8.生きるということ 5
「体力、ないな俺。」
独り言を言って、シンカは丘陵地を歩く。少し、息が切れる。
ふと振り返ると、公園が小さくなり、そこを行き交う人々が見える。先ほどより増えている。レクトの言うとおり、眼に写るすべての人を幸せにしようなんて、そんなこと考えているわけじゃない。俺の、周りにいる、ほんの少しの人たちだけど、彼らを、大切に思うだけだ。守れる相手を守らないのは、皇帝として、いや、男として駄目なんじゃないか?
シンカはそう思う。
白い都市に、朝日がさす。白い建物が朝焼けにまぶしく光り、濃い青だった空は、淡いグリーンに染まっていく。美しい光景だった。
ミンクに、見せてやりたかった。
色素のない銀色の髪、赤い瞳、にっこり笑う表情を思い出す。ずいぶん、長くあっていない気がする。電話くらい、してやらなくては、と思う。思うが。今は、俺が上手く笑えないことを気付かれてしまうだろう。最近特に、そういうところは鋭い。きっと、心配しながらも、気丈に振舞ってくれる。そのいじらしい姿を見てしまったら、会いたくなってしまう。抱きしめたくなる。ユージンのことも、何もかも、どうでもよくなってしまうかもしれない。レクト流に、一人だけを大切にするのなら、それは、ミンク以外にありえなかった。
だから連絡をしないでいた。
アイリスの墓は、丘陵の一番高いところにあった。傍らに、くまのルーがいた。雨に濡れないように、ルーは小さな傘をつけてもらっていた。
その赤い傘が、シンカの涙を誘った。
いつか、アイリスが生きている頃、あの交通事故で奥さんを亡くした男に、俺は言った。アイリスのために、生きて欲しいと。俺も、同じだな。
しっかり、生きないといけない。
その時、携帯が小さな音を立てた。
見ると、レクトからだ。
現実に引き戻され、シンカは首を振った。息を一つ吐くと、電話に出る。
レクトは怒鳴りつけている。
「話、聞かないなら、切るよ。」
シンカの落ち着いた声に、相手は黙った。
「俺、やっぱり研修を終えたい。俺は、自分自身をもっと知りたくて、研究に加わりたくて医学を学んでいるんだ。大丈夫だよ、ゲーリントンの言いなりにならなければ。」
「馬鹿が!」
まだ怒鳴るつもりなのか。
「お前は何も分かっていないんだ!迦葉が動いているから、ゲーリントンに近づくなといっている!」
「迦葉と教授と関係があるのか?」
「そうだ。お前には、知らせてなかったが、今帝国軍と情報部では総力をあげて、迦葉の壊滅のための作戦を遂行している。今、お前を迦葉の目の前に置いて、事を起させるわけにはいかないんだ。俺だって、お前を守りきれるか分からん。」
「…、レクト。それだけの作戦なのに、俺の近くに教授が現れること知らなかったのか?」
一瞬、男が黙った。
「カストロワ大公とも、なにか関係があるのか?」
「…勘は、いいな」
先ほどまでの勢いを失って、レクトは表情を消している。
シンカは小さくため息をついた。
「利用したんだろ」
「表現が、あまりよくないな」
「おかしいと思ったんだ。あんたが俺の研修旅行を認めたときから。いつもなら反対するだろう?警備も最小限で、単独行動も多いのに何も言わなかった。教授や大公が俺に興味を示すのを分かっていて、目の前にちらつかせた。……そうなんだろ?」
「だから、もう役目は終ったといっただろう?それに、お前の好きなようにさせてやったんだ、文句を言われる筋合いはないぜ」
何を企んでいるのか、レクトが言うはずもない。
「…まだだよ。研修と、ユージンのことに決着をつけるから」
「できないさ。先にこちらが動く」
余裕の笑みを浮かべるレクトのホログラムを思わず握り締める。
「!なんだよ!卑怯だろ!もう、口出すなよ!」
手を離すと、レクトの映像が消えていた。送信設定を変えた、何か見せたくないのか。
「俺はお前が皇帝だろうがなんだろうが、好きにする。逆らうなと言っているだろう」
「いやだ。」
シンカも歩き出した。
何か、レクトが行動を始めたのだ。
シンカは電話を切った。
