9.きよちゃん登場
両親と入れ替わりに店番を始めた私。フランツとカスパーは自国に仕事で戻り、カウンターにはウィルとアルがいるだけ。
パンやケーキを買ってくださるお客様の足も止まり、眠気が襲ってくる午前十時十五分。
アルとウィルは本を読み、私はレース編みをしているが、半分船を漕いでいる。でも、ウィルはここで眠ってもらっては困る。
どうにか起こさないといけないと思っていると、ドアが開き、お客様。
「いらっしゃいませ。あっ、きよちゃん。」
「よっ、スイ。儲かっているか?」
「見ての通りよ。知っているでしょう?」
「まぁね。」
きよちゃんこと一色清人さん。十三年、ここで働き、八年前に退職。
今は少女マンガ家。ほら、ウィルが薔薇背負い人になった原因の少女マンガを書いた人。
セイと私にとって、お兄さん的存在。
「何、飲む?って、聞かなくてもいいわね。」
「言わせてくれ。いつもの。」
「同じなのに言う必要あるの?」
「常連っぽくて良いだろう。」
「常連というより家族でしょう。」
「オジさんは嬉しいよ。こんな若くて可愛い子に家族と言われて。で、俺の立場は?スイの旦那なら大歓迎。」
「お兄さんでしょう。本当、よく言うわよね。」
「そんなつれない言い方するなよ。可愛いって、褒めているんだから。」
「生クリーム、多くしろ?」
「さすが、スイちゃん。わかっているね。」
こんなマンザイみたいな会話が出来るのも、私達が小学校になって間もなくから一緒にいるから。
まぁ、物心付いたころには常連さんだったけど。
「スイ。」
ウィルの声が苛立っているように聞こえるのは、気のせい?
あぁ、そうね。紹介もしないで、勝手にマンザイ始めちゃったからね。
「紹介するね。」
「ウィルくんとアレクくんだろう。シオコショーから聞いているよ。俺は、一色清人。キヨちゃんと呼んでくれ。今、マンガ家をしているんだけど、その前はここに勤めていたんだ。スイとセイがこんな小さなころから知っているんだ。」
キヨちゃん、身長十センチって、胎児でしょう。
「アルもココアを飲む?」
「ありがとう。」
「スイ、僕には聞いてくれないの?」
「ウィルはココア苦手じゃないの?コーヒーを用意しようと思っているんだけど。」
「さすが、スイ。ありがとう。」
キヨちゃんがいじけている。誰もツッコまず、スルーしたからね。
うん?でも、今、にやりと笑わなかった。何か良からぬことを思いついた?
「ウィルくんって、綺麗だね。本当に綺麗だ。」
「そんな本当の事を。」
少しは謙遜しなさい。
「男にしておくのはもったいないよね。女にしたら、スイより綺麗だろうね。」
「スイは綺麗より可愛いタイプだからね。」
「さぞ、女の子にモテるんだろうね。遊び放題。羨ましいな。」
ウィルが黙り込んだ。
さっきのメイドの話を思い出しているのかな?
