8.生きるということ 4
「コレクションはな、親のいない俺や、カッツェにはまたとないチャンスだ。人生を変えられるんだ。そのために、多少の我慢など平気だ。人生で何一つ失わずにすむならそれはそれでいい。だが、俺の生き方はそんなに甘くない。一つを守れば、一つ失う。その覚悟がなくては、ここまでにはなれなかったさ。」
シンカは思い出していた。
レクトは、ユンイラを壊滅させるために、シンカを当時の皇帝から守るために、愛した女ごとデイラを破壊した。
それが善なのか悪なのか、未だに分からないが、それによってシンカが救われたことは事実だ。
シンカには選べない生き方だと思う。
それをやれというのか。
「カストロワ大公は、今、お前と勢力を二分する存在だ。お前は、大公に敵対するつもりはないだろう。だが、お前がそう考えたからといって、相手がそう受け取るとは限らない。大公の性格なら、お前をコレクションにくわえたいと考えるだろう。ついでに、太陽帝国の実権を握る。」
「俺、わざと彼の前で酔ってみせたんだ。」
シンカの言葉に、レクトは一瞬、驚いた表情をする。
「ほう。」
「コレクションにくわえたいと考えてくれたのなら、まずはそれでいいんだ。大公のような経験も長い偉大な政治家に、上からものを言ったって通じるものじゃないだろ。彼が、無視できないと思うように、仕向ける必要がある。」
「少しは、考えてるんだな。無謀な気もするが。」
「別に、あの人の前で酔っ払ったって、どうってことないよ。それに、俺、大公に少し興味があるんだ。」
「なんだ?」
怪訝そうに見つめるレクトに、蒼い瞳が、いたずらっぽく笑う。
「だって、宇宙一長生きで、もう百数十歳なんだろ?そのうえ、たくさんのコレクションを育てていて、どんな人かと思う。そんなに長く生きてきて、彼は何を求めるんだろうって。」
「知らんな。おかしなことに興味を持つんだな。そんなことより、自分の安全にもう少し気を使えよ。」
「・・大丈夫だよ。俺は。」
少し、遠い目をする青年に、レクトは吸いかけた煙草を忘れている。
そういう顔をされると、どうしても思い出す女性がいる。ロスタネス。シンカの母親。瞳の色も髪の色も、肌の色すら違うのに、どこかが似ていて、思い出さずにいられない。
ロスタネスが、この世を去ってもう三年が経とうというのに。
軍務官の黒い切れ長の瞳は、まぶしそうに青年の顔を見つめていた。
「・・灰。」
「!ああ。」
慌てて、トレイに煙草を押し付ける。
「俺、帰らないからね。」
多少、状態がよくなってきたのだろう、笑顔に力がある。
「ばか。俺に逆らえると思っているのか。」
「嫌だ。」
レクトがベッドに腰掛けて、毛布の上からシンカの肩をたたく。その瞳には、他の誰にも見せないやさしい光が宿る。それを、シンカは気付いていない。
「ドクターの判断なんだぜ。お前に、どうこういえる問題じゃないな。」
「!」
「ガンス。説明してやってくれ。俺は、もうねる。」
リビングにいたのか、ガンスが、顔を出した。
レクトより、五歳くらい年上の女医は、にっこり笑って、すれ違う軍務官におやすみなさいと声をかける。
「ガンス、俺、まだやらなきゃいけないことがあるんだ。」
「陛下。」
小さくため息をついて、初老のぴかぴか肌のガンスは、さっきまでレクトが座っていたスツールに腰掛ける。
「陛下も、よくお分かりでしょう?400ミリの血液を採取されて、通常その分を再生するのに二週間はかかります。それを、毎日だなんて、陛下、すっかり貧血症になっているじゃないですか。しかも、ゲーリントンは陛下の骨髄まで欲しがっている。危険です。」
「・・じゃあ、採血を止めさせれば、ここにいてもいいんだな。」
「いいえ。」
きっぱりと、ガンスは首を横に振った。