迦葉と教授がつながっているのは、うすうす感づいていた。
教授の研究所で使用されるユンイラは迦葉が惑星リュードから密輸したものだ。
だとすれば、大して採算の取れる仕事でもないものを、迦葉は教授のために行っていることになる。
無関係ではない。
教授がユージンを利用して俺に近づくのも、迦葉の思惑が絡んでいるのか。
大公が、もし迦葉と関係があるなら、ユージンのことも知っているだろうか。
いや。
あの老獪な人物が、自らの地位を危険に晒すまねはしない。
知っていても、知らぬフリ。自分に都合のいい間は見逃す。
直接自分が行動するような人間ではない。
そのために、彼はコレクションを持っている。
シンカは日差しが高くなってきたのを感じて、目を細めた。
まずは、ゲーリントンにあたるのが早いだろう。
空腹に気付いた。
ホテルを探すのは後にして、どこかで朝食をとって、そのまま病院に出勤しよう。髪は適当に美容院に入って染めてもらおうか。そう考えて、公園を横切ったときだった。
黒塗りの高速車が、こちらに向かってくるのが見えた。通常の車両と違う高度を保って、飛行制限された道路でないところを平気で飛び越えてくる。
「げ、レクトだ!」
直感した。
慌てて、地下道に逃げ込む。
地下街の入り組んだ路地を進んで、出勤する人で混雑するトラムの駅に出た。
白い建物の窓から、外を見ると、ちらりとレクトの黒い飛行艇が見える。ついてきている。
「!」なんで、わかるんだ?
さっきシンカが登ってきた階段から、情報部のエージェントらしい男たちが駆け上がってくる。
「ちぇっ!」
舌打ちすると、シンカは走り出した。
人ごみを縫って、駅ビルの上の階に階段で登る。
下から追ってくる足音。
三階くらいまで登ったところで、息が切れ始める。
非常口を抜け、ビルの外階段に出た。
防護シートをナイフで破ると、飛び降りた。
真下にレクトの黒塗りの車。気付いたレクトは車の高度を保つ。
派手な音を立てて、約二メートル下の車の屋根に降り立ったシンカは、ゆっくり高度を下げ始めた車から、地上に飛び降りる。
通行人が驚いて道を開ける。振り返りもせずに、走った。
「馬鹿が。」
小さくうなって、レクトは、エージェントに戻るように命じた。
「まあ、いい。居場所はわかるのだ。」
シンカの腕にはめられている腕輪、通称リングは、身分証明やカードの役割を果たし、通常特権階級と呼ばれる人々なら誰もが身につけている。それがあることで、車を運転でき、物を買うことができる。シンカのそれは、まったく違うものだ。皇帝としての認証システム。それがあることで皇帝であるという証明になる。さらにいくつか機能を足してある。そして、本人は知らないが、そこから発信される特殊な電波で、常に彼の位置を把握できるのだ。外せば、そのまま厳戒態勢がしかれるため、決して外さない。
レクトには、いつでも、シンカがどこにいるのか知ることができた。
「変だ。何で分かるんだよ。」
以前も同じ疑問をもったことがあった。
それによって救われたこともあったため、あまり追求はしなかったが、腑に落ちない。携帯電話を追跡されたのかな。
シンカは、念のため電話の電源を切った。
無人の美容院で、髪を染めながら、常に視線は外を見つめる。いつ、レクトが来るかわからない。
ロボットは、何も言わずにさっさと手際よく、シンカの髪を栗色に染めた。出勤時間まで、あまりない。
「アリガトウゴザイマシタ」
機械が言い終わらないうちに、シンカは病院へ向かっていた。瞳には、黒いカラーレンズ。これで、いつものルーになった。
朝食はまだだが、病院のカフェで何かつまもう。今日は免疫治療科だから、時間的な余裕はあった。
まさか、病院にまでレクトが来る事はないだろう。そこで、シンカは思いついた。
そうだ、今夜は大公に泊めてもらおう。あそこなら、レクトも簡単には手が出ない。
この惑星で、レクトが遠慮しなければならない場所は、唯一そこしかなかった。
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