ちゃぷたーなな 『Master's dialy』
現時点の記録。
体力・平均以下。-3。改善の余地有り。
魔力・上々。+5。未だ発展途上。
センス・要勉強。
その他教養・これからの課題。
「…………」
ペンを置き、自分の文章を見なおして、顔を顰める。
「……なんだこりゃ」
誰かがこのノートを見たとして、果たして何人がこれを日記だと分かるだろう。ぶっちゃけ俺も半信半疑だ。
「……学生時代も、レポートは苦手だったなぁ」
懐かしい思い出だ。期限前日に徹夜でやった覚えがある。本の丸写だったので、大体再提出になっていたけど。
そもそも、基本的に日記なんて書かない性質だ。
「過去より今を大切にがモットーだからな」
嘘だ。真に受けるな。
「それに、記憶力は良い方だし」
これは本当。俺の脳は、大切だと感じた事は何があっても忘れない。
昔の思い出、辛酸なのは尚更だ。過去なんてずるずるだっつぅのこのやろう。
「…………」
……まぁ、それでも。
思い出の品を捨て去る事が出来た分、記憶も劣化してるってことか。
日記に記した弟子の記録に目を通しながら、俺は考える。
「……まずは何をするべきかな」
魔術どうこうの前に、基礎知識だなぁ。普通の勉強と一般教養。このふたつを教えてや
らないと。
「……マンツーマンか。人に教えれる人間か? 俺」
はっきり言って、社交性は無い。ここで暮らし初めて二年になるが、半日かかるご近所さんの対応は割と心に迫るものがある。
全く人気者は辛いぜ。後ろ指を指される生活に泣けてきそう。人間なんて嫌いだ。
……そんな俺が、人にモノを教える?
「……熊に教える方が楽かもしれない」
周りには頭の痛い子に思われるが。や、その前に熊にざっくりいかれるか。
「……逃げてるな。ヘタレ」
軽く頭を振って、思考を元に戻す。……ったく。つくづくダメ人間だ。
残りのご隠居生活、もうこれ以上後悔とは無縁としたい。
そんなものは二年前の、若気の至りで充分だってのに。
「…………」
あの日が無ければどうだったのか。
俺は未だに馬鹿のままだったろうか。
「……それはそれで、吐き出したい何かがあるな」
……最も、俺がより賢明だったとしても、あの展開を予想できたとは思えないが。
あの時俺に必要だったのは、勇気なんていう、無駄に若造だった俺が一番嫌いで。
未だにヘタレな俺に、一番足りないモノだ。
それが無かったから、俺は今こうやって、無駄に時を過ごしている。
「……はいはい、いい加減現実に戻ろうね。俺」
手に持っていたペンに、皹が入っている。口が寂しくて、つい咥えていたらしい。
「……ったく」
色々と、全然忘れる事が出来ていない。
「……記憶力があるのは辛いな、やっぱ」
……とりあえず訂正しよう。
もう、無駄な時を過ごすのは止めた。
あの日から俺の人生の意味は、全てアイツの成長に委ねたのだから。
……さて。それじゃあ、何から教えよう。
♪
「よ」
開け放した戸に、一応ノックをする。
「あ、はい……っ」
それだけで、椅子に腰掛けていた弟子は、背筋を伸ばし身体を固くする。
……まだ俺に慣れては居ないな。当たり前だけど。こいつが弟子になってから、半月も立っては居ない。
というか俺も慣れてない訳で。
向かいの椅子に腰掛けて見合わせば、文字通りお見合いのごとき固い雰囲気に。笑えねぇ……。
「……ま、とりあえずは勉強だよな」
言いながら、俺は手に持っていた書物を机に置いた。
「あ、あの……?」
否、積んだ。と表現する方が正しい。目の前に積まれた本の山に、狼狽する弟子。
「文字の読み書き。計算。常識。教養。取り敢えずこれだけだ。それから魔術。印しかないが、十分だろう」
その本の山ひとつひとつを手に取りながら、俺は冷静に説明する。
「俺の弟子なら、これくらいは覚えて貰わないとな」
