『ホラー』と羊達
「哭士、僕の分の仕事はおわったんですが、祖父様から何か伝言はありますか?」
居間で何とはなしにテレビを見ていた色把と哭士。菊塵が声をかける。
「いや、特にないな」
「そうですか。わかりました。それでは僕はこれで」
口元を緩め、菊塵が頷いたその時だった。
「おじゃましまぁーす!」
ぴくりと哭士の眉間が痙攣する。声の主は家人の返事も待たず、上り込んでくる気配が二人。
廊下の角からユーリが苑司を引き連れて現れた。
「じゃーん!」
嬉しそうにユーリが取り出したのはDVDだった。
「……『13日のリングに着信アリ』?」
タイトルを読み上げる友禅に満足げにうなずくユーリ。
「今朝、すっごく怖いホラー映画一位ってニュースで紹介されてたから借りてきた!」
「……で、何故それを俺の家に持ってくる」
不機嫌そうに問いかける哭士にもユーリは表情を変えない。
「ほら、一人で見るよりみんなで見たほうが楽しいし。 あとみんなの怖がる顔見たくて持ってきた! 友禅、DVDデッキどこ? 再生できる?」
「ああ、テレビ台の下に……。すいません、私、家電ってよく操作がわからなくて……」
「了解~。あぁ、あったあった」
そう言いながらそそくさとテレビの前にかがみこみ、DVDをセットしはじめる。
「……まったく、ホラー映画なんてくだらないですね。そういったものは余所でやってください」
ため息をついて出て行こうとする菊塵。
「ちょっと何? 怖いわけ? キク怖いわけ?」
「何言ってるんですか怖いわけないでしょうそんなまがいもの子供だましですよふざけないでください僕書類まとめないといけないんで失礼します」
いつもなら受け流す菊塵の様子がおかしい。
「さっき仕事終わったって言ってたじゃん! それに怖くないならいいだろ! みんなで見ようぜ」
立ち上がりかけた菊塵の肩をつかみ、そのまま座らせる。
妙に顔がこわばっているのは気のせいだろうか。
『あの……! 私こういうの無理っ……!』
色把が首をぶんぶん振っている。
「大丈夫大丈夫、怖いシーンになったら俺がサッと目かくししてあげるから! それにこんなの作り物だし! 余裕っしょ! じゃあ、再生~!」
「え……ちょっと、ウソでしょ……。マジこんな展開きいてなアァイヤァァァァ!!!」
絹を裂くような悲鳴が響き渡る。もちろん色把ではない。
「……ユーリ、静かにしろ」
海外的な驚かすホラーと、邦画のおどろおどろしいホラーが絶妙なバランスで展開されている。
ストーリーもなかなか面白く、哭士も内容を追いかけつつあったが
「は……はん! こちとら狗鬼だぞ! こんなん怖いわけ……ギャァァァァァ!!」
ユーリの悲鳴でセリフが聞こえない。
「あぁぁ! 来る来る来るゥゥゥ!!」
「ユーリ! 苦しいってば!」
場が盛り上がるたびに抱き付かれ締め上げられる苑司。
「何で! マジでなんで平気なん? 苑司! お前ビビりの癖になんでだよ!」
遂に逆切れし苑司に食って掛かるユーリ。
「作り物だってユーリも言ってたじゃない。それに僕こういうの好きだよ」
「!?」
数十分前に自分が言った事のはずだが、ユーリはそれどころではないらしい。
「ウラギリモノメェェェ!」
「何でだよぉ!」
くわっと両腕を開き、苑司に襲いかかろうとしたところで友禅がユーリの肩を引く。
「見てくださいユーリ! ここ! こんなところにも手が!」
「ギャァァァアア! こっち見てる! 霊がこっち見てるゥウゥ!!」
初めて見るホラー映画を一番楽しんでいるのは友禅だった。そして隣りに座っていたが為にそれに付き合わされるユーリ。
「やめて! ごめんなさい! むりです! 静止画にしないでください!!」
いつもならこのくらいで菊塵もユーリに注意する頃だと思ったが、菊塵は身じろぎもせず黙って画面を見つめている。
