9.護るもの3
お待たせしております♪
カストロワの手元に飛び込んだシンカ。さて、何が起こるのか…
シンカは、大公に用意してもらった部屋で、いくつかの仕事をこなしていた。ユージンがいない分、今後のスケジュールの作成には手間取ったが、業務内容に関しては分からないものがほとんどないので、それほど問題になることはなかった。地球の中央政府ビル内の担当者と、意見交換したり、日程調整をしたりと、今までユージンが行っていた仕事も少し面白い。下水担当者からの報告を受けたときには、担当はまだ、主任になりたての若者で、相手が皇帝陛下本人と知ると緊張して、何度も言葉を間違えた。
そんなことを思い出して、少し笑う。
その時、携帯電話が鳴った。
ここについたときに、レクトに追われる心配がなくなったため、再び起動させておいた。小さな音とともに、システム画面上に小さなホログラムが立ち上がった。
ユージン、だった。
「ユージン。」
その亜麻色の美しかった髪は、風だろうか乱れている。青白い顔、それでも精一杯、お化粧したらしく、口紅の色だけがやけに目立った。瞳の光に、強さはなく、哀しげに、微笑んでいる。
「陛下。」
「今、どこにいるんだ?大丈夫か?一人なのか?」
シンカの表情を見て、どう思ったのか、穏かに笑った。その、哀しそうな顔に、シンカの鼓動が高まる。
「ユージン、どうしたい?俺が、迎えに行ってもいいのか?」
涙がこぼれているようだ。そっと、それをふいて、変わり果てた秘書官は、首を横に振った。
「いやです。最期に陛下のお顔を、拝見したくて・・」
「ユージン、だめだよ。俺は、あなたに会いたい。会って話そう。な。」
「私は、陛下に、何をしてきたのか・・恥ずかしくて、申し訳なくて・・」
「見損なうな、俺はそんなことであなたを嫌いになんかならない。命令だ、ユージン。あなたは、俺の秘書官なんだからな。そこにいるんだ。いいか。俺が迎えに行くまで、そのまま待っていてほしい。」
泣いている。
「陛下。愛しています」
「わかっているよ、ずっと、分かっていたんだ。あなたの気持ち。俺のこと、待っていて欲しい。」
「ありがとうございました」
「ユージン!」
映像が、乱れた。どこなのか、くらい画面になって、不意に通信が途絶えた。
「ユージン!」
シンカは、震える手で座標を割り出すと、すぐにレクトに連絡した。
「レクト!ユージンが、ユージンが!」
「なんだ、どうかしたのか?」
「・・今、電話があって、急いで欲しい、俺も行くから、すぐに、彼女、死ぬつもりだ」
「……わかった、お前はそこを動くな」
「俺のことはいいから、座標を送る、だから早く。」
「分かった。いいな、お前は動くなよ!」
じっとしていられるはずはなかった。
シンカは、薄いニットに、黒いパンツという軽装のまま、カストロワの部屋を訪ねた。
その表情から、事の重大さを察した大公は、シンカの言うとおりに高速の車を用意してくれた。服装を気にする余裕もない若い皇帝のために、コートを二枚持ち、車に乗り込んだ。
シンカはただ、遠い、ユージンがいた海に、視線を向けていた。カストロワは、落ち着きなく、かすかに震える若い皇帝の肩に手をおき、じっと見つめていた。
先ほど、守りたいと言っていた。あの自信に満ちた言葉とは、正反対なこの様子。守りたいといったすべてに対して、こんな風に思いを込めていたら、つらいだろうに。
それでもその生き方を選ぶところが、強さともいえるのか。
興味深い。
そこには、すでに緊急車両が到着していた。二機の軍の飛行艇と、救急高速艇。海上には三隻の救命艇が下ろされている。暗い海面を、発光弾が白く照らす。
赤いランプを点滅させた、救命艇は、女性の体を救命士に引き渡したところだった。
風の強い、寒い郊外の海岸。暗く、黒い岩に白い波がぶつかってはじける。波の音は恐ろしいほどに低く鳴り響く。寒いこの星の海は、深い藍色で、時折砕けた波のかけらが、シンカの頬をぬらした。
肩にかけたコートが風に飛ぶことも気付かず、シンカは女性に駆け寄った。
ユージンは、白い、白い顔をしていた。一目でチアノーゼの兆候がわかる。救急救命士がてきぱきと適切な処置を施している。
「ユージン」
小さくつぶやいて、立ち尽くすシンカの肩を、レクトがたたいた。その後ろに、シキの姿もある。
「お前、来るなと言ったのに。発見が早かったからな。大丈夫だ。コート・ロティに搬送される」
うなずいて、シンカは救急高速艇に乗ろうとした。
「だめだ」
腕を捕まれ、レクトを見上げる。
「俺、行くよ」
「お前の正体がばれるぞ。今、レンズ入れてないだろう。大丈夫、シキがついている」
シキはすでに救急高速艇に乗り込んでいる。シンカは、一瞬視線を落としたが、再びレクトを見上げた。
