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ちゃぷたーじゅうよん 『切り取った風景』

「師 ……。 匠……」

「――――」

「もう……しーしょーおっ!」

「ぬあっ!?」

 突然の耳元での騒音に、俺は思わず奇声を上げる。

「なにやってるんですか、師匠」

 視線を向けると、不満げな表情の弟子がすぐそこまで顔を近づけて唇を尖らせていた。

「……ああ、ワリィ。ボーッとしてた」

 言い訳をしながら頭を振って意識を覚醒させる。……いかんいかん。起きたままで意識が飛びかけてた。

 俺は鉛筆をキャンバスに乗せて椅子から立ち上がって軽く背伸びをした。窓から射し込む冬の光が、少しだけ眼に眩しい。

「師匠、窓際で何をしていたんですか? ……って、わっ」

 キャンバスを見た弟子が、小さく声を上げた。

「……こ、これ、師匠が描いたんですか?」

「ああ。ラフスケッチだけどな」

 少し倉庫で探し物をしていた所、こういった懐かしいものが出てきたので、ちょっとやってみたのだ。窓からの風景なんぞをひとつ。

「師匠、絵が上手なんですねっ」

「んなことねえよ」

 楽しげに笑う弟子から目をそらし、再び絵に向かいながら答える。

 どうせ下手の横好きだ。俺の本業は魔術師だが、専行が陣であったため、こういった科目も存在した。

「それに、久々だしな」

 大学を文字通り飛び出してからだから、もう二年半近く描いてないわけだ。

「まあ、趣味って程ではないが、暇があれば適当に描いてたよ。本当に適当だから、専門的なことは分からないんだけどな」

「へえ……でも、凄いですよ師匠。じょうずですっ」

「……そりゃどうも」

 目を輝かせる弟子の言葉に、俺は無愛想に相槌を返しながら、鉛筆を一回、走らせた。

「……さて、そろそろ終えるか」

 キャンバスを半分くらい埋め尽くした所で、鉛筆を置いて、画材を片付けにかかる。

「……あれ、未だ全部描いて無いですよ?」 

「だから言ったろ、暇潰しなんだ。描きたいものがあるから描くんじゃなくて描きたいから描いてるんだ。だから、満足したらもうお仕舞い。……そうだな。俺、最後まで描いたこと、無いかもしれない」

「え……? あれ? うん……」

 首を傾げる弟子。俺の言い回しが良く分からなかったらしい。

「いえ……そんなことより、一度も完成した絵は無いんですか?」

「大学の課題以外はね。大体、こんな落書きに完成も何もあるか」

 久々に描いた所で、どうって訳でも無かったし。

 紙をくしゃくしゃに握り潰して、ゴミ箱に投げ捨てる。……入らなかった。

「ちぇっ……ん?」

 ふと視線を下ろすと、弟子がキャンバスと鉛筆を見つめている。

「……やりたいのか?」

「あ……はい。少しだけ」

 苦笑する弟子。

「それならそうと早く言え。片付ける所だったろ」

 持ち上げかけたキャンバスをもう一度置いて、鉛筆を弟子に持たせる。

「芯は……このナイフで削れ。あぁでも、気を付けろよ」

「え、でも……良いんですか? 勝手に使っても」

「俺の許可があるんだから勝手じゃない。つうか、そんなにケチじゃないよ俺は」

 苦笑いしながら、弟子を椅子に座らせる。

「まあ、これも魔術の勉強だよ。そんな堅くならずに、適当にやってみ。上手いか下手かは関係無くさ」

 そんな俺の言葉に、弟子は顔を綻ばせた。




「うーん……」

「…………」

 弟子が鉛筆を走らせるのを、俺は後ろから見守っている。

 ……しかし、なんだね。確かに、上手いか下手かは関係無くとは言ったけどね。

「うー……ん?」

 一体何描いてるんだろ、あれ。……抽象画?