「陛下。陛下には休養が必要です。以前から、申しておりました。陛下の成長、ですが。」
ガンスの灰色の瞳が、少し哀しげに見える。
シンカは、ゆっくり上半身を起した。自分の体じゃないみたいな感覚が、まだ、少し残っている。
「通常、人間の成長と老化は同時に起こっているものです。相対成長、陛下もご存知でしょうが、生物の各部分の成長はすべてが同じ速度で成長しているわけではありません。地球人で言えば、頭部及び脳細胞の成長が他の部位よりずっと早い。だから、子供の頭は大人のそれより比率として大きいのです。同様に、細胞自体の成長速度も違う。」
「脳細胞の成長は十代後半で止まりますが、手足など身体の筋肉細胞などは、男性であれば二十代後半まで成長しつづけます。どの時点で、成長が止まったとするのかは難しいところなのです。」
「うん。」
「陛下の、すべての細胞は、永遠に分裂を繰り返すであろうとされています。細胞学的に老化しません。それは、数々の実験でわかっていることです。ですが、それは肉体的成長に終わりがないという意味ではありません。」
「うん。でなきゃ、すごい巨人になっちゃうよ。」
笑うシンカ。ガンスはそれには付き合わなかった。真剣に、シンカが黙って彼女を見つめるまで、じっと、待っている。
「・・・ガンス?」
「陛下。以前から、危惧していたのですが。陛下の肉体的成長は非常に速度を緩めています。同時に、細胞の老化現象も起こらない。予測に過ぎませんが、相当の期間今のお姿のままでおられると。」
「背が伸びないとか、そう言うことじゃないのか?」
「そう、ご理解いただいても結構です。現在もっとも長寿であるセダ星人がどのように成長し老化していくのかご存知ですか」
「ああ。約二百年を基準として百年間で地球人の五十代くらいの様子になると聞いた。後はそれを維持しつつ徐々に老化していくという。だから、残り百年はほぼ同じ姿だと」
「陛下は、今のお姿ということになります」
「え?」
「ちょっと、待って、ガンス。それは、どういうこと?」
「今のお姿からどのくらい成長あるいは老化が進むのかわかりませんが、それは地球人の標準からすれば想像もつかないくらいの時間をかけるだろうと」
「?つまり、このままってこと?」
「はい。もしかしたら、とてもゆっくり、ゆっくり成長しているのかもしれませんが、それは、人の一生と同じものさしで図ることの出来るようなものではないと思われます。」
「!」
シンカが、黙った。
見開いた瞳を、ガンスは、やさしく真っ直ぐ見つめ返す。
それが、真実であることを、その瞳は語っていた。
「・・・俺、このまま?もっと、レクトみたいに、シキみたいに」
「無理です。」
シンカは、額に手を当てて、うつむく。
「きっと、今は貧血だから、だから、身長とか伸びないんだよ。この貧血が治れば、・・そうすれば、きっと。」
ガンスは黙って首を横に振った。
「そんな、そんなことないよ、きっと・・」
ガンスが、やわらかい腕で抱きしめた。この、十九歳にしては幼く見える皇帝は、このまま、成長も老化もしない。そのままの姿で、いつまでなのかも分からない人生を生きつづける。その寂しさは、想像するに余りある。
「俺、いつまで、生きるの?」
「分かりません。」
「俺、俺だけ、ずっとこのままでさ、なあ、ミンクとか、みんな、大人になって、俺だけこのまま?」
ガンスには何もいえない。
「嫌だ、そんなの、嫌だよ。みんなが成長して、年取って、いつか死んでしまうのを、俺だけ残って見送るのか?俺だけが、残されるのか?」
以前から、漠然と不安に思っていたことが、突然目の前に現れたような気がした。その不安をかき消すために、自分自身を知るために、そして、ミンクにできるだけ長くそばにいてもらうために、医学を学んでいるのだ。
それが、・・こんなことになるとは。
