03
数年前から、『世界』は少女を選び、困窮の地へ送り込むようになった。
選ばれた少女は皆美しく聡明で、男たちを虜にする魅力を持っているという。そしてその華奢な体に似合わぬ、世に蔓延る悪を一掃してしまう力を秘めている。
神子、聖女、あるいは天女。土地によって様々な名で呼ばれる彼女たちは、送り込まれた別の国でその力を使って人々の心に蔓延する闇を払い、周囲の者たち…特に見目の美しい男たちをかしずかせた。中には国の王子を射止め、見事正妃の立場に収まったものもいるという。
その少女たちは自分の待遇に喜んだ。ほとんどが自らの世界に帰らず、送り込まれた土地で骨を埋めるものばかりだったらしい。
こうして国は救われ、愛し合う二人は末永く幸せに暮らしました、と結ばれる。おとぎ話のような―――とても信じられない話だ。
唐突に見知らぬ土地に放り出されて、心細くならないわけはあるまい。例え男の人たちに優しくされたとて、それは全員別の土地の、見知らぬ人たちだ。寂しさが癒えるかと言えば違うだろう。
この世界の魔王と名乗った怪しげな男に連れられて、おどろおどろしい城に招かれた(俗に言うワープをして来た)千尋と澪が聞かされた話は、あまりに荒唐無稽でしばし呆然としていた。
やがて、千尋より先に我に返るのが早かった澪が、魔王に食って掛かるように言った。
「それが、その少女が、私だって言うの?私のせいで千尋がこんな目にあったの…!?『世界』って、何なの…!?」
「一つずつ答えよう。お前がこのたびの『少女』で間違いない。そこの娘が来た理由はわからぬ。『世界』とはこの世の理をつかさどっているもの。何人も抗えん存在。幾多もの魔術師が、その理に挑もうとして散っていった」
「で、でも私、こんな状況望んでない!喜べるわけないじゃない!!」
親友を傷つけられ、家には帰して貰えず、貞操の危機にまで陥った。いくら耳障りの良い言葉を贈られようと、神子と崇められようと、澪の言うとおり、この状況を喜んで受け入れることなど到底出来やしない。
語気の荒い澪を冷静な瞳で見返して、魔王はうむ、と一つ頷く。
「そう、それが今までの少女たちとうぬが違う点だ。少女たちは数多の男どもをはべらし、それでも世を安寧に導いた…長くはもたなかったがな。うぬは、そのどれもを拒絶している。それに神子以外の人間を『世界』が連れてくることなどなかった」
「だって…そんな…だって…!私たちを…ううん、千尋だけでも元の世界に帰れないの!?」
例外であることを責められていると思ったのだろうか、千尋を巻き込んだのは己だと確信してしまったからなのか、澪は懇願しているかのような悲痛な声を出した。
冷徹な態度の魔王は彼女の様子を一拍の間見詰めてから、目を細めて続ける。
「うぬがここで拒もうと、元の国へ帰ろうと、『世界』はうぬを諦めぬだろう。ここから逃げても、また別の地へと呼ばれる」
「そんな…!」
跳ねるように上げられた顔に、決定的な絶望が広がっていくのが見えた。千尋も、さっと心が冷える。病的ともいえるあんな場所にまた親友を送り返すなど、許せるはずが無い。
隣にいる澪を見れば、彼女は自分で自分の体を抱きしめ、かたかたと震えている。
弱弱しい彼女の様子に、千尋は驚いた。
いつも凛として背筋を伸ばし、強気でいた澪が、明確な怯えを見せている。男たちに囲まれ、襲われそうにもなって、どれほど恐ろしかったことだろう。それがまた続くと言われて、恐ろしさが蘇ってきたに違いない。
先ほどまでの態度は、やはり半分以上が虚勢と、千尋に対する優しさだったのだろう。
慌てて千尋は、震える幼馴染の肩を抱いた。それでも彼女の恐怖の顔は消え去らない。無力感に、ずきりと胸が痛んだ。ふと、そのとき、澪の唇が、小さく動いていることに気がつく。
何かを呟いているのだ。千尋はそっと、彼女の口元に耳を寄せて―――そして愕然とした。
澪にかけるどのような言葉をも思いつかなかった千尋は、視線を魔王に移して、ためらいためらい、尋ねる。
「…あの、そこまで知っている魔王さんはいったい何なのですか?さっきは神子に封印されるとか言ってたみたいだけど」
