9.護るもの4
ユージンとともに病院に到着したシンカは、治療が終わって入院科が決まるまでの間、救急救命室の一室で秘書官の寝顔を見つめていた。
白い顔は今は少し赤味が差し、規則正しく刻まれる鼓動がシンカを安心させる。
目覚めてからが大変なのだが。
彼女が目覚めた時、どんな状態なのか。
自分がここにいていいのか。
迷いながらも、シンカは離れられずにいた。
そっと、ほおにかかった亜麻色の髪を整えてやる。まだ、少し濡れている。
シキは、戸口の脇に立ったまま腕を組んで、その様子を見ている。
黒髪を短くしている彼は精悍な容貌で、背の高い筋肉質の体躯をミストレイアの制服に包んでいる。
アイボリーを基調とした服は、袖の濃紺のラインと、ネクタイが華やかさを添えている。襟の小さな金糸の刺繍が彼のミストレイアでの立場を表している。今は、コートを左腕にかけたまま、部屋の片隅にたたずむ。
先ほどまで出入りしていた看護師がシキに見とれていた。
そのおかげなのか、ルーの瞳の色が違うことに注目するものはいなかった。
看護師も他の患者にかかりきりのようで、今は室内に二人だけだ。
一言も口を利いていなかった。
シンカは、先日のシキとのやり取りを思い出していた。ゲーリントンの研究所から、ユージンを移送してもらって以来、一度も話していなかった。
まだ怒っているんだろう。
今は何をどう言っても、きっと言い訳にしかならない。
だから、シキの視線を感じながらも、背を向けたままだった。
シンカは気持ちをユージンにだけ、変わってしまった美しい秘書官にだけ向けていた。
「悪かった」
ぽつりと、シキが言った。
シンカが顔を上げる。
その蒼い瞳は、大きく見開かれている。
「レクトさんに聞いた。おまえ、水くさいだろ、ちゃんと言えよ」
「…言えないことだってあるよ。シキだって、そうだろ?」
知るべきでないことを知ってしまったがために、ユージンは立場を失う。それを思えば、シキを大切に思えばこそ、言えない事もある。
シキもきっと、マリアンヌのことを言えずにいるはずなんだ。
俺に協力して欲しいと思っているはずだ。
だが、言えずにいる。俺のことを思いやってくれているから。
そう、伝えたかった。
「お前、俺を信じていないのか?」
「そんなこと、言ってないだろ」そういう意味じゃないのに。
「……まあ、俺もお前のこと信じてやれなかったしな」
ふと息をひとつ吐いて、シキは出て行った。
「シキ!」
振り返らない。
シンカは立ち上がったものの、また座った。
伸びた前髪をかきあげて、うつむく。ため息が出た。
どうして、こんな風になってしまったのか。大切な、大好きな友達なのに。
「もう、安心ですね」
女性の声だ。
振り返ると担当医のマクマスだった。黒い髪をきっちりと結い上げ、てきぱきとした動作は、元気な印象がある。
「ドクター・マクマス」
部屋に入ってきたマクマスは、シンカの横に立ち、ユージンを見つめている。
「ありがとうございます。ドクターのおかげです」
「いいのよ。仕事だから。それに元々そのつもりだったのだし」
にっこり笑う研究医に、シンカは蒼い瞳を向ける。
「あの?」
女医は肉付きのいい頬を緩めた。
「お待ちしてました。皇帝陛下」
「え?」
こめかみに、硬い感触。
何かを感じ取って、シンカは体をこわばらせた。
ドクターはレーザー銃をシンカのこめかみに突きつけていた。
「!」
「動かないで下さい」
固い銃身の感触が、全身の神経をあわ立たせる。
「ドクター。どうして?」
「腕を後ろに回して。両方よ」
シンカの両手首を、白衣のポケットから取り出した拘束帯で、素早く縛り上げた。銃を突きつけたまま片手でこなすその手つきは、かなり慣れている。
強化繊維でできた拘束帯は、レーザーでなくては切ることができない。シンカの手首のリングに仕掛けられた低出力のそれで、上手く行けば切れるかもしれない。
ただ、この場所はユージンがいる。
様子を見ることにした。
「ドクター・マクマス。何の目的ですか」
銃を突きつけたままシンカのポケットを探っていたマクマスは、携帯電話を見つけると喉の奥で笑う。
その表情は普段の彼女と何の変わりもない。
「おかしくなってしまったわけではないみたいですね」
「ルー、優しいわねぇ。皇帝陛下がルーに成りすましていると知って大急ぎで手配したのよ。座りなさい」
シンカは押されるまま、ユージンの足元に腰をかけた。
「レクト・シンドラ。知ってるわよね」
シンカは頷いた。
「どうやら、組織の壊滅を図っているらしいのよね。それを阻止するためにあなたを利用させてもらうの」
「迦葉、か」
ふふ、とマクマスは笑った。
「残念だけど、俺は役に立たないよ。レクトは俺のために止めたりはしないと思うけど」
「そうかしら?あなたがユージン・ロートシルトを放って置けなかったように、いくら冷酷な軍神と呼ばれていてもね。自分の子供を見殺しにはしないんじゃないかしら?」
シンカのなかで疑問がつながった。
ユージンが帝国軍基地から連れ出された理由。
郊外の海で自殺する前に電話をしてきた理由。
判断力のない彼女を利用して、俺をここに連れてこさせた。
ふと、レクトが引きとめようとしていたことを思い出した。
……後で何を言われるか分からないな。
「あら、反論しないの?やっぱり、親子なの?」
「似てないだろ?」
「似てるわよ」
マクマスは携帯電話を開くと、画面を眺めた。
「どちらでもいいよ。とにかくどうするつもりなのか知らないけど、ここにこうしていても仕方ないんじゃないか?」
「もうすぐ始まるわね」