8.生きるということ 2
三日後、研修も残り一週間となったその日、シンカは一人きりの休暇を迎えていた。
ユージンをガンスに預けてから三日がたっている。今日は時間が取れるので、様子を見に行こうと考えている。
あの日以来、会っていない。セトアイラスから遠い郊外にある、太陽帝国基地内の病院に入院していた。そこにガンスも詰めてくれている。通信では様子を聞くものの、直接会うことはためらわれた。まとまった時間も取れなかった。ガンスの話ではかなり落ち着いて、シンカを探して逃げ出そうとしたり、暴れたりということもなくなったという。
しかし、落ち込んで考え込む様子は、今だ見られるという。
俺が行くことで、彼女に与える影響がどの程度あるのかは、分からない。
シンカは朝食を済ませると、昨日の中央政府からの報告書にもう一度目を通す。
「陛下、お下げしてよろしいでしょうか。」
ダイニングの椅子に片足を抱えて座り小さな端末のファイルを眺めるシンカに、メイドの女性がにっこりと笑いかけた。慌てて膝を下ろし、うなずく。そういう姿勢ははしたないと、よくユージンに怒られた。ミンクなどは両膝抱えて座ったりするので、その姿を見るたびに「とても、ユージンには見せられない」と思ったものだ。
甲高いコールで、セキュリティシステムが来訪者を告げる。
「?」帝国軍の迎えにはまだ早いが。
端末のスクリーンを切り替えると、門の外、車の運転席で笑うゲーリントンが映される。
なぜ、ゲーリントンが?
嫌な予感を覚えながらも「おはようございます。」とカタチどおり挨拶する。
「おはよう。迎えにきたよ。」
短い金色の髪を朝日に光らせ、教授は笑った。
迎え?
何のことだ…。
「あの、今日は」ユージンの見舞いの予定がある。
言いかけるシンカに、教授はたたみかけるように話した。
「今日は、君に見せたいものがあってね。」
一瞬眉をひそめたが、シンカは教授を迎え入れた。
いつものシルバーの車で建物の正面に横付けすると迎えに出たシンカに握手して、いかにもいい人そうな振りをしている。
「今日は、顔色がいいね。おはようございます。」
シンカの肩に手をおき、警備しているSPたちに愛想のいい笑顔を向ける。
「今日は、採血はなしですよ。」
つまらなそうな顔をして蒼い瞳で見つめる青年に、教授は微笑んだ。
「そこは、君次第だが。」
「じゃあなしで。教授のいうとおりにしていたら体が持ちません」
リビングのソファーに座るとゲーリントンは伸びをして、室内を見回した。メイドにコーヒーをもらうと、にっこり笑う。
「うん。いい香りだ」
コーヒーをおいしそうに飲む男にシンカはやりかけた仕事のファイルを閉じると、正面に座った。
「あの、ご用件はなんでしょう」
シンカを見つめて目を細め、わざとじらすつもりなのか黙ってコーヒーを飲み続ける。
シンカが溜息とともに自分の目の前のカップに視線を落とすと、やっと教授は「話というのはね」と口を開く。
「マリアンヌの精密検査の結果が出たんだ」
「!」
「ユンイラの成分があることは言ったね。見てみなさい。」
眉をひそめるシンカに持っていた荷物からカルテを取り出して見せた。
「黒髪の彼に、君のものと同じユンイラがあるんだね。マリアンヌの体内のものも、君と同じC1だ。」
「!」
示されたカルテから、シンカは目が離せない。
「でも、シキはほとんどユンイラを使ったことがありません。幼児期に一度服用し、後は怪我をしたときに一度、僕の血液で治したくらいです。その程度で遺伝するほど彼の中にユンイラが蓄積するとは思えない。妊婦が使用したならともかく。」
「君のは、特殊なんじゃないのか?」
そんなはずはない。シンカは何度も示されたファイルを眺めた。
「マリアンヌも、姿は違うが、デイラの住人のようになる可能性はあるな。内臓の状態はあまりよくない。」
俺のユンイラのせいだとでもいうのか?
以前、そう、皇帝になる前、ひどい怪我をしたシキを助けるために、俺の血液を患部に当てた。それが今も残っているというのか?
