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02

それから千尋は、捨て置かれたような生活を送ることになった。

一日一回、最低限の食事は出してくれるが、じゅうぶんな量とは言えない。簡素なベッドは冷たく、部屋の中も冷たい。こちらへ向けられる視線など、凍てつくような冬の寒気のほうがましだと思えるほどたった。

部屋には窓すらなく、昼なのか夜なのかもわからない。地獄に等しい空間の中でいくら懇願しても、外に出してもらうことも、無論澪に会うことも叶わなかった。


「澪、お父さん…お母さん…、澪…、会いたい、会いたいよう…」


来る日も来る日も、千尋は泣くしか出来ない。無論この嘆きが誰かに届くはずも無く、気持ちがどんどんと暗い方へ、暗い方へと流されていく。


(あ…、私、きっとこのまま忘れられて死んでいくんだ…)


元の場所へ帰ることも出来ず、父にも母にも、無論大好きな澪にも会うことも出来ない。そう思うとさらに悲しくなって、涙が止まらなくなってくる。

このまま泣き果てて涙が枯れて干からびるのではないか。そんなことすら思ったが、嗚咽が止まるわけも無い。澪、澪、と親友の名を呼びながら、冷たいベッドに一人身を沈ませていた。

もういっそ、このまま枯れ果ててしまいたい…いっそ舌を噛み切ってしまおうか。己の価値さえ曖昧になった千尋が覚悟に目をぎゅっと閉じた刹那―――、ガシャ、バキ、ガタアアンン!と、静寂を壊さんばかりの大きな音が響く。


「千尋!千尋!ようやく見つけた…!」


懐かしい声が聞こえて、千尋はえ?と、顔を引き上げた。

いつの間にか、今まで開くことの無かった扉が開いていた。そしてその扉…薪以外にはほとんど役に立たないだろう木片へと成り果てている…の向こうには、夢にまで見た幼馴染が、その美しい外見に似合わない仁王立ちでこちらを見ている。


「み、みお…」

「逃げよう千尋!もうこんなところには居られない!一緒に逃げよう!」

「え…え…?」


逃げよう。

長く、狭い部屋に閉じ込められていたせいだろうか?その言葉が示す意味を、初めは理解できなかった。呆然とする己にしかし、待ってはいられないとでも言いたげに澪は大またで部屋に入ってくると、「千尋」と強く名前を呼んだ。


「こんなに、痩せて…ごめん、ごめんなさい…、もっと、はやく来れば良かった」


くしゃりと顔を歪ませたベッドの脇にひざまずいて、そっと千尋の手を取る。澪と比べると、己の腕はかなり細くなっている。最低限の食事しかとっていなかったから、やつれてしまったのだとようやく理解した。

痛ましく目を細めてさらに泣き出しそうな顔をした澪が、唐突に千尋の体を抱きしめた。ぎょっとする。耳元で小さく「ごめん、ごめんね、千尋…」と何度も澪の声で繰り返される。

どうするべきなのか、千尋はついにわからなかった。


「神子様は何処だ…!?」

「わからん…聖なる力の修行の最中、急にこちらのほうへ走っていってしまわれて…」

「あちらから大きな音がしたぞ…!」


にわかに、壊された扉の向こうから人の声が聞こえてくる。

千尋も、勿論澪も、はっと体を強張らせ、視線を向ける。澪を探している。今自分といるところを見られたらと考えると…ばたばたと聞こえてくる足音に、恐怖が競りあがってきた。

先ほどとは打って変わって厳しい顔をした澪が、震え始めた千尋の手を握り、凛とした声で告げる。


「もうすぐ、私がここにいるってばれるわ。その前に、逃げよう」

「ど、どうやって…」

「私は千尋と逃げるために、機会を覗っていたの。そのために、修行もしたのよ」


そのせいで遅くなってしまったんだけれど、と澪は悔やむように言ってから千尋の手をひく。


「立てる?」

「う、うん。なんとか」

「じゃあ行こう。見てて。こんな壁、すぐに壊してあげるから」


え?と千尋は首を傾げる暇も無かった。己の手を引いたままつかつかと壁の方へ歩いていった澪は、目を閉じてすっと静かに手をかざすと何やら口の中でぶつぶつと呟き始める。

何をしているの?と問いかけたかったが、背後から見つめる親友の顔がやけに真剣だったので、言葉は喉に引っかかってしまう。千尋がおろおろしている間に、澪は瞳を開けて、大きな声で叫ぶように言った。


「光よ!」

「え?」


かざされた澪の手のひらに、真っ白な光が凝縮する。超常現象もかくやという状況に、ぎょっと目を見開いた―――刹那。その白い光は弓矢の形となり、壁に向かって一直線に飛んでいく。

轟音。

矢が直撃した壁は、重く激しい音をたてて崩れ去っていった。窓すらない暗い部屋に、唐突に日の光が差し込む。どうやら千尋がいたのは大きな建物の最上階に近い場所にある一室だったらしい。視界の半分以上が青い空に覆われている。