「キク! 怖いところ終わった? ねぇ終わった?」
苑司に叱られたため、今度は友禅の袂に顔をうずめているユーリ。
「終わったんじゃないですかね。この音の感じだと」
その言葉を待ちユーリが友禅の袖口から抜け出す。瞬間青ざめる顔。
「ビャァァァ! 恐怖映像まっただ中じゃねぇかよォォォ!! 俺に恨みでもあるのか! なあ!」
「うるさいですね、嫌なら止めればいいでしょう」
「途中でやめたらチキンだろ!」
もう既に決定していると思うが、と哭士は言葉を飲んだ。
「哭士くんは平気なんだね。こういうの」
「ああ」
苑司の問いに哭士がうなづく。
「やっぱり影鬼と戦ってるから?」>
「それもあるが、何故背後に気配を感じた時点で距離をとるなりのアクションをおこさないのだろうか。
背後を取られたままの状態ではかなり不利だと思うのだが。ほら、今もだ。これでは襲ってくれと言っているようなものだ」
冷静に画面を指し示す哭士。
「ソ……ソウデスネ……」
そして先ほどから哭士の背中でも一人、服の生地をつかんで離さない者がいた。
時折哭士の背中越しに画面を覗き見、すぐに隠れるを繰り返している。
「色把、無理しなくても……」
振り向くと、涙目の色把と目があった。
『私だけ途中で見るのやめて、呪われたりしませんかっ……!』
「……呪いって……」
一体何がどう呪われるのか。背中でぶるぶる震えられていては妙に落ち着かない。
「そんなに怖いなら……部屋に戻ってろ」
『だめです! 一人はもっと怖いです! 天井から髪の毛が降りてきます!』
「なら雑誌でも読んでろ。画面を見るな」
困惑している哭士を前に、テレビから聞こえる音とユーリの甲高い悲鳴に飛び跳ねる色把。>
『ももも……もう音だけで怖いです! 限界です!』
「なら耳ふさいで目を閉じていろ。終わったら教える」
『はいぃ……』
それきり、哭士の後ろに丸まり色把は動かなくなる。
そして十分後、寝息が聞こえ始める。限界ではなかったのかと内心首をかしげた。
ストーリーは一通りの盛り上がりを見せ、
友禅のリモコン操作による恐怖シーンのスロー、巻き戻しが繰り広げられながらも、居間のテレビ画面にはようやくエンドロールが流れ始めた。
友禅と苑司の間で、燃え尽きている金髪頭はぴくりとも動かない。
「あれ、そういえばあの犯人、最後に何を持ってたっけ? 菊塵さん、覚えてる?」
「すいません……覚えてないです」
一度見聞きした事は殆ど忘れない菊塵には珍しい返答だった。
「さて、お疲れ様でした。まったく実りのない時間でしたね」
指でメガネを押し上げた。
「菊塵お前……」
――目の焦点合わせないで見ていただろう。
また言葉を飲み込んだ哭士だった。
「ん? ユーリ、鞄から何か出てますよ」
大暴れした結果、ユーリは自分の鞄まで蹴り飛ばしていたらしい。友禅が拾う。
「『13日のリングに着信アリ』……『2』!」
シリーズ化しているらしい。そしてユーリは二作とも借りてきたのだろう。
途端に目が輝きだす友禅。
「ユーリ! 続きを見ましょう! 苑司君も見ますよね!」
「あ、はい。良かったら……!」
二人のやり取りにあわてて顔を起こすユーリ。
「……! いや今日はもうやめとこう? ね?」
叫びすぎてかすれた声で咄嗟に拒否するが、パッケージを手に取っていた友禅が何かに気付く。
「……新作と書いています! これは翌日返さないと、延滞料金が発生すると以前教えてくれましたよね! せっかく借りてきてくださったんですから見たほうがいいです!」
リモコン操作で手際よくDVDを入れ替える友禅。続編のタイトル画面が現れた。
「ゆ、友禅! さっき『私、家電ってよくわかんなくて……』とか言ってたじゃんかよ!」
「さっき覚えました」
「嫌あああああ!」
ユーリの悲鳴は、さらに二時間程続いたのだった。