39.創地帝妃の決断
今日は、とうとうセイと私の誕生日。
午後六時までいつもと同じだった。朝五時に起きて、仕込みをして、お店を開く。店番はいつも通り、私。アルとウィルが多少の手伝いをしてくれて、両親は奥でいちゃついている。一時間早く店を閉めた以外は、何も変わらない。
「お疲れ様。」
家のダイニングテーブルには、例年の誕生日通りの御馳走。もちろん、私の好きなから揚げとフライドポテトは山盛りで、真ん中には私が焼いたケーキがどーんと陣取っている。
「おかえり、セイ。」
「ただいま。」
両親が定位置に座り、フランツとカスパーも来ていて、テーブルに着いている。アルとウィルがそれぞれの重臣の横に座り、お決まりの誕生日席には、セイと私が腰掛けた。
「セイ、スイ。お誕生日おめでとう。」
さすがにケーキに三十本のローソクを立てないが、賑やかな誕生日だ。
でも、今日は、それだけの日じゃない。いつ、『創地帝妃の決断』なるモノをするんだろう?
「胡晶様、汐美様、星晶様。これから創地帝妃の決断をしていただきます。」
「はい。」
両親が静かに同意し、セイは私に視線を向け、小さく頷いた。
「粋晶様、お心はお決まりですね?」
問い掛けのはずなのに、断定に聞こえる。
「はい。」
私の返事と同時に、アルとウィルが立ち上がった。
あのぉ、私、一体、何をどうすればよろしいのでしょう?
「結婚相手と決めた方の首にキスマークをお付けください。」
「はぁ?」
キスマークとな?それって、あれよね?あの、別名?所有印とされるヤツですよね?そうなのか?でも、何で?普通ってのもよくわからないが、明らかにおかしいだろう。
「と、言うのは冗談です。」
カスパー、一度殴ってもいいですか?
「と、言いたいですが、本当です。」
一度ではなく二度殴ってもいいですか?
「いやぁ、あまりにスイが緊張しているので、気分転換のつもりでしたが、怒りました?」
「カスパー、そのヘンでやめた方がいいぞ。本気で殴られるぞ。」
いいえ、本気で殴りたい気持ちはありますが、実行はしません。
「スイ、これには、きちんと理由があるのですよ。」
「理由?」
「もし、創地帝妃の相手、つまり選ばれた王子が裏切る様な事をしたら、首を差し出させると、その位の覚悟で貴方との婚姻を選びますと、伝えているのですよ。帝国での創地帝妃は、この国で言う神と同じ様な意味合いがあった時期もありました。まぁ、今も崇められていますが、どちらかというとアイドルに近いでしょうか。」
「神?アイドル?」
私が?冗談でしょう?
「フランツ、スイが尻込みしているぞ。そんなに脅すな。」
「マニアにはアイドルでしょうけど、一般的には普通の王妃と変わらないと思いますよ。と言っても、先代の創地帝妃は、私達が生まれる前にはお亡くなりになっているので、実際には目にしていないのですが。」
カスパー、それは救いの手ですか?それとも?
「スイ、大丈夫だよ。そんなに深く考える必要ないって。」
ウィル、天使に見えるよ。
確かにアイドル扱いも嫌だし、王妃っていうのも重い。でも、私はアルと一緒にいたい。アルも私の事、愛していると言ってくれた。それって、一緒にいたいと思ってくれているはず。それなら、きっと平気。
「セイ。」
セイを呼び寄せ、部屋の隅で内緒話の態勢に入る。皆の視線を感じるが、ここは無視するしかない。だって、こんな事を聞けるのは、セイ以外いない。
「どうした?やめたくなったのか?」
「そうじゃなくて…。あの、あのね。耳を貸して。」
「うん。」
周りに聞こえない様に、そして、セイにだけ聞こえる音量。これって難しい。外野が少しばかり煩いんだもん。
「キスマークって、どうやって付けるの?」
「はぁ?」
恥ずかしいから小声で聞こえているのに、バカでかい声は止めて。
一気に外野が静まり返ってしまったじゃないか。
「ちょっと待っていてくれ。あぁ、大丈夫。心配する必要ない事だから。」
「し、しかし。」
「行くぞ、スイ。あっ。ここで待っていてくれよ。決して、聞き耳とか立てるなよ。クォーツ、見張り頼む。すぐ戻る。」
セイに引き摺れらる様にダイニングを出て、セイの部屋へ。
「本当にわからないのか?」
「わかったら、こんな恥ずかしい事を聞かないよ。」
セイが無言のまま、私の全身を眺めている。それで何がわかるの?