弟子の顔が泣きそうだったり、青ざめていたりしていても、気にしない。
年齢からすると、少しやりすぎなきらいはあるが、こいつにはこれが必要なんだ。
俺だって、いつまでもこいつの面倒を見れはしない。
だから、出来る限り詰め込んでやる。
ひとりで生きる術、お前が俺を必要としなくなる術を、俺がお前の側に居れる間に可能な限り叩き込む。
それが、俺のこれからの在り方。
俺の夢はひとつだけ。こいつに、俺が必要で無くなる日が来ること。
……問題は、こいつがそれに耐えられるかってことなんだが……。
「よし。まずは……」
常識は一応ある。簡単な暗算程度なら出来るようなので、少なくとも売り買いくらいなら出来るだろう。……ならやっぱり読み書きか。
「お前、自分の名前書ける?」
問いかけながら、俺は白紙とペンを弟子の前に置いた。
「う……」
弟子は、ペンを手に取り、インクを付けると、紙の上に置いたまま、動きを止めてしまう。
「…………」
「…………」
「……………………」
「……………………」
「……書けないなら書けないって言え」
「……書けません」
顔を伏せて項垂れる弟子。その手に持ったペンが、紙にひょろひょろとミミズを描く。
「……ったく。それを教えるのが役目なんだっつうの」
俺は、弟子から紙とペンを奪い取り、さっと弟子の名前を書いた。
「ほら、これがお前の名前の綴り」
「はぁ……」
感嘆してるんだか、理解してないのか分からない声を上げる弟子。
「……ま、自分の名前くらい書けるようにしとけ。せっかく綺麗な名前なんだから」
「――――」
……そこで照れるなよ。やり辛いだろ。
「…………」
「むー……書けましたっ」
ペンを放して、紙を持ち上げる弟子。相変わらずミミズの這った様な字ではあるが、まあ読めないことはない。
「おーけー。取り敢えず合格だな」
「……えへへ」
「じゃあ次は……」
「え……」
取り敢えず、生活必需品は読めるようにしとかないと。と、俺は思い付く限りの単語を紙に書き込んだ。
「うし、取り敢えずこれだけだな」
「こ、これだけって……」
弟子が顔を引きつらせながら紙を覗き込む。……書き込んでいったら、紙が埋まってしまった。まぁ、仕方ないだろ。
「はい、今日中に全部覚えるぞ」
「う、うえぇ……?」
弟子は顔を上げると、困ったように顔を歪めた。……いや、泣くなよ。頼むから。
苦手だからそれ。
♪
「……うお、もうこんな時間か」
紙に掛かる影が濃くて、文字を書きにくいと思っていたら、既に赤い夕陽が世界を染めていた。
「仕方ない。今日はここで止めるか」
どうにもコイツも限界が近いようだし。
「は、はいー……」
弟子はペンを机に置くと、力なく呟いた。ぶっ続けで勉強していたので、多分疲れたのだろう。
「……ふむ」
机の上のものを片付けながら、勉強に使った紙に目をやる。
取り敢えず、コイツは決して頭は悪くないってことは分かった。
無知なのは決して馬鹿ではない。中身が空なら、後から入れれば良いのだから。
「さて、飯の準備でもするか」
「あ。は、はい」
片付けもひと段落して、俺は弟子に言った。最近は、コイツも料理の手伝いをしていて、基礎がそれなりに出来ていたとはいえ、勉強よりも料理の上達の方が早いのは……なんというか、師匠としては複雑だ。
「出来ましたっ」
「ん……」
俺がぼんやりしていたら、弟子が全てやってしまったらしい。……いや、本当に料理の方が上達が早い。
「あ、サラダが無いな」
「あ、はいっ」
それに、何と言うか、楽しそうである。
「…………」
笑いながら包丁を握る弟子の隣に立つ。
こうしてこいつの笑顔を見ていると、無理に勉強なんて教える必要は無いような気がしてくる。
少なくとも勉強を教えているときのこいつは、こんな笑顔を見せたりはしない。
