6.力があるということ
「ルー、今日の処置は完璧だった。よかったわよ。」
カフェで遅い昼食を取るシンカに、ドクター・マクマスが話し掛けてきた。もう食べ終わったようで、女医はコーヒーのカップだけを持ってシンカの隣に座った。
四十代のマクマスは少しぽっちゃりしているが肌つやがよく、精力的に仕事をこなす姿は雄雄しいくらいだ。小柄なのに存在感が大きい。シンカはこの内科医を尊敬していた。
「ありがとうございます。」
「ねえ、そんなに食べて大丈夫?」
マクマスはシンカがほお張るサンドウィッチと、さらにトレーにある空の皿を見ながら呆れ顔だ。
「この間ミオにも言われました。」
苦笑いするシンカ。
「僕、もう少し身長欲しいんです。あまり忙しく仕事すると成長が止まるなんて、医者に言われたので。できるだけ栄養とって、もっと大きくなりたいんです。」
「今、いくつあるの?」
「百七十五センチです。目標は百九十なんだ。」
微笑む青年の黒い瞳。
マクマスは、つくづく自分の年齢を感じずにはいられない。
「今でも十分だと思うけど。百九十は、多分無理だと思うわよ。」
「だめなんです。僕の友人、年上が多いんですけど、みんな僕よりずっと大きいんです。そうすると、いつも僕だけ子供みたいでいやだから。ただでさえ童顔でよく十六、七に見られるんだ。」
「やっぱり十代の男の子ねえ。」
くすくす笑う女性に、シンカは少し照れて反論する。
「でも、ドクター、体格の差はそのまま、力の差になっちゃう世界もあるし。」シンカの言うのは格闘技の世界のことだ。マクマスに通じる話ではないが、女医は笑って流した。
「はいはい。食べなさい。それだけ食べれるなら、心配ないわね。」
心配してくれていたのだ。
アイリスを、亡くしたばかりだから。
「大丈夫です。僕より、ゲーリントン教授は大丈夫なんですか?」
皿に視線を落とすシンカにマクマスは溜息で応える。
「彼はいいのよ。ユンイラをまだ認可されていない処方で試したのも、彼は承知でやってる。あの場にいた看護師たちもシンカが止めるのを聞かずに教授が行ったと、証言しているの。まあ、今回の患者さんは起訴することはないようだから大丈夫だけれど、院内の倫理委員会は動き出しているわ。ルー、あなたも事情を聞かれることがあると思うわ。」
「はい。あの、あの時使ったユンイラについて、教授は何て言っているんですか?」
「入手ルートの公表は拒んでいるわ。あれがどんなものであるかは、学長たち上の人は知っているみたいよ。」
「そうですか。」
「君は知っているの?ゲーリントンと一緒に彼の研究所に行っていたそうね。」
「いえ、知りません。」
苦しげに目を伏せる青年に、マクマスは強い視線を送る。
知っているのね。そう、確信している表情だ。
その頃、エドアス・ゲーリントンは慣れた様子で、政府庁舎の最上階に降り立った。
エレベーターのエントランスから、いつもの馴染みの秘書に手を上げて挨拶すると、カストロワの執務室に入っていく。
その表情は不敵に微笑んでいる。
迎え入れたカストロワは、不機嫌だった。
「『c1-yuniila』を使ったそうだな。お前が、皇帝を過去に研究したことがあるのは知っていたが、なぜ皇帝の血液製剤を持っているのだ。まさか、当時のデイラ研究所から持ち出したわけでもあるまい。」
執務室の机で書類を前にしたまま、大公は若い教授を見つめた。
ゲーリントンは、繊細とも取れる容姿に神経質な笑みを浮かべた。
「大公、お分かりでしょう。私がデアストルの正体に気付かないはずはありません。皇帝陛下、あのデアストルが協力を願い出てくれましてね。少々、血液をいただいたまでです。太陽帝国皇帝からの申し出を断るわけには行きませんからね」
「それを患者に使えと、陛下が命じられたとは思えないが?」
「彼はあの患者に入れ込んでいましたのでね。研究者としてはまたとない機会です。試してみる価値はありました」不敵な笑みを浮かべたままゲーリントンは悪びれない。
「現在、太陽帝国では、植物由来以外のユンイラの成分を採取すること、また、皇帝陛下のDNAを含む物質を入手すること、いかなる目的の研究にも使用することを禁じられている。分かっていてやったのか?」
「ご本人が、そうしたいとおっしゃったのです。」
「ゲーリントン。」
金色の不思議な光を放つ瞳で、カストロワは自分の年齢の四分の一程度しか生きていない教授を見つめた。
「大公。大丈夫ですよ。私は必ず研究を成功させて見せます。」
大公と学長だけが知っている皇帝陛下のセトアイラスでの活動を公表するわけにも行かず、つまりは倫理委員会がどう動こうが、あのユンイラの出所を突き止めることはできない。それを分かっていての行動なのだろう。
あまりにゲーリントンがエスカレートするようなら、処分すればいい。
大公は百十数年生きて生きた中で、こういった人間を何人も見てきた。学者にはありがちだ。倫理観は欠如している。行動が予想できるだけに面白みにかける存在だ。
唯一、こういうコレクションをほめるとすれば、決して逆らわないことだ。言いつけたことは守る。
これが、カッツェならこちらが口出しすることなどできないほど、完璧な生き方をする。レクトもそうだ。しかし、あの二人の腹の中は分からない。それがまた、面白い。表向きもそう簡単には言うことを聞かないレクトなどは、噛み付いてみたり寄り添ってみたり、飽きない存在だ。
大公は座っていた椅子を窓がわに向けると、体重をかけた。
ゲーリントンは黙って立ったまま、その薄い緑が勝った肌の横顔を見つめていた。
「コレクションにもいろいろある。」
「はい?」
「私のコレクションにどんなものがいるのか、お前は知っているか。」
「はい。現在の太陽帝国大臣十二名のうち八名までが大公のコレクションです。他の惑星政府内にも多くの地位の高い人物をお持ちと思いますが。」
「ふん。私が今欲しいのは、金色の髪の蒼い瞳のあれだ。」
「!それは、お気持ちが分からないではありませんが。」
ゲーリントンは内心驚きつつ、言った。別に皇帝に肩入れするわけではないが、この大公の勢力に、皇帝の勢力が取り込まれてしまえば、この宇宙はこのセダ星人の思うがままだ。
それが自分にとってどう転ぶかは分からないが、あまりいいことのようには思えなかった。その上、もしコレクションにシンカが入ってしまえば、下手に手出しできなくなる。いや、逆に、いいのかもしれない。
今はかなり危ない橋を渡っている。ちょうど非公式な旅行中で、しかも期間限定の研修中だからこそ、あれも言うことを聞いているのだ。もし大公のコレクションともなれば、上手く大公を丸め込んで、研修が終わってからも皇帝の専属医師のような形で研究を続けられるかもしれない。
「ゲーリントン、お前に協力して欲しいのだ」
「はい」
教授は細い眉をピクリと動かし、口元に薄い笑みを浮かべた。
「なんなりと」