる。
「いえ、先日はどうも。結局、彼女、正気に戻らなかったんですか」
シキは振り向いた。
背の高い、リドラ人の男がにやりといやみな笑みを口元に浮かべていた。
「喜んでいるように見えますよ、教授」
「そうですか?一つ、お願いがあるんですが。シキさん、あなた軍務官と直接連絡、取れますよね?」
シキはにらみつけた。
「呼び出していただきたい。私の知っている番号では、直接お話できませんので」
「何のつもりだ」
シキの正面から数名の男が囲むように近づいてきた。皆、武装している。
「取引です。あなたに危害を加えるつもりはありません。彼らは私の腹心でね。とにかく、軍務官と今すぐ、直接話をしたい」
「……いいだろう」
シキは数メートル先で止まった男たちに一瞥をくれ携帯電話を取り出した。
「レクトさん、俺です。シキです。すみません、ゲーリントン教授があなたと話したいというのですが。よろしいですか」
電話の向こうの男は何かしら問題があるのだろう、ホログラム撮影を拒否しているのか音声だけだ。感情の分からない口調で、「いいだろう」と言った。
シキがデンワを教授に渡すとゲーリントンはにやりと笑った。
「軍務官、すべて予定通りのようですね」
『……』
「一つだけ、困ったことになっていますよ。言ったでしょう?迦葉の前にシンカをふらふらさせれば、こうなることくらい。いえ、そんなに怒鳴らないでください。一つ、取引しようじゃありませんか。私なら、彼らを止められます。どうです?変わりに私を皇帝の専属のドクターにして欲しいのですが」
隣で耳を済ませていたシキが、組んでいた腕を解いた。
「あんた、何を言っている!?」
「おや、反対ですか?いいんですか?」
レクトも即答だったようだ。ゲーリントンは悔しげに電話を睨む。
教授の持つ携帯電話を奪い取ると、シキはゲーリントンに詰め寄った。
「どういうことだ?」
背の高い男は、ふんと鼻で笑った。
「聞こえませんか?そろそろ、悲鳴か何か」
その時、悲鳴が上がった。
受付の女性が床を見つめる。そこには、あの手配犯がエージェントの遺体を引きずっていた。奥の病室から引っ張ってきたようだ。
続けて、もう一人。
そして。
白衣の女医が栗色の髪の青年を引っ張ってきた。
「ドクター!何しているんですか!ルー!」
受付にいたコーディネーターのクリフトが驚く。傍らのイランは青い顔をこわばらせて、女医を睨んでいる。
シンカは両腕を縛られ、銃をこめかみに当てられている。女医がつかむ前髪に、苦しそうな表情だ。白いセーターの肩が血で染まっていた。
「シンカ!」
小さいレザイアの声が聞こえたのか、マクマスと目が合った。
覚えのある女性にマクマスは嬉しそうな笑みを漏らす。
「あら。あなた、また来たの?しつこいわねぇ。ルクースのレザイア」
「どちらさまかしら?」
にっこりと冷たい笑みをお返しして睨みつけるレザイアを、傍らの男が突き飛ばすように前に歩かせる。
「あなたにスクープをあげるわ。嬉しいでしょう?なかなか、撮れるものじゃないと思うわよ」
レザイアは眉をひそめる。
「何のつもり?」
女医はシンカの肩をぐいと押さえて膝をつかせると、あごで作業着姿の男に指示を出す。男が液体の入ったボトルを持ってきた。
「ほら、元に戻してあげるわ。下を見てなさい。」
ボトルのふたを開けて、マクマスは無造作にシンカの頭にかけた。
見る見るうちに栗色の髪は金髪に戻っていく。
染めた髪のリムーバーだろう。強烈な薬品の匂いに、シンカがむせた。続いて飲料水をかけられる。
滴る水の下で、シンカは苦しそうに眉を寄せているようだ。少し頭を振った。揮発性の薬品が目に入り、瞬きも呼吸もままならない。
ぎゅっと閉じた瞳が開かれたときには赤く充血していた。金色の長いまつげから、涙なのか水滴なのか。照明に煌きながらいくつも落ちる。
「知っているかしら?この子が、太陽帝国皇帝だってこと」
だまっているレザイアに「あら、知ってたの?つまらないわね」とマクマスはニコニコと笑った。人質たちは目を見張った。
イランがつぶやく。
「うそ……でしょ?」
マクマスはちらりとイランを見やると、声を大きくする。
「見たこと、あるでしょ?この金髪と、蒼い瞳。レザイア、処刑するところをスクープさせてあげるわ。前代未聞、素晴らしいショーになるじゃない?」
通路の向こうで看護士が小さな悲鳴をあげる。
「あなた、ドクターじゃないの?何者なの?この連中も」
淡いブルーの瞳を見開いて、レザイアは叫んだ。
「その子を殺すことがどういうことか分かっているの?全宇宙が混乱するわ!まさか、テロリスト…なの?」
「私たちは、迦葉。聞いたことぐらいあるでしょう?」
「!」
シンカはやっと瞬きがまともに出来るようになっていた。ひりひりと肌を焼く薬品。頬を肩で拭う。
「きれいな写真になるといいわねえ。ちゃんと撮るのよ」
「あなたも、写るわよ。顔が知れてもいいの?」
クックと笑ってドクターの姿をしたテロリストは言った。
「写真をとってくれればいいの。あなたの役割はそこまで」
レザイアは「私も殺すつもりなのね」と。届くかどうかのつぶやきをもらす。レクトのあのメール。自分を護ろうとしてくれたのだと。今は分かる。
ただ、今更どうしようもない。
テロリストたちはレザイアに撮影させ、殺し、画像データを犯行声明にでも使うのだろう。ジャーナリストとしてそれほど不名誉なことはない。
レザイアは、怒りとともに恐怖がぞくりと背筋を這うのを感じた。