眩しさに目を細め、視線を下にずらせばあの光によって崩されたらしい壁が目に入った。

あれほど大きな音を立てたというのにその壊れ様は、脆いビスケットのようにしか見えない。腕力自慢の大男ですら難しいことを、澪は呼吸のついでとでも言うようにやってのけたのだ。


「さ、行こう!少しだけだけど、浮遊術も勉強したの!」

「え、ふゆう…?え、っていうか、これって何!?」


問いかけたいことはもろもろとあったが、後ろから慌てた様子の声が迫ってきて、恐ろしさに振り返る…それと、澪が千尋の手を取ったまま崩れた壁に足をかけるのは同時だった。

ぐい、とことさら強く腕を引かれる。あれ?と思ったとき既に遅く、澪は崩れた壁を蹴るようにして外に向け一歩を踏み出していた。


「え?」


疑問の声。そして浮遊感。

澪に手を握られたままの千尋は、身動きすら出来なかった。

千尋と澪の体はぽーん!と小気味良く、空に向かって放り出されていた。


「え、えええええっ!」

「しっかりつかまってて!」


夢のような話だったが二人は飛んだ。どのような飛び方だったかというと、愛と勇気が友達のアンパンみたいだった。おまけに千尋は澪に引っ張られている形になるのに、腕も肩も、痛くならない。風圧もそれほど感じなかった。

いっそ、痛かったり冷たかったりしたら少しは現実を忘れられたかもしれない。だが苦しさを感じないから、混乱を招く思考が次々に湧き出てくる。自分が今いる状況を整理することもままなからなかった。

ただ、少しだけ後ろから見える澪の横顔がとても頼もしくて、千尋は困惑しているくせにとても安心しているのも事実だった。





飛んで飛んで、千尋がいた建物が見えなくなるまで飛んで、ようやく澪は地面に着地した。あたりには何も無い。森の中であった。静寂に包まれて、獣の気配すらしてこない。

ぜいぜいと肩で息をして、澪が苦しそうに片膝をついたので、千尋は慌てて彼女の背をさすり、「大丈夫?」と問いかける。下を向く髪の毛の隙間から「大丈夫だよ」と弱弱しい声がした。

しかしそうは言うものの、澪の様子はちっとも「大丈夫」には見えない。もともと白い肌の色がなお白く、否、青く見えるほどである。

千尋は親友が落ち着くまで、ゆっくりと背をさすってやった。


「…ありがとう、千尋。もう大丈夫よ」

「本当に?もう平気?何処か痛いところ無い?」

「それはこっちの台詞よ!千尋、どこか痛くない?苦しくない?」

「え?」


尋ね返されて、ようやくそこで千尋は自分の体が、心配されても仕方の無い状態なのだと思い出した。

いまだ捕まれている腕は、やはり澪のものと比べると随分細い。一日一回、最低限の食事しか与えられていなかったせいだろう。ギスギスして、骨ばっていると言ってもよかった。


自分の体に栄養が行き届いていないことを自覚すると、途端にへろり、と力が抜けて、地面に両膝をついてしまう。先ほどまでの怒涛の展開で、気力を使い果たしてしまったようだ。


「千尋…!」

「う、ちょっと…ふらふらするかも…」


今度は、澪の手が千尋の背中をさすった。酷く慌てた様子の親友に、平気だということを伝えたかったが…口を開くだけの元気も無い。今にも意識を失いそうだった。

だが、このまま眠ってしまってはまずい。何となくそれを理解していたので、必死に目を開けようとしていたがその努力も長く続きそうに無かった。

澪も、千尋の様子がおかしいことに気がついたのだろう、幾度も己の名を呼びながら背をさすり続ける。だがその澪も、立てるだけの力は残っていない。

このまま二人、ここで意識を失ってしまうのか、そんな不吉な考えが頭を過ぎった―――そのときだった。


「聖なる力のにおいがして来てみれば…なんとこのような場所に神子が放り出されているとは…」


今にも途切れそうな意識の中で、地の底から響いてくるような声を聞き、千尋はぎくりと体を強張らせる。澪も、はっと顔を上げた。





時空転移を終えて目的の場所へたどり着いた千尋と澪は、目的の人物の姿を見つけて、にこやかに手を振る。


「師匠~!魔王師匠~!お久しぶりです~!」

「千尋…魔法師匠っていう呼び名は、やっぱりおかしいよ。お師匠様、お久しぶりです」


日常会話の延長のような挨拶を受けて、二人の目的の人物の強面が煩わしそうに歪んだ。

比喩ではなくその顔は、青、という人間にはありえない皮膚の色をしている。腰まであるばさばさの髪の毛は退廃した大地のような灰色で、その隙間から二本の角がにょっきりと飛びでていた。