「我は魔王…魔術師の王。『世界』の理を暴こうとする者。『世界』はそれを拒む。ゆえにこの世の穢れとともに我を封じようとするのだ。今までに幾度か『少女』たちと渡り合ったがその都度適当にあしらってきた」
まじゅつしの、おう…。
口の中でその名を呟いて、千尋はさらに聞いた。
「それならば、貴方は、『世界』の敵?貴方ならば『世界』を変えることが出来るの?」
「敵と言う言い方は正解ではない。我は探求者。『世界』の理を知るために動く。『世界』を変えられるかどうかは、いまだ我にもわからない」
「…そっか」
難しいことを言っているけれど、彼は『世界』に対して抗う術を持っているようだった。
千尋は細くなってしまった腕で、ぎゅっと澪を抱く力を強くする。いまだにがくがくと震える親友の横顔を見つめて、そして再び前を向いた。
◆
「澪!何匹かそっち行った!強くないけど数が多い!気をつけて!」
「大丈夫、こっちで処理できるわ!…さあ、来なさい!私が相手よ!」
先に進む千尋が討ち漏らした異形の影を、白い光みなぎらせた澪の拳が砕いた。だが目の前の荒野から次々に影たちは沸きあがって、数を増やす。
澪が浄化しなければならない穢れがすぐそばにある証拠だった。
ぬるり、と気味の悪い動きで、影の腕が千尋へ伸ばされる。反対にそれを掴んでひねり上げ、そのままぐるぐると回転させた。影の体が、他の影をなぎ倒して、そして千尋は最後に掴んでいた影を空高くに放り投げる。
空中で音も立てずに、影は消えた。なぎ倒された影たちもすう、と薄くなっていく。
「うぬらの攻撃は稚拙すぎる。考える前に動かぬとすぐに首を落とされるわ」
「そ、そんな無茶な…!ってうわっ!」
「千尋!ちゃんと前を見る!こんな奴らに足止めされてたんじゃ、いつまでたっても穢れにたどり着かないわよ!」
少し離れたところで二人の戦いぶりを見守る魔王師匠が気だるげに茶々をいれてくる。どっしりと構えるその姿は余裕に満ち溢れており、襲い掛かってくる影を、拳でぽかりと叩くだけで四散させていた。
ずるい、ずるすぎる。二人のお師匠様は様々な能力において規格外で、人間離れしている。―――恐らく、人間では無いのだろうが。
ちぇ、と一つ舌打ちをして、襲い掛かる敵に拳を突き出す。魔力を薄く込めたそれは衝撃波を発生させ、目の前の影を跳ね飛ばしていった。
しかし、それでも敵の数は減らない。
「澪!このままじゃらちが明かないよ!一気に片付けよう!」
「ええ、わかったわ!」
言うが早いか二人はあたりの影を退け、背中合わせに立った。背中越しに手を繋ぎ、精神を集中する。二人の体内で、未知なる力が循環し、みなぎってくるのがわかる。
うぞうぞとうごめく影は、動かぬ二人に業を煮やしたのかいっせいに踊りかかってきた。
その手が頭に触れるか否かの瞬間―――二人は深く息を吐き、そして勢い良く吐く。
どう!という轟音、振動。同時に、まばゆい光が体を包み込む。二人に迫っていた悪意は、その光と衝撃に巻き込まれ、散り散りにかききえた。
その光は二人の周囲だけでなく破竹の勢いであたりにも広がり、いったいを包み込む。
しばらくすると、光は徐々に収縮していく。後には千尋と澪、そして見守っていた魔王だけが残った。
影は再び現れようとはしなかった。
「…うー、やっぱこれ疲れるなあ」
「一気に力が抜けていく感じがするよね。でもほら、もう出てこないみたいよ」
襲い来る影が出てこないとわかり、千尋は一気に脱力してしまう。かくり、と肩の力を抜いて、澪と手を離し、肩をくるくると回す。背後で親友のくすくすと言う笑い声が聞こえていた。
魔術の王から学んだ二人の、異なる魔力を合わせて一気に放出する必殺技である。派手で威力も高いが、千尋の言ったとおり心身とても疲れる術なので、ここぞと言うときの二人の必殺技だった。
―――この技だって、否、魔術自体を習得するのにも随分時間がかかった。
『世界』とそれに呼ばれる『少女』の話を聞いた日、二人がそれに対して結論を出せるはずもなかった。
