4.熟成されたワイン、友人、コレクション3
シンカが目覚めたとき、公邸の寝室にいた。
起き上がって、見回す。
すっかり明るくなった部屋は、きれいに片付けられていて、昨日出かける前に散らかした書類がない。
研修のレポートを書きかけていたんだけど、どうなったのかな。
まだ、少し眠い眼をこすって、シンカは執務室に向かった。
そこも、静かだ。
いつものお気に入りのアルパカのショールを肩にかけると、パジャマのまま、リビングに行く。
「お、起きてきたのか。」
黒髪の男が大きな口で笑いかける。
「!シキ!いつ来たんだ!」
嬉しそうに、かけよる青年。
「おう、昨日な。聞いたぞ、お前、大公の前で酔っ払ったとか。みっともねえなあ。」
「ちぇっ、話したんだユージン。あ、そうだ、ユージン。大公にワイン、もらったかな?」
「はい。ちゃんと、しまってあります。ほんとに、心配させないでください。ミストレイアの警備の方にここまで運んでいただいたんですから。」
秘書官が美しく笑う。朝食をテーブルに並べている。
「・・ごめん。でも、シキ、シキがほしがってたワイン、もらったんだ。」
嬉しそうに笑うシンカ。
「分かったから、おい。何そんなにはしゃいでるんだよ。」
落ち着きなく、身支度したり、大学のことを話したりするシンカに、シキは不思議そうな目を向ける。
シキは分かっていないのだ。
シンカが、どれほどユージンとの生活に苦しんでいたのか。頼りになる友人が来てくれたことで、やっと、この研修旅行を楽しめそうな気がしてきていた。
「まるで、十七のときと同じだぞお前。ちっとも、皇帝らしくない。」
「あら、シキさんは陛下のご幼少の頃をご存知なんですか?」
ユージンがシキに微笑みかける。きっちりした姿の美しい秘書官が微笑みかけると、彼でなくとも照れる。その微笑の効果がないのは皇帝陛下くらいのものだった。
「いや、俺は、あいつが十七のときに出会ったんだ。背もこんなしかなくてさ。」
「そんなに小さくなかったよ!いい加減なこと言うなよ。」
笑う二人。
「ね、ユージン。今日午前中はシキと遊んでいいかな。」
朝食を、一人でつつきながら、まるでお母さんに許可をもらう子供のように、シンカは言った。
「ええ。どうぞ。午後にはお帰りください。会議がありますので。」
「うん。分かった。」
久しぶりにあう、皇帝の姿に、シキは目を細める。レクトに、様子を見てくれといわれたが、元気そのものではないか。
相変わらず、大して伸びてない身長、白い肌、大きな瞳。お気に入りのレンエの実も毎日食べているらしい。これが、医者の真似して患者に向かうんだから、不思議だ。想像がつかない。彼の中では、シンカは出会った頃のまま、恐いもの知らずの、十七歳の少年なのだ。真っ直ぐに人を見て、よく笑う。
「セイ・リンとマリアンヌはどうしてるんだ?健診は終わったんだろ?」
彼らは、マリアンヌの健診のために、セトアイラスにきたのだ。
太陽帝国と、それに属さない惑星政府が共同で組織する、惑星保護同盟では、シキやシンカの生まれた惑星、リュードを、未開惑星として位置付けている。
それは、惑星の探査から入植までに最低五十年の調査期間を設け、その惑星の環境や先住民の文明を侵害しないようになっているため、調査期間が、まだ三十二年のそこは、未開惑星、なのだ。現在リュード人でその惑星外に出ているのは、シンカ、シキ、そしてミンク、ただ三人だけなのだ。未開惑星の先住民を、それ以外の地に移住させることは禁じられている。
ただ彼らだけはシンカが皇帝の後を継いだため、今ここにいる。
宇宙にたくさんある惑星のそれぞれで発展してきた知的生命体、ここでは惑星人というが、それらの関係は種を異なるものとすることが多い。(種とは、自然条件のもとでその構成員が自由に交配できるような集団のことである。)