「アレクと寝たんだろう?」
一気に身体が熱くなる。何て事を言い出すんだ?
あぁ、やばい。あの夜の事が思考回路を駆け廻っていく。
「な、何で?」
「ここにキスマーク。こっちにも。」
鎖骨のちょっと下と首と肩の境目辺りを人差し指で触られた。シャツの襟口から覗き見る必要もなく、赤い痣が目に飛び込んでくる。
うわぁ、私、どうして、気付かなかったんだろう。恥ずかし過ぎるぅ。
「まぁ、未だ一晩一緒にいただけなんだろうから、スイならわからなくても不思議はないな。」
いや、同じベッドで眠ったのは二晩です、とは言えない。
「スイ、腕を出してみろ。」
「腕?」
シャツを捲り、右腕をセイの前に突き出す。内側の柔らかい方に、セイが唇を寄せる。
「強く吸う。ストローでジュースを飲む様に。まぁ、それよりは強めに。」
説明の後、セイが実践して見せてくれる。
「自分の腕で練習してみろ。」
「う、うん。」
素直に従い、ストローでジュースを飲む様に自分の肉を吸い上げてみる。唇を離すと、セイが付けたよりは薄いけど、痣が出来上がっている。
「まぁ、上出来かな。」
「あの、セイ。」
「うん?」
ここで聞かなくちゃ、いつ聞けるか、わからない。疑問は残したくないし。
「セイは、そのね。」
「何?」
確かにこれで分かれという方が無理があるけど。
「そのね、そういう事をした事あるんだよね?」
「あるに決まっているだろう。」
「嘘。初めてはいつ?誰と?」
「うぅん。俺の初めての彼女って覚えているよな?」
「うん。マナミちゃんでしょ。えっ、嘘。それって高校生の時だよ?」
「別に驚く必要ないだろう。」
頭の中でガーンと大きな音と衝撃。
「まぁ、お前は封印云々があったし、仕方ないだろう。」
それってつまり、それなりの人数が未成年の頃に?
「って言うか、お前、もしかして、ファーストキスも?」
「そ、それは…。」
「あっ、ウィルが暴走した時なのか?」
「いや、その時は、キスされていない。」
「じゃあ、同時?」
何でこんな困った事を問われているの?いつ、話の流れがこっちに変わった?
「違う。五歳の時。」
「はぁ?俺とか言わないよな?」
まぁ、確かに幼稚園の頃、『セイと結婚する』とか言って、キスしたことがあるが、まぁ、それは幼さの過ちという事でノーカウントでいいよね?
「それは違うぞ。ファーストキスとは言えん。」
「わかっている。」
「じゃあ、誰?もしかして、エータに無理矢理とか?それともマサルか?リョーイチローか?」
何で、エータとかの名前が出てくる?幼馴染だし、その頃から仲良くしていたけど、いつもセイも一緒に遊んでいただけだよ。
「違う。…アル。」
「はぁ?だって、一度会っただけだろう?」
「その時、約束だって。」
「約束?何の?」
「け、結婚。」
セイの動きが停止した。数回瞬きをしてから、激しく笑い出す。
何だというんだ?