「アレクくんは、凄い筋肉だね。さぞや鍛えているんだろうね。こんな腕に抱き締められたら、男でもメロメロになっちゃうよな。」
アルの全身が一瞬震えました。
悪寒、感じたのね。
「で、スイ。どっちが恋人?」
止めと言わんばかりに、にたりと笑った。
でも、私は負けない。こんな無意味な質問、スルーよ、スルー。
「キヨちゃんって、そっちの趣味の持ち主だったのね。私、てっきり女子高生マニアのオジさんだと思っていたわ。」
「あっ、それ、酷いな。仕事だよ、仕事。」
「そのわりには女子高生の事、わかっているよね。」
「雑誌とかで調査しているからね。」
「そっか。そっちの趣味だから、女子高生の気持ちがわかるのかぁ。」
キヨちゃんが閉口した。勝った、勝った。
「はい、お待たせ。」
ここでこの話は終わりの意味を込め、カウンターにココアを置いた。
「俺は、ずっとスイに片想いしているのに、そんな誤解されたら、ショックで寝込んでしまいそうだよ。」
「はい、はい。馴れ馴れしく、手を握らないでね。わざとらしい演技に付き合っていられるほど、私の手は暇じゃないのよ。」
「冷たいな、スイ。」
「じゃあ、ココア、いらない?」
「ごめんなさい。」
素直でよろしい。
で、忙しい手はウィルにコーヒーを出し、アルと私にはココアを用意して、一休み。
「ところで、シオコショーは?」
相変わらず、両親は調味料呼ばわりですか。
「奥よ。何か用?」
「うん。明日から臨時アルバイトを頼まれて、その打ち合わせ。」
「臨時アルバイト?原稿は平気なの?」
「平気、平気。締切終わったばかりだから、三日位、余裕。」
「三日?何で、急に?」
「あぁ、シオコショー、二人で旅行に行くらしいよ。」
「はぁ?旅行?」
お客様がいらっしゃらなくて、良かったわ。思いもよらない事だったから、叫んじゃったよ。
「アル、ウィル。知っていたの?」
「スイ、知らなかったの?」
アルは無言のまま、頷いた。二人共知っていたの?セイは、セイは、知っているの?
ポケットから携帯を出し、メールするとすぐに返事が来る。
『マジで?俺、明後日から一泊二日の出張なんだけど』
絶望的な返事。って事は、明後日と明々後日は三人だけ?
「ちょっと、お父さん、お母さん。今すぐ来なさい。」
内線で呼び出すと暢気な声が返って来た。
「何よぉ、スイ。今、良いところなのにぃ。」
何が良いところなんだ?
「いいから、さっさと来て。」
「もうぅ。」
不満そうな声の電話が切れる。不満なのは私だ。
「どういう事ですか?」
私のあまりの怒りように肩を竦める二人。
「若い者だけの方が仲良くなり易いと思って、な。」
「そうよ、スイのためなの。」
「で、私のためなら、どうして、私に話がないんですか?セイも知らないと言っていますけど。」
キヨちゃんはにたにたと笑い、ウィルとアルも無言のままで傍観者。
「だって、セイはスイに過保護だから。」
「でも、ほら、キヨを手伝いに呼んだだろう。キヨならパンは完璧。その上、スイとも息がピッタリだ。なっ。」
「それで明後日、明々後日とセイが出張なのも知っていたの?」
「そ、それは、旅行を予約してから聞いて、ラッキーと…。」
「ラッキー?」
多分、今の私、乙女にあるまじき顔していると思う。
「だって、スイは鈍感の上に奥手だから。」
「はい?」
鈍感で奥手が今の話とどう関係する?
「スイ、お前は結婚するんだ。それはわかっているな?」
政略結婚よね。こんなに格好良くて、王子様なんて身分がある人と。平凡で女としての魅力が皆無の私が、ね。
「わかっているわよ。」
「それもどちらかと。」
「だから?」
「私達はね、スイに幸せになって欲しいの。お互いに大切に想い合える人と結婚して欲しいの。そのためには、お互いを知る事が必要でしょう。」
確かにマトモな事を言っているけど、どうせお飾りでしょう?後宮があって、魅力的な女性がたくさんいて、私なんて帝力を王家に取り入れるためとかいって、子供を産む義務を持つだけでいいんでしょう?
だって、私なんかに恋愛感情が芽生えるはずないし、良いところ、良い友達止まり。
あぁ、ダメだ。また気分が下降してきた。
「わかった。旅行楽しんできて。でも、お土産は忘れないでね。で、何処に行くの?」
「温泉。部屋に内風呂があって、二人で入るのよ。」
「あっ、いらっしゃいませ。」
両親が長い自慢話が始まる前にお客様がいらしてくれた。ほっと一安心。
でも、何でだろう?この胸に痞えている苦々しい気持ち。前にも感じた事ある。ううん、違う。これは結婚なんて重たい問題を抱えているから。ただ、それだけのはず、なのに…。