巨木もかくやと言わんばかりの大きな体から伸びているのは、どんな鋼鉄をも粉砕できそうな太い腕と脚。それを闇より暗い色をしたローブと、どくろやカラスの顔がデザインされた禍々しい装飾品で包んでいる。

彼の名は『魔王』―――またもや非現実じみている存在であるが、いるのだから仕方が無い。


「異界の騒がしき我が弟子どもが、またもや我が力にすがりたいと見える」

「えー、はい。実はそうなんです。今度はまた聖女…あれ?天女だったっけ?」

「女神だったわよ。彼らが言ってたのは。…今回もまた『世界』に呼び出しをくらいました。お師匠様の力をお貸し頂けないでしょうか?」

「…まったく、情けなきことよ。我が弟子ならば降りかかった火の粉くらい何とかせい」


魔王は肩を竦めると、弟子と呼んだ二人の顔を半眼で見つめた。恐ろしい、鬼のような顔がさらに険しくなるが、二人はまったく動じた様子は無い。

むしろ、異世界で自分たちにこうした素の表情を見せてくれる人物が貴重で、ありがたいくらいなのである。

この世界に呼び出せれて初めて自分たちを囲みも蔑みもしなかった魔王と呼ばれるこの男に、千尋、澪の二人は師事を仰いでいた。


「いえ、私たちはまだお師匠様のご指導が無ければ未熟な身ですよ」

「そうそう。それに、これが魔王師匠に会う理由にもなるし」

「うぬらの貧弱さにはほとほと呆れるわ。我が手から離れ、自ら暗躍できるようにまたしごかねばなるまいて」


言いながら肩を竦める魔王だが、面倒くさそうな口調の割には自分たちを見捨てないのだとわかっていた。自分たちは師弟関係でありながら、利害も一致している関係だったからである。

元の世界にして2年前、こちらの世界にして10年前、出会いは二人が、千尋の閉じ込められていた建物…後であそこは監獄なのだと知った…から脱出した日までさかのぼる。

満身創痍で今にも倒れそうな自分たちを発見したのが、この『世界』を揺るがしかねない、聖なる力によって滅ぼされねばならないもの―――魔王だったのである。


彼は、聖なる力の源である神子、つまり澪が結界の外に出たのを嗅ぎ取って足を運び、今にも倒れ伏しそうな二人の姿を見つけたらしい。


「うぬが此度の神子か、だがか弱い、か弱すぎる。そのような力で我を封印できるのか?」


射殺すかの如く鋭い視線でこちらを睨む彼が、千尋と澪、二人が出会った最初の魔王の顔だった。二人は見るからに恐ろしげな魔王の姿かたちに硬直する。

ためらい、戸惑い、ようやく声を出したのは千尋よりもまだ気力のあるらしい澪だった。


「私は神子じゃないわ。何度も言っているでしょう。私は佐々木澪よ!貴方たちの思い通りの駒になんてならない!」


澪はその時、酷く恐ろしかったという。自分を千尋から引き離し、神子と呼んでちやほやする連中は、まともに話を聞こうともしなかったからだ。

恐々と巨木のような体躯の男を見上げながら、それでも話が通じるかもしれないと考えて反論した。

目の前の男は澪をたしなめも、崇めもしなかった。


「…ふむ、そうだったか。では澪、うぬは神子の役目を放棄し、自らの意思で結界を出たと言うわけか?」

「そう…魔王を封じる癒しの神子とか、大地を浄化するとか言われても、わからないもの。私は千尋と一緒に、家に帰りたい」


理不尽な目に合わせれたのに、自分たちが危ういから救ってくれと言われて実行できるほど、澪は聖人じゃない。それに、と一旦彼女は口ごもった。


「ここにいる人たちって、皆怖い。とても正気とは思えないことをしてくるの。仕事を放って不自然なくらい口説いてきて、夜は私の部屋に忍び込んでくる人もいて」

「澪、そんなことされたの!?」


今度は千尋がその言葉にぎょっとする番だった。隣で澪が「何も無かったから」と優しく首を横に振って己をなだめた。

15の少女の寝室に忍び込むなんて、正気の沙汰とは思えない。澪も怖い思いをしただろう。そっと彼女の手を握ると、弱弱しくだが握り返してきてくれる。部屋に閉じ込められている間は恐怖と不安ばかり抱えていたが、自分たちを理不尽な目に合わせた男たちに、怒りがわいてきた。


「…澪、そしてそちらは娘、千尋…か。うぬらは今までの『神子』とは違い少々特殊と見える。どうだ?身の保障をしてやる代わりに、この魔王に情報を提供する気は無いか?」


ここへ来て初めて澪以外の人間(?)に名を呼ばれた。千尋はおどろおどろしい姿で立っている目の前の(恐らく)男を改めて見つめる。

彼は千尋と澪を交互に見つめて、何事かを考えているようだった。

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