「その報告のとおり、彼女の白血球中には、c1−yunilla成分が見られる。」
「具体的な症状はあるのですか?」
「今のところはないね。しかし、まともな成長と、普通の寿命は保証しかねる。健康とはいえないね。」
そこで、教授はにやりと笑った。漆黒の瞳が、細くなってシンカを見つめる。
「そこで、君には協力してもらわないとねえ。君の血液内のユンイラ因子は、変異し易くてね。なかなか、成分を維持したまま培養ができないんだ。」
「それで、また採血ですか。」
シンカはため息をついた。提案してみる。
「帝国研究所で完成した製剤は経口薬です。それではいけませんか。」
「製剤を少量作るだけなら、私だって可能だ。しかし私は、培養し研究したいのだ。対症療法ならそれでいいだろう、マリアンヌの症状が悪化したときには役立つ。しかし、それでは根本的な解決にならない。彼女は一生薬を飲みつづけなくてはならないし、それだけの薬を君の血液からだけ作成することは不可能だ。」
「植物由来ではだめですか?」
「成分が違う。植物由来因子は副作用が激しい。寿命を縮めてしまうだろう。」
「では僕の、骨髄のクローニングを、進めろと?」
教授はにっこり笑った。できのいい生徒にする表情だ。
「そのとおりだ。君の骨髄組織を複製することで、血液を作り出すことができる。」
現在のクローニング技術は進んでいる。皮膚や内臓の複製は当然のように行われる。資産あるものなら、自分の健康な状態の組織から培養した自らの臓器をバンクに預けている。
血液の培養がもっとも難しく、理論的には可能なのだが、他の臓器のようにバンクに預けておけるようなものではない。血液はもっと簡単な、冷凍保存が一般的なのだ。帝国の研究所で、シンカの血液も冷凍保存されている。それから製剤を作るのだ。
「考えさせてください。」
シンカは目を伏せた。
マリアンヌのカルテにある内容は、彼女の内臓が植物由来のユンイラ因子の禁断症状に似た症状で弱っていることを示している。シンカの成分では、内臓は傷まないはずなのだ。しかし、白血球中にあるユンイラ因子は、シンカのものだという。少し、腑に落ちない。
ミンクに、経口薬を投薬するのは、彼女がもともと植物由来因子の中毒症状を持って生まれているため、体内に一定濃度のユンイラ成分がないと機能障害を起すからだ。それを補うために、副作用の少ないシンカの血液製剤を与えている。
もし、マリアンヌが本当にユンイラの中毒症状で内臓の機能障害を示すなら、それは、血液中の植物由来のユンイラ因子が不足しているということになる。しかし、この検査結果では、ミンクが必要とする濃度と同じ、いや、それ以上に多い。矛盾しているように思う。
ミンクですら、半年しか体内に留めることができないユンイラの成分が、生まれてから一度も服用していないマリアンヌに、これほど含まれるというのはおかしなことだ。
この検査結果に偽りは無いのか?
シンカは教授を見つめた。
「何かね?」
「いえ。」
マリアンヌの検査を、ブールプールでもう一度行う必要があるな。シンカは、そう考えた。
「教授、僕、これから用事があるので。」
「ユージンのところにいくのだろう?」
「!」
「一緒に行こう。」
シンカは立ち上がった。その蒼い瞳には怒りの色が伺える。それを見て取ると余計にゲーリントンは楽しそうなのだ。
「教授。この間、彼女にファルクノールを注射しようとしたじゃありませんか。俺も無理矢理眠らされた。本来ならいつでも、貴方を拘束し逮捕できるんですよ?」
「ふん。あれは悪かった。いや、まさかあれですぐに眠ってしまうとはねぇ。普通の人間には悪い薬じゃないんだがね。あの日は代わりに私が宿直をやってあげたじゃないか。まあ、機嫌を直しなさい」
普通の人間じゃないことを承知でやったくせに。
悪びれない様子の教授に、シンカは「この人になにを言っても無駄か」と内心溜息を吐く。
リビングの電話が鳴った。
「おかまいなく、どうぞ。」
メイドを呼んで、コーヒーをお変わりしようとしている教授を睨んで、シンカはスクリーンを開いた。
ガンスだった。少し、白いものの混じる地味な髪型の彼女は、肌つやだけピカピカしていて、清潔感にあふれている。白衣がとても似合う。
しかし今はいつもの笑顔ではなかった。
「陛下。すみません。」
「ガンス、これから行くよ。どうした?何かあったのか?」
相手の表情が緊迫しているため、シンカはわざとやさしく笑う。こういう時、まず、相手をなだめようとする性格はどこからくるのか。
「陛下。ユージン・ロートシルトが、行方不明なんです。」
「!帝国軍基地の中で、か?あんなに、警備も厳しいのに?」
向こうで、おやおやと、つぶやくゲーリントンの声が聞こえる。無視して、シンカはガンスの言葉に集中する。
「はい。それが、昨夜まで確認していたのですが、今朝になって行方が分からないのです。軍病院内は自由に行動できるようにしていたので、探したのですが、どうも、病院から出てしまったようなのです。基地内は今捜索しているところです。」