「……師匠、大変です」

「……どうした」

 弟子が手を止めて、深刻そうに呟いた。や、うん。俺も大変だとは思うよ? マジで。

 弟子は、視線をキャンバスに向けたままで、

「わたしが絵を描いた時と、庭の景色が変わっ――いたぁっ!?」

「変わってねぇ、変わってねぇよ……。変わったとしたらそれは多分お前の水晶体の屈折率だよ……」

 弟子の頭を、横からぐりぐり。

「いたいいたいいたいっ! すいません謝りますからーっ」

 ……手を離す。弟子は不満げに、涙目で俺を見上げた。

「……だって、わたしの絵と風景が全然違うんですよ?」

「そこで何故風景が変わったという結論になるっ!? 普通に考えてお前の絵の方が間違ってんだろ! そして風景画かよあれっ!」

 抽象画じゃないのな。 弟子は風景と絵を交互にみて、むうと唸る。

「そんなに下手ですかね、わたしの絵」

「いや。下手じゃないよ、もう」

 うん。だってもう、そんなレベルじゃないし。

 悪く言えば破滅的。良く言えば壊滅的。みたいな。

「むぅー。失礼ですね師匠。ほら、良く見たらそんなに悪くないと思いますけどっ」

「いやいやいや、お前自身首傾げてたじゃん」

「そんなことないです。ほら、角度を変えてみたら。こう、首をこう……」

「……あ、ほんとだ。って違っ!? どう描けばこうなるんだよっ、お前の目に世界はどう映ってんだ!!」

 ……疲れた。

「はぁ。もうツッコミは良いか……しかし、酷いな」

 一呼吸おいて改めて見ても、やっぱり酷かった。それに、弟子は不満げに頬を膨らませた。

「……そもそも、画力なんて魔術に必要なんですか」

「……ああいや。専行にもよるけどさ。必要だよ。俺やお前だと、特に」

 魔方陣を扱う魔術は、そういう精度は特に必要になってくる。

「むー。いまいち納得行きません」

 説明しても、弟子はいまいち納得していないらしい。俺はやれやれと肩を竦める。

「納得しなくて良いけどさ……。あ、そうだ。でもな、魔術ってのは、こういう事も出来るんだぜ」

 俺はゴミ箱の隣に落ちた、くしゃくしゃに丸めた紙を取って広げる。中途半端に描かれた背景の木に、俺は鉛筆で陣を描き足した。

 途端、現実に存在するその木が、ボンッと音を立てて燃え上がった。燃え上がったとは言っても、ボヤ程度のものだ。

「しょぼ……まあ、このくらいの絵なら、そんなもんか」

 俺は再び紙を丸めると、今度こそゴミ箱に投げ入れた。

「師匠……? 今のって……」

 きょとんとした様子の弟子に、俺は説明する。

「まあ、こんな感じだ。限り無く現実に沿ったイメージは、現実に侵食する。って感じかな。もうちょいしっかり描けば、もっと凄い影響を、現実に与えられる」

 例えば、絵に描いたものを現実に出現させるとか。そういった魔術。

「陣とはちょい違うがな。両方『描いて』モノを発現させるものだから、相性が良いんだ」

「へぇー」

 感心したように声を上げる弟子。

「じゃあ、わたしの絵に何かを描いても──」

「いや、それは止めてくれ」

 あんな現実から解離した絵では、普通なら何も起きやしない。……か、なまじコイツは魔力が強い分、普通は出来ないことでも、無理やりやってしまえる可能性もある。その場合、あの混沌めいた絵が、現実に侵食する訳で……。

 ……考えるだけで、頭痛がする話だ。

「とーにーかーく! 今のはただ、腕が鈍っていただけなんですっ」

「描いたことあんのかよ」

「無いですけど」

 無いのかよ。

「鈍ってるって言わないからな。それ」

 俺は眼鏡を押さえてかぶりを振った。本当に頭痛がしてきそうだ。

「いえ、でも、今のは失敗ですが、たった一枚で決めないで下さい。ほら、三度目の正直って言うでしょう?」

「お前が言ってることは良く分からんが言いたいことは分かった。ただ色々間違ってるし、この場合は間違いなく」

 二度あることは三度ある……だろうな。確率とか失敗とか、それ以前の話だし。

 けれど、俺はもうこの会話にも疲れてきたので、仕方なく肩を竦めた。

「……まあ、好きにしてくれ」

「好きにしますよーだ」

 弟子は俺に向けて舌を出すと、再びキャンバスに向かいなおす。鉛筆が折れていたので、弟子はナイフを手に取ると、削り出した。

「ん、んーっ」

「…………」

 削り方に慣れて無いのか、力任せに刃を押す弟子……って危な!?