魔王曰く、自分の力を使えば二人は元いた場所に帰れる。しかし『世界』は何度も澪を見つけ、別の土地に送り込むだろうとのことだった。
次に呼ばれれば、澪は今までの少女たちのようにその宿命を受け入れて、二度と帰って来れないかもしれない。澪は顔を真っ青にしてもなすすべも無く、立ち尽くした。
その日の夜である。
魔王の自宅(?)に部屋を借りることになった千尋と澪は、同じ部屋で就寝することとなった。
室内は明かりを落とされて、既に暗い。滋養のありそうな食事を取らされた後でぼんやりしながら、千尋はあまり良くない頭でじっくりじっくり考え、隣のベッドで寝ている澪に告げた。
「ねえ、澪。私、『世界』と戦うよ」
ずっと考えていた己の言葉に小さく、澪が身じろぐ気配がする。声は聞こえない。もしかしたら泣いていたのかもしれなかった。
「澪は、私を助けてに来てくれた。だったら次は、私が澪を助ける番。あの魔王って人についていけば、『世界』のことがわかるかもしれない」
「そんなこと、千尋が気にする必要ない!!」
がばり、と澪が跳ね起きる。
「全部、全部私のせいじゃない!千尋を巻き込んで、酷い目にあわせた!!だから千尋は早く帰って!!」
まるで慟哭だった。涙声の叫びに導かれるように、千尋も体を起こして、澪を向き合う。
暗くて顔は見えなかったけれど、やはり泣いているんだろうな、と再び思った。
「ねえ、澪。澪が私を心配してくれるように、私も澪が心配なんだよ。私、澪を助けたい」
先ほど、魔王から話を聞いていたとき、澪はぽつり、ぽつりと何かを呟いていた。
そっと耳を寄せた千尋が拾ったのは、ごめん、ごめんね、と己に対する謝罪。それを聞いて、心底驚いてしまった。
まっさきに心配するべきは己の身だというのに、自分だって怖くて震えているくせに、巻き込んでしまった千尋のことを思いただ謝罪してい澪。彼女はあの時どういう気持ちだったのだろう、それを考えるだけで心が痛い。
「千尋には、関係ないよぉ…」
「関係に入れさせて、お願い。二人で『世界』をやっつけよう」
ついに、澪は小さく嗚咽を上げ始めた。千尋はベッドから立ち上がり、両手で顔を覆ってうずくまった親友の元まで行く。小刻みに震える背を、優しく撫でた。
こうして、千尋と澪、二人は魔王の下に弟子入りし、『世界』に抗う術を学ぶことになったのだ。
魔術を一通り習得するのに3年、さらにそれを強化するのに5年かかった。魔王の教え方は上手だったが厳しく、二人は生傷の耐えない日々を送った。
修行の日々の合間に澪は何度か『世界』呼ばれることもあり、千尋は師匠と共に救出に向かったこともある。当時は苦労に苦労を重ねるばかりだったが、その甲斐あってか千尋たちは着実に強くなっていった。
魔王も『世界』の意思により澪が呼ばれた土地を調べることが出来て、研究もはかどっているようである。
「澪!魔王師匠!浄化ポイントはここみたい!」
「叫ばなくてもわかるわよ。どれどれ…ああ、これは結構、根深いわね」
「ふむ、此度も興味深い。持ち帰って我が城で観察し培養してみたいものよ…」
「お師匠様、物騒なこと言わないでください」
敵を倒し終えた一行が向かったのは、この世界でもっとも闇の深い部分―――『世界』が澪を呼んだ理由である。
あたりに漂う空気が重い。薄っすらとしたもやもかかり、あたりを見通しにくかった。
その白い視界の中にポツリ浮かぶのは、地面に突き刺さった深海のような色合いをした無機質な物体。獣の爪に似た形をしたそれは、大きさは自分たちの身長の二倍ほどで、千尋と澪、二人が腕を伸ばしてようやく囲めるほどある。
「じゃあ、浄化を始めるね」
「うん、お願い」
任せて、と言いたげに手を振った後、澪は件の爪のようなものの前に立ち、魔力を高め始めた。
今まで三人が渡った全ての世界に、この奇妙な物体は例外なく突き刺さっていた。そしてこの周りは空気は淀み、植物は枯れ果て、先ほどの影のような魔物が次々と生み出されていたのである。
千尋が魔法を唱える澪の背中を見守る中、魔王はせっせと周囲を散策し、研究に余念が無かった。