8.生きるということ
セトアイラス政府の惑星政府庁舎は、その色彩ゆえに白亜宮と呼ばれ、セトアイラス市の真中にある。地球のブールプールとは違い建物の高さの制限が低いここでは、その建物も地上十五階までしかない。セトアイラス市の夜間規制は厳しく、抑え目のネオンサインは十九時を回ると消される。
静かな街。寝静まっているのではない。市の中心部には、人々が生活する場はない。すべて研究機関や大学、政府庁舎などで占められているため、ひっそりとあちこちに見える明かりは、夜を徹して続けられる研究や実験が行われているのだ。市の外周部分に高級住宅街が取り囲むようにあり、さらにそこから離れる郊外に、商業都市や治安の悪い貧しい地域が点在する。
その静まり返った政府庁舎の一番奥にある大公官邸に、栗色の髪の男を乗せた専用高速艇が到着したのは、午後二十時を回っていた。
既に無人と化している特別車両用ゲートを、静かに滑り込むようにその黒塗りの車は走る。普段は地上一メートルほどのところを走るのだが、ゲートなどでは電磁石帯が別に設けられているので、それにあわせた高度となる。
降り立った長身の男は、ごくシンプルなチャコールグレーの上質なスーツに白金の折柄のあるマフラーをはためかせている。シンプルなスタンドカラーに、小さく鈍く光るバッジは太陽帝国軍の高官であることを見せつける。
これが、太陽帝国軍の制服だ。
特に派手なところはない。彼の中でもっとも派手なのは、その切れ長の瞳を宿した、堀深い顔立ちくらいだ。
身分を証明するものは、何も要らない。
なぜなら、彼の顔を知らない政府関係者はいないからだ。
太陽帝国軍、軍務官。若干四十三歳の彼がこの宇宙の三分の一以上を治める太陽帝国の、軍隊を率いている。最強の軍神と恐れられ、その過去の偉業は今も畏れとともに語り継がれる。
リドラ人特有の恵まれた体躯。百九十センチ以上の身長、均整の取れた肉体は、地球人にはないしなやかさと、たくましさを持つ。淡い褐色の肌に、短く整えた栗色の髪。黒い瞳は鋭くあたりを見つめる。
彼を、大公カストロワは待ちわびていた。
「おお、久しぶりだな。レクト。」
セダ星人特有の淡いグリーンの顔をほころばせ、見かけは五十くらいの大公は、軍務官を迎えた。
長いマフラーを外して従者に渡すと、軍務官は挨拶もそこそこに、大公の執務室に入っていく。従者に出て行くように手で合図する。
その傲慢な態度も、彼の存在感は許してしまう。
「大公、お元気そうで何よりです。」
テーブルを挟んで大公を見つめながら、レクトは言った。
「お前こそ、変わらんな。」
大公は明らかに嬉しそうな表情を隠せない。
「カストロワ大公。こんな遅い時間に申し訳ありません。」
「うむ?」
「話は大公にとってあまり嬉しくないものかと思いますよ。」
にんまりと笑う元コレクションに、大公は気持ちが高ぶる。この作品は、本当に素晴らしい。手におえないのが難点だが、これほど心くすぐる存在はいなかった。
「なんだ。」
落ち着いた振りをしながら、大公は言った。取って置きのブランデーを持ち出すあたりは、そのはしゃぎようが知れるというものだが、目の前の男はそんな細かいことに気付くタイプではない。
「迦葉をご存知ですな。」
「地球の地下組織だったか。」
「あれがこちらにも組織を広げていることをご存知ですか。ゲーリントンの研究所に密猟品を卸していましてね。」
「ほう。初めて聞いたな。」
レクトが彼の年齢ほど寝かされた琥珀色の液体を口に含むのを見つめながら、大公は答えた。
「それが、どうかしたのか。」
「大公。エドアス・ゲーリントンに何か悪さをさせていませんか。迦葉に絡むのは得策とは思えません。」
「ゲーリントンは勝手に何でもやるのだ。お前に似てもいる。」
穏かに微笑む大公にレクトは眉をひそめた。
「私はあそこまで馬鹿じゃありません。」
「シンカに対する固執の仕方は同じだと思うがね。」
「ふざけるな」ゆっくりかみ締めるように言葉にする口元は笑っている。黒い瞳は決して笑ってはいない。誰もが恐れ、冷酷と呼ぶその表情を、大公は楽しんでいた。
「懐かしいな、お前のその口調は。」
「一つ、大公。お教えしますよ。太陽帝国軍情報部は、迦葉の壊滅を図っています。その舞台が、場合によっては、ここセトアイラスになるかもしれません。」
「ほう。」
「黙って、見ていてください。」
「嫌だといったらどうする。」
「シンカを、手に入れたくはありませんか。」
挑むように見つめるレクトに、大公の金色の瞳が輝いた。
「私に、くれるというのか?」
軍務官は肩で笑っている。あまりにも、大公の反応が素直すぎた。
「冗談です。太陽帝国皇帝を、私があなたにさしあげるなんてこと、できるわけはないでしょう。コレクションと同じくらい、大切にして欲しいとは思いますがね。」
「お前は……」
しらけた様子で、大公は軍務官を睨んだ。
「お前ほど、私の恩を感じない男はいなかった。」
「では、具体的に要求すればいいでしょう。見返りはこれだ、と。」
大公は、大きく息をつく。
それではコレクションの品位を損ねる。
「相手に一方的に求めさせておいて、自分は欲しがらない振りをする。人が悪いにも程がありますな。」
レクトは小さく笑って、立ち上がった。
「感謝はしておりますよ。レイス。」
そう言って立ち去る男を、大公は眺める。
かわいいのか、かわいくないのか。いつも決めかねる。
だからまた、顔を出してくれる日を待ってしまうのかもしれない。