こんなに楽しそうに笑うのに……どうして俺はこいつから、その笑顔を取り上げるような真似をしなければならないんだろう。
……いや。
駄目だ。
そんな考えじゃ、駄目なんだ。それじゃあ、例え今は笑顔でも、いつか、笑えなくなってしまう。
そんなに世界は、優しくはないから。
何時までも笑顔を守り続けることは、俺には出来ないから。だから、
「……問いのいち。料理の綴り。五秒以内」
「はい……っ?」
「さん、に、いち。終了。問いのに」
「え、ちょっと待ってください……っ!」
困惑した表情を浮かべた弟子が振り返る。……流石に唐突過ぎたか。
でも、
「終了。問いのさん」
少女は顔に焦りを浮かべながら、まな板と俺を交互に見つめる。それでも俺は、止めたりはしない。
「あの、待って……」
この時間も惜しいと思う俺は、やっぱり焦りすぎなのだろうか。明日もこの時間が、この平凡な幸せが続くと信じられない俺は、やっぱりヘタレなのだろうか。
「……っつう」
「…………え?」
ふと、我に返ると、弟子の右手が握る包丁が、左手の指に赤い切り傷を作っていた。
「……って、大丈夫かっ!?」
「へ、平気です……」
……って、泣き顔で言われても説得力ねぇって言うかあぁもう。
「ふむっ」
血の出ている指を口に含む。
「――――」
泣いていた弟子の動きが、一瞬硬直するが、今はそんなこと関係無い。
この怪我は多分……というか、確実に俺が意識を乱したせいであり、
「……取り敢えず、救急箱持ってくる。待ってろ」
「――ぁ、はい……」
……何をやってるんだろうな、俺。
この傷を付けたのは、俺だ。下らない焦りと妄念が、守るべき少女を傷付けた。
「……はぁ」
思い出の品は捨てた。俺を縛る鎖の象徴はもうここには無い。……だけど、記憶は未だに俺の心を蝕んでくる。
「痛くないか?」
消毒をして、包帯を巻きながら聞く。
「い、いたくないです……」
「強がんなよ。ほら」
傷が思ったほど深くは無かったのが、幸いか。包帯を切り取り、俺は眼鏡を押さえた。
「……すいません」
「……はい?」
「……すいません。出来の悪い弟子で……」
項垂れる弟子。……いや。
「何言ってんだ。悪いのは俺だ」
俺の下らない焦りと、妄想と、人付き合いの悪さが招いた事態。……出来の悪い師匠なのは、俺の方だ。少女の為とか言いながら、悪戯に傷つけてしまっている。これなら未だ、前の生活の方がマシだった。何て、また後ろ向きな思いが廻る。
思い出は、苦く優しい。
つい甘えたく成る程に。
……でも、そうは行かないんだ。
「焦らせて、悪かった」
「え……えぇ…っ!?」
素直に頭を下げると、弟子はやけに狼狽して、ぶんぶんと首を振った。
「な、何で……そんな、良いですよ別に……」
「いや、俺のせいだしな。人に教えるのは慣れてないんだ……出来の悪い師匠で、ごめんな」
「……うぅ」
もう一度頭を下げると、弟子は、困ったように視線を逸らして、
「じ、じゃあ、お互い様ですっ!」
なんて事を口にした。
「お互い様?」
「はいっ。わたしも、誰かに何かを教えて貰うのは初めてだし……師匠もそうなら、お互い様ですっ!」
……成る程ね。
顔を上げる俺に、弟子はうんっと小さく頷いて、
「だから……ゆっくりやりましょうっ。……だめ、ですか?」
不安げに首を傾げる弟子に、俺は苦笑した。
「そうだな……」
昔は、一年何て、あっという間だった。
でも、今は違う。
この戸惑いに満ちた生活は、ゆっくりと時間が進んで行く。
慣れない生活。
それでも、幸せかもしれない生活。
「もうちょい、気楽にやっていくか……」
……もう少し、噛み締めるように生きても、良いかもしれない何て。思った。
……それが、俺が初めて師匠になった日の、思い出。
『Master's dialy』
おわり。
次回更新は9月22日、20時予定。