事実、リドラ人と、地球人は自然に子供を作ることはできない。遺伝子上の問題なのだ。また、セダ星人は他のどの惑星人との間にでも、子孫を残すことはできない。逆に、セダ星人以外のすべての惑星人と交配可能な惑星人種もある。だが、それらの相関図は複雑になり、人類の種分類は非常に困難で、まだ混沌とした進化過程にあるとされる。
これらの惑星人種に関する研究の末、生物学的種概念でいう惑星人種として確立されているものは、現在、六種ある。この広い宇宙で、たった六種ということ自体、この分野の研究がいかに混沌としているか、伺い知れる。
リュード人のシキと、リドラ人のセイ・リンとの子供は、自然に授かったものである。つまり、マリアンヌは確立された人種として知られるリドラ人とリュード人との自然交配の結果の、宇宙で初めての子供ということになる。そういう亜種(通常父親の人種を使ってリュード亜種と呼ばれる。)は、太陽帝国の法律により、生命の維持と保護、調査を義務付けられている。その健診のために、彼らは、ここセトアイラスに来ている。
「ああ。この気候だろ。ブールプールじゃ春だってのに、こっちはずいぶん寒いんだな。おかげでマリアンヌが風邪引いてな。本当は、来たがっていたんだが。悪かったな。」
「そうか。心配だな。シキも本当はすぐに帰ってやりたいんだろう?」
ミストレイアで、「黒髪の獅子」と呼ばれた彼が、かなり子煩悩だといううわさを聞いた。
「馬鹿言うな。俺は、久しぶりに地球から出られて、羽を伸ばしたいんだ。」
黒髪に黒い瞳の男は、大きななりで伸びをする。
「いいのかな、そんなこと言っていてさ。」
シンカが、ジュースを飲んでいる隙に、シキがレンエの実を一つつまんだ。
「あ!だめだよ。俺のだ!」
「おいおい、子供じゃないんだからさ。」
「俺の好物って知ってるじゃないか!意地悪だな!」
すねる皇帝の額をぴんと弾く。
「いてっ。」
くっくっく。シキが笑う。
「可愛いなあ、お前。」
赤くなって、黙るシンカ。
「陛下、陛下。すみません。」
ユージンが、少し緊張した表情で、シンカの横に立ち、耳元で告げた。
「ゲーリントン教授から、お電話です。」
「え?」
ここの番号を知っているはずはなかった。
シキと軽く目を合わせて、青年は執務室に入っていく。
画面に触れると、通信が再開される。
向こうに、ネクタイを締めて、きちんと白衣を着込んだ教授が、微笑んだ。
「おはようごさいます。」
「すまないね、オフの日に。」
「いえ。・・あの、ご用件は?」
「君に、見せておきたいものがあってね。今日の午前、私の出張に付き合って欲しいんだ。」
「え、・・はい。」
シキとの、遊びが・・。
「大学の官舎で待っている。すぐにおいで。」
「はい。」
画面が、暗くなってからも、シンカはぼうっと見ていた。
何で、俺に声をかけてくるんだろう。
しかも、こんな、タイミングで。
よほど、沈んだ表情だったのだろう、シンカがリビングに戻ると、シキが声をかける。
「大丈夫か?」
「陛下?」
「うん、ごめん。シキ。教授に呼び出された。出張について来いって。」
蒼い瞳が、寂しそうに微笑む。
「まあ、仕方ないな。俺は、まだ二週間はこちらにいられるんだ。しかも、仕事じゃなく、な。だから、いつでも呼べよ。」
「分かった。ほんとにごめん。」
うつむく青年の髪を、くしゃりとなでて、シキは笑った。
「お前が選んだんだろ?」
「チェッ。」
そそくさと、支度して、シンカは二人に見送られる。
車の中で、運転手にもシンカが落ち込んでいるのがよく分かった。
「忙しいんだな。」
車が見えなくなると、シキは秘書官に微笑む。
「はい。本当は、もっとお時間を作って差し上げたいのですが。なかなか調整が難しくて。」
「あなたも大変だな。」
「大変なのは陛下のほうですもの。私は大丈夫です。」
リビングに戻って、シキは飲みかけのコーヒーを口に運ぶ。大丈夫、か。つらい思いをしている人ほど、その言葉を使う。
ユージンが、思いつめた様子でシキの正面に座った。
「あの、聞いていただきたいことが。」
「ん?」
秘書官は、美しい瞳を潤ませて、黒髪の男を見つめた。