「陛下。何も、昨日今日に、止まってしまったのではないのです。身長が伸びなくなって、もう一年経ちます。その間、ずっと、私たちは研究を続けてきました。怪我をしたために成長が止まったのではないか、忙し過ぎて睡眠不足が成長を妨げているのではないか、と。しかし、総合的に見て、ここ半年、成長と呼べる兆候は見えませんでした。」
シンカは、初老の女医を突き放した。
「じゃあ、もう、何しても無駄なんだ。」
そう言った表情には、哀しげな皮肉な笑みが浮かぶ。
「陛下、そういうおっしゃりようは。」
「研修を続ける。帰らないよ。何をしても変わらないなら、もう、とまってしまったなら、俺は自分がしたいようにする。」
「いい加減にしろ、シンカ。」
見上げると、レクトが立っている。シャワーでも浴びたのか、ラフな服装だ。
「・・俺、帰らない。」
つかつかと、歩み寄るレクト。
その、大きな手で、シンカの胸元をつかみあげた。
「レクトさん、乱暴は。」
「俺には逆らうな。」
止めようとするガンスを無視し、レクトはシンカの頬を平手でたたいた。
「・・・。」
「お前は、ずっと生き続ける。少なくとも、俺やミンクよりずっとだ。それを嘆くな。ミンクは、本来ならもっと長く生きられたものを、ユンイラの中毒のために長くはない。そうだろう?それをお前は知っている。だから、死に対する不安を持たなくていいだけ、幸せだと思え。」
「・・」
シンカは、自分がいつか誰かに同じようなことを言った気がした。
「それにな、お前に出会ったものは、幸せだ。最後まで、お前が見届けてくれるんだ。自分がどう生きてきたのか、どう死んでいくのかを、お前はちゃんと見ていてくれる。それに、誰もお前を失うことがない。それは、うれしいことだ。」
レクトの表情は、やさしい。
「少なくとも、俺は、お前が生きていてくれることに感謝しているんだぜ。」
「・・レクト。」
頬に、温かいものが流れる。
レクトは黒い瞳を細めて、微笑んだ。
「泣くな。とにかく、お前のここでの役目はもう、終ってる。地球にもどれ」
「…あと、一週間なんだ」
「だめだ。いいか、明日迎えに来る。逃げるなよ」
青年の金色の前髪を、くしゃくしゃとなでて、そっと抱きしめる軍務官を、ガンスは満足そうに見つめていた。
冷酷とうわさされるこの男が、こんなにやさしい人間だということは、身近な人間にはよく分かっていた。だから、ガンスは、レクトの部下でいることを望んだのだ。
レクトに、なだめられ、とりあえずベッドに横たわったシンカだったが、やはり、研修を途中で止めてしまうことに抵抗を感じていた。
ユージンを放っておくわけにも行かない。
シンカは、まだ夜が明けないうちに、そっと公邸を抜け出した。
引きとめようとしたミストレイアの警備員たちには、申し訳ないが少し大人しくしてもらった。
研修に必要な端末と、資料の入ったデータ。白衣と、携帯電話。シキにもらったナイフ。それだけをリュックに詰め込んで、まだ、青い闇が占めるセトアイラスの郊外を、ただ歩いていった。
木々のない公園沿いに進むと、早朝のランニングをするおじさんや、犬の散歩をする女性など、ブールプールで見た朝の風景に似た光景がある。
少し大きめのバッグを背負った青年を、皆ちらりと見ては、それぞれの日常に戻っていく。きれいに整った顔立ち、白いコートに蒼いマフラーを首に巻いた姿は、印象的だ。今は、金色の髪蒼い瞳のまま、本来の彼のままだ。気付かれる危険もあったが、染めている時間はなかった。
どこかに、適当なホテルを見つけて、そこで染めよう、そう考えていた。
公園を抜けると、向こうに墓地らしき丘陵地が見える。そこにも植物はなく、タイルできれいにモザイクを施された丘に、白い墓標が並ぶ。
確か、この墓地に、アイリスが葬られたと聞いた。シンカの足が、そちらに向く。