「それは悪い事をしたな。」
悪い事をしたと反省しているとは思えない。その声もこの大爆笑も。
「つ、つまりだ。二十五年弱掛けて、ここまで辿り着いたのか。すげぇな。スイ、お前は必ず幸せになれるぞ。」
「はぁ。」
気の抜けた返答しか出ない。
「じゃあ、さっさとキスマークを付けて、正式婚約するか。」
それをするのは、私です。まぁ、簡単に言ってくれるけど、凄く恥ずかしいのよ。そこをわかってくれないかしら?
「げっ。」
ダイニングの扉を開けた途端、セイが急停止。もう少しでセイの背中に激突するところだよ。
「急に止まらないでよ。」
文句を口にすると同時に、セイの身体が横にずれた。
「スイ!」
「お願いします。地球に残るとか仰らないでください。」
「目立つのがお嫌なら出来るだけ、私達で公の場に出ない様に取り計らいますから。」
「へ?」
何が起こった?半泣き状態のフランツとカスパーが、足にしがみ付いてきた。アルとウィル、両親に視線を向けると、苦笑が返されるだけ。
「二人とも落ち着け。」
「落ち着いてなどいられますか。」
「そうです。地球に残られてしまったら、もう会えないのですよ。」
お父さんの声に素早い反応が返ってきた。
「あの、私、地球に残る気はないですが。」
「本当ですか?スイ。」
二人がキラキラ光る瞳で私を見上げている。
「そ、そのつもりだけど。」
「じゃあ、どうして、セイと内緒話を?」
「秘密だから内緒話なんだろう。」
「あぁ、そうですね。」
「じゃあ、さっそくですが、創地帝妃の決断をお願いします。」
う、さっそくですか?そうですよね。えぇ、そうでしょうとも。
「あのぉ、やっぱり、ここでキスマークを付けないとダメ?」
「予行演習だと思ってください。」
「予行演習?」
「婚約発表の時には、重臣の皆様の前で。」
「ふへぇ?」
これ以上、大勢の前で?冗談だよね?
「スイ、結婚式の誓いのキスだと思って、我慢だ。」
あぁ、わかりましたよ。やればいいんでしょ、やれば。
「では改めて、創地帝妃の決断を行います。」
私の前に、アルとウィルが跪き、真っすぐに私を見つめている。
「ごめんなさい。」
ウィルに小さな声で謝罪をして、アルの右横に立った。小さく呼吸して、吸い付く。
うぅ、恥ずかしい。どの位?いいよね?これで。これ以上はムリです。
出来るだけ自分が唇を付けた場所を見ない様に立ち上がる。
「おめでとう。」
拍手とお祝いの言葉が耳に飛び込んで来た。
あっ、よかった。ウィルとカスパーの声もする。視線を向けると笑ってくれる。
「あの、アル。」
「ありがとう、粋晶。」
全員を見回した後、恐る恐るアルを見上げると、照れ臭そうに微笑んでくれる。
「本当にいいの?私…。」
「言っただろう。粋晶でなければ嫌だって。」
「ありがとう。」
アルが両腕を広げ、私を抱き寄せてくれる。ぬくもりに包まれると、なぜか涙が溢れてくる。
嬉しいのに、おかしいよね?
「さぁ、お祝いしましょう。」
「今日は御馳走だ。」
お父さんとお母さんのいつもと同じ明るい声をきっかけに空気が賑やかに揺れ出す。
「あの違う世界に行っちゃった二人は放っておいて、こっちはこっちで騒ごう。確か、セイの誕生日祝いだよな?」
「飲みましょう。どんどん呑んだくれましょう。」
「ちょっと、ウィル。私も誕生日なの。」
「あぁ、そうだね。まぁ、何でもいいじゃん。」
「そうそう。ほら、さっさと食べるぞ。席に付け。」
涙がピタリと止まった。さすが我が家。シリアスと云うか、大人しいままでいるはずがない。乾杯の合図の後、賑やか過ぎる宴が始まった。