「おいっ。手、手をそこに置くなっ!」

「え?」

 きょとんとした顔で振り向く弟子――ってよそ見すんじゃ……っ!

「……あ」

 さく。……なんて擬音が、似合いそうなくらいに。

「…………」

「……あ、あう……」

「うわ、泣くなっ」

 ナイフは、弟子の人差し指に、スッパリと傷を作っていた。

 ……今の、俺のせいだろうか……?

「ああ、はいはい。動くなよ」

「う……うぇ……」

 涙目の弟子の手を取って、その指を見る。

「ああ、でも。出血の割に傷は浅いな。これなら大丈夫か……」

「う……」

 ああ、もう。泣くなよ、取り敢えず。

 俺は弟子の指を持って伸ばすと、そのまま口にくわえた。

「はむっ」

「――っ!?」

 よくわからんが、弟子の泣き声が止まる。ついでに動きも止まる。

「こんなもんだな。取り敢えず。薬を取ってくるから」

「……はい」

 ……? 何かやけにしおらしくなったな。よく分からんが、静かになったから良いか。


「……うー」

 手当てが終わってからも、弟子は人差し指を見つめながら小さく唸っていた。

「……なんだよ。未だ痛むのか?」

「え、いえ別になんでもないですけど。……それより師匠」

「ん……?」

 弟子は指先から視線を上げると、俺に目を向けて、

「どうして師匠は、一度も絵を完成させないんですか」

 ……そこに戻るんか。

「だから、そこまでのモンでも無いんだって。こんなん、暇潰しの中の暇潰しだぜ」

 俺がため息を吐きながら答えると、弟子はやっぱり唸り声をあげる。そして、思い付いたように、口を開いた。

「じゃあ、師匠。今日から描きましょう。絵」

「……はい?」

 聞き返せば、今までの不満顔はどこへやら。弟子は顔を輝かせている。

「そうだ、そうしましょう師匠っ。楽しそうじゃないですか」

「いや……まて」

 楽しいか?いや、少なくとも俺は楽しく無いぞ?

「良いじゃないですか。わたしは楽しいんですっ」

 声を弾ませる弟子。……むう。良いのか、それが。何故か弟子は顔を輝かせているし、ここは師匠としてひとつ、懐の広いところを見せるべきか。

「……いや、まて。俺は誰だ。魔術師だぞ」

 と、俺の気持ちと立場が葛藤をする中、弟子は無邪気に微笑んで、

「描いてくださいっ」

「……うん」

 ……いや。弱いよ、俺……。




「あの……それで、どうしてわたしが、モデルなんですか」

「良いだろ別に。だいたい、お前が言い出しっぺなんだから」

 弟子を椅子に座らせ、俺はその向かいに座って、キャンバスを間に向かい合う。

「そうですけど……」

 弟子は所在無さげに俯いて、指を動かしている。

「う……うー。あの、恥ずかしいんですけども」

「ああ、そうか。気にするな」

 とりあえず即答して黙らせる。というより、動くな。

「だ、だいたい、なんでわたしなんですか」

 何でって……。

「ピッタリだろ」

「…………?」

 俺が、最初に……最後に描く絵としては。

「ま、気にするな」

 こればっかりは、お前が気にしたところでどうにもなら無いから。


 ……そういえば。

 考えていなかったけど。

 ……考えたくも、無いこと、だけど。

 俺が居なくなったら、こいつ、どうすんのかな。

 泣くなよって言っても、泣くんだろうな。

 ……時間は、短い。

 俺は、どうすりゃ良いだろう。