「彼女は一人で出られる状態だったのか?」
「いえ、そこまで回復していたとは思えないのですが。すみません。」
しかたない。ガンスは専門の精神科医ではない。しかも、ユージンの症状も、通常のものと違うはずなのだ。
「わかった。もし、基地外に出たのであればそこでは手におえないだろうから、情報部に、レクトに連絡するよ。ガンスすまなかった。動きがあったら連絡するから、そこで待機していて欲しい。警備主任のノデク少佐にレクトから連絡が行くと思うから、その旨、伝えておいてくれ」
「はい。申し訳ありません。」
通信を切ると、いつの間にか横に座っていた教授が二杯目のコーヒーを口に運びながら、ふふんと笑った。
その態度に腹が立って、シンカは睨みつけた。
「教授、というわけで多忙ですので、お引取り願えませんか?」
冷たく言う。
「おや、多少は協力できると思ったのだが。残念だねえ。」
「!何か、知っているんですか?」
ゆったりとソファーにもたれて、コーヒーを飲み、天井を見上げるゲーリントン。プラチナブロンドの短めの髪がきらりと揺れる。
漆黒の瞳は、まだ笑いをたたえている。
「教授!答えてください。」
「研究所に、来るだろう?」
「……」交換条件か。
「それに、今の君に、何かできるのかな?せいぜい、帝国軍を使って捜索を手配するくらいだろう。そんなこと、十分もあれば終わってしまう。その後の時間を、どうするんだ?この間のように、意味もなく探して回るのかな。」
くすくすと笑う男。
「それに付き合ってあげてもいいが。」
「もう一度、聞きます。ユージン・ロートシルトの行方について、何か、ご存知なのですか。」
ひどく丁寧に、シンカは確認する。
「ああいった症状の患者はね。」
コーヒーのカップをテーブルに置きながら、ゲーリントンは言った。
「鬱症状と、それによって弱った体力が改善し、少し自分の状態がわかってくる頃に、最も危険なんだ。何が起きているのかがわかり始めると、自分が何をしていたのかも分かってしまう。それを自力で改善できずにいる自分に気付き、絶望する。自殺願望が出てくる。死ぬことが、一番の幸せだと思い込む。成功するまで自殺を繰り返す。」
シンカも知っていることだった。今、ユージンが一人で出歩くのは危険なのだ。
拳を握り締めた。
教授の思惑通りじゃないか…。
「お願いです。ご存知なら、教えてください。今から、採血してくれてもかまいません。だから、お願いです。」
「じゃあ、一緒においで。」
レクトに連絡をとり捜索の手配を依頼すると、シンカは車で待つエドアス・ゲーリントンの元へ向かった。
カッツェの言葉を思い出していた。
そろそろ、協力してやったらどうだ?ユンイラには、みな期待しているんだ。人類が、それを有効利用すれば、誰もが、どんな環境でも生きていける。場合によっては、すべての病気から開放されるかもしれない。
今まで忙しさにまぎれて考えずに来た。もっと自分自身、研究内容について勉強してからと、思っていた。
もう、その時期なのかもしれない。
ユンイラの存在は、初めて紹介された時、医学会に衝撃を与えたという。それは、惑星リュードに研究所ができて十年後だったというからもう二十二年前になる。その間、研究が進まなかったのは惑星リュードが未開惑星保護条約により限られた研究者しかその地に降り立てなかったからだ。さらに、ユンイラが『約五百年前の大噴火によって環境の悪化した惑星リュード』という限られた条件でのみ発生した植物で、栽培が困難だったからだ。リュードでも、『大気の毒』と呼ばれている毒素が減ってきていて、つまりユンイラは既に絶滅しかけていた。
二年前には、惑星リュードで唯一の栽培所が破壊され、太陽帝国がやっと開発した宇宙ステーションの栽培施設も、レクトの手によって破壊された。
ユンイラの研究によって、当時の太陽帝国がさらに多くの惑星を支配しようとしていると、惑星保護同盟が危惧したためだ。今は、太陽帝国はそんなつもりはない。同盟とも上手くやっている。研究を許可したところで、社会的混乱が起こるわけでもなかった。
ただ……。
「いいかげん、自分が研究者にとってどれだけ魅力的な検体か、理解したほうがいいね、君は。」
車を運転しながらゲーリントンが言った。先ほどから、黙り込んでいるシンカをちらちらと横目で見る。
「切り刻まれて、いい気分になる人はいないと思うけど。」
「人間であれば意志も尊重されるが。倫理問題だなんだとね。しかし、きみは人間とは違う。」
「!」
「君が皇帝でなければ、今ごろはとっくに研究所住まいだ。」
シンカは教授を睨むと黙って横を向き、窓の外を眺める。
今は金色の髪が窓に映る。蒼く特殊な光を宿す瞳も、少し屈折して見える。人間ではない、植物でもない。そういう生き物。
初めて知ったときの悲しみが思い出され、胸にちくりと刺さる。
「ま、せいぜい、その地位を守るんだね。」
ゲーリントンの冷たい言葉が、ますます気分を重くさせた。