「行くよ」その表情は、強い。
「だめだ」
さらに腕を引いて行かせないようにする軍務官に、シンカは眉をひそめた。蒼い瞳で睨みつけると、強引に振り切ろうとする。
しかし、レクトの力も強い。
「放せよ!」
「シンカ!お前を行かせるわけにはいかない」
暴れようとするシンカに、当て身をしようとするレクト。
とっさによけると、右腕でバックブローをはなって、引き離した。
再び掴みかかる手をすり抜けて、身を翻す。
飛び立とうとする救急高速艇に駆け込む。
「シンカ!」
いらだたしげに右頬に手をあてて、軍務官は電話を取り出す。
シンカは、捕まれていた左手首をなでながら、救急高速艇の診察台に横たわる、ユージンを見つめる。
シキと目が合う。
隣に座った。目の前のユージンを見つめる。シキに、話すことは浮かばなかった。
処置している救命士に頭を下げた。
その救急救命士は、見たことがあった。救急救命室で、何度か患者の受け渡しをしている。まだ、若く、仕事に対する誇りにあふれていて、シンカは好感を持っていた。
「ルー、なのか?なんでお前」
そう言った彼に、青年は言った。
「大切な友達なんだ」
女性を見つめたままの彼に、救急救命士はやさしく言った。
「大丈夫。バイタルも安定しているし、チアノーゼも改善した。衰弱があるくらいだ。安心しろ」
シンカは、彼の顔を見た。
「ありがとう。彼女、ファルクノールにアレルギーがあるから、それだけカルテに入れておいて欲しい」
「ああ。わかった。そんな、落ち込むな!命が助かったんだ。何があったかしらないけどさ」
肩をたたかれて、シンカは笑った。
その表情は、やさしく、悲しげで、救急救命士の印象に強く残った。こいつ、こんな顔だったかな?救命士の青年は、処置を続けながら、そんなことを思った。
シキも、なにも言わず、今は身分を伏せている皇帝と、その秘書官を見つめていた。
「ありがとうございます。大公自らお送りいただけるとは」
落とされたコートを拾って、レクトが大公に微笑んだ。シンカとレクトとのやり取りを面白そうに見ていたカストロワは、口元の笑みを隠した手を離して言った。
「いや、あれが、あまりに哀しそうだったのでな」
驚いた表情のレクトに、カストロワは言った。
「何を見ている。お前、あれを地球に帰そうとしているだろう。あれの意思を尊重してやれ」
「大公、それは」
「しばらく預かるぞ」
「ずいぶん、お気に召したようですね。コレクションになさったのですか」
眉をひそめて、切れ長の瞳を大公に向けてくるレクトに、カストロワは笑いかけた。
「コレクション?そんなものではない。そうだな、・・友達に、なったのだ」
「友達!?」
驚いたレクトの表情を楽しむように、大公は低く笑った。
「驚くことでもないだろう。それより、コート・ロティに行くと何かあるのか?あそこまで引きとめようとするのは何かあるのだろう?」
コートの襟を寄せながら、大公が問い掛けた。
レクトは、手袋をしたままの手で、くわえていた煙草を取ると、横に並ぶ大公に言った。
「大公。・・ご協力願えますか。あなたの、大切な友達のために」
「…」
大公は横目でレクトを見つめたまま、返事をしない。
その金色の瞳の意図を感じ取ると、レクトは大きくため息をついた。
宇宙最強といわれた軍神は、珍しく視線を逸らした。
「いえ、私のために。…お願いします」
「お前にものを頼まれるのも悪くないな」
表情をころりと変え、カストロワは上機嫌だ。
「人が悪いぜ…レイス」
未だに、ガキ扱いしやがる。レクトは心の中で毒づいた。
「シンカならもっと、素直にお願いしますと言う。あれは、かわいい。まあ、お前はそこが面白いのだがな」
苦々しい表情の軍務官に、大公は嬉しそうな笑みを向けていた。
煙草の煙が吐息とともに白く染まる。冷えてきている。雪が降るのかもしれない。
「しかし。一体どうやって、シンカは大公を懐柔したんだ」
部下への指示を終えたレクトは、ポツリとつぶやいた。
シンカは、大公のことは任せて欲しいと、自身ありげに言ってはいた。
大公が、本当に何の見返りもなく、自らの感情によって他人のためにあんな行動をとるなど、初めてだった。自分は常に動かず、一つ高いところからものをみる。
それが、今回に限って自らシンカに付き添ってきた。
(友達、だと?)
風に乱れる前髪をうるさそうにかきあげて、長身の男は一つ、白い息を吐く。
一応、大公との長い付き合いから、一番近い存在と、多少なりとも自負していたレクトは、それでもまだ、自分の知らない大公の一面があったことに、それが、ただシンカのみに向けられていることに、軽い苛立ちのようなものを感じていた。