第2話-2
オレたちが通された部屋は、待合室だった。
八畳程の和室に座布団が置いてあるだけの質素な部屋だった。壁には『口寄せ料三千円』
と書かれた貼り紙と、『恐山大祭』や『秋詣り』と大きく書かれたポスターが貼ってあった。
「恐山ってね、イタコの本場なのよ。で、毎年開かれる恐山大祭や秋詣りには青森県のイ
タコが一斉に集まるんだって」
聞いてもないのに、イタコについてのうんちくを夏恋がしゃべりだす。
オレは無視を決め込んだ。
と、そこに萌花が入ってきた。
「失礼します」
萌花はお盆の上にお茶を二つ乗せて歩いてくる。その足取りが妙にぎこちなかった。
「あ」
萌花はまたしても袴の裾を踏ん付けた。
「あぶない!」
咄嗟に夏恋が萌花を受けとめる。萌花は倒れずにすんだが、萌花の手の中にあったお盆
は宙を舞った。そして、お盆の上にあった湯呑みはオレの頭上でキレイな弧を描いた。中
に入っていたお茶を撒き散らしながら。
「………」
「きゃあ、大変!」
「あらあら。翔ちゃんって意外と運動神経鈍いのね」
慌てふためく萌花とは対照的に、夏恋は小悪魔的な笑みを浮かべて皮肉った。
オレは熱いのを我慢して、夏恋を睨みつけた。いちいち癇に障るロボットだ。
「大丈夫ですか、翔さん?」
萌花が懐からハンカチを取り出して、濡れたオレの頭を拭く。柑橘系のほのかな香りが
一瞬だけオレの心を和ませた。
「よかったわね、翔ちゃん。萌花ちゃんに拭いてもらえて」
「うるせぇ!」
夏恋に心を見透かされたような気がしたオレは、夏恋の言葉を否定するために萌花のハ
ンカチを払い除けた。
「ごめんなさい」
オレは萌花に背を向ける格好となってしまったので、萌花が今どんな顔をしているか見
ることはできなかった。しかし、声のニュアンスで落ち込んでいるのがわかる。
「いいのいいの。気にしないで、萌花ちゃん。翔ちゃんはテレてるだけなんだから。あー
見えても純情な子なのよー」
夏恋は勝手なことを言いたい放題で萌花を慰めていた。オレに対する態度とはえらい違
いだ。
「ねぇねぇ、萌花ちゃんはここにきてどれくらいなの?」
夏恋が話題を切り替えた。
「二年です。中学を卒業してすぐにここに弟子入りさせてもらいましたから」
ってことは、萌花はオレより年上ってことか? 童顔なんだな。鈍臭いトコがあるから
余計に子供っぽく見えるんだ。
ふてくされているオレを無視して、二人の話は続いた。
「修業はきつくない?」
「はい、確かにきついです。私ってトロいからお師匠様に叱られてばかりで」
「怖い人なのね」
「そんなことないです。あまり感情は表に出さないんですが、本当はやさしい人なんです
よ」
「ふーん。で、萌花ちゃんはどうしてイタコになろうって思ったわけ?」
「悠花に、妹に両親と話をさせてあげたいんです」
「妹さんに?」
「はい。私の両親は妹が物心つく前に事故で亡くなったんです。私には両親との思い出が
あるけど、妹にはそれがないんです。妹はそのことをずっと悔やんでました」
「でも、イタコになるには早くても四年はかかるのよ。だったら、萌花ちゃんがイタコに
ならなくても三千円払って口寄せしてもらった方が早くない?」
夏恋の意見はもっともだった。
「それじゃダメなんです。私がイタコになれば妹はいつでも両親と会えます。辛い時も嬉
しい時も。私が会わせてあげたいんです。私、勉強や運動は全然ダメだったけど、幸いな
ことに小さい頃から少しだけ霊感みたいなのものがあったから」
ただの鈍臭い女かと思ってたけど、自分の考えをちゃんと持って前向きに生きてんだな。
母さんの死を悲観して親父を憎み続けてきたオレとは大違いだ。
「えらいわ、萌花ちゃん!」
横目で夏恋が萌花を抱き締めているのが見えた。
やばい。夏恋のバカ力で抱き締められたら、萌花のか細い体なんかあっという間にへし
折られちまうぞ。
「離せ、バカ女!」
オレは萌花から夏恋を引き離そうとした。
萌花はわけがわからずきょとんとした顔をしているが、夏恋にはオレがしようとしてい
ることの意味がわかっちまったんだろう。得意の小悪魔的な笑みを浮かべている。
「大丈夫よ、もう力のセーブはできるようになったから。けど、進歩ね。翔ちゃんが他人
のことを心配をするなんて」
「うるせぇ! ロボットのくせにオレのすることにいちいち口出しすんじゃねぇよ!」
居心地が悪かった。今すぐにでもここから逃げ出したかった。
そんな時。
「私はこの稼業に命賭けてるんだよ! そんな脅しには屈したりしないよ! とっとと帰
っておくれ!」
貫禄のある女の怒声が聞こえてきた。声の感じだと年寄りだ。
その直後、障子越しにドタドタとロウカを足早に歩いていく足音が聞こえてきた。
「ちょっと失礼します」
萌花もただならぬ気配を察したのか、軽く会釈すると慌てて部屋を出ていった。
「どうしたのかしら?」
夏恋は萌花が歩いていった方を見ている。
チャンスだ。夏恋の注意が他に向いている今のうちに帰ろう。
しかし、立ち上がったオレの体は夏恋に引き戻される。
「離せよ!」
「逃げないで」
「逃げる? オレが誰から逃げんだよ?」
「ねぇ、翔ちゃん。おばあちゃんに会いたいって思ったことはなかった?」
オレの問いに答えず、夏恋はいきなり場違いな質問をオレにしてきた。
「どうしてそんなこと聞くんだよ? 会いたいって言ったら、お前がイタコになって会わ
せてくれんのかよ?」
オレの答えに、夏恋はガッカリしたような顔を見せて大きくため息をついた。
確か親父方のじいさんとばあさんは親父が高校生の時に離婚して、オレが生まれる前に
ばあさんは病気で死んだって言ってたな。じいさんは再婚して今もどっかで暮らしてるら
しいが。そういえば、オレは母さんの生い立ちについて何一つ聞かされていない。どこで
生まれてどんな風に育ったのか。母さん方のじいさんとばあさんのことだって一度も聞い
たことがない。
「どうして死んでるって決め付けちゃうわけ? 翔ちゃんも鈍いわね」
「どういう意味だよ?」
「忌野神社はね、桃子さんの」
夏恋が言い掛けたところに、萌花が再び部屋に入ってきた。
「お待たせしました。どうぞ」
オレは夏恋の言葉の続きを聞くこともなく、夏恋に手を引っ張られて萌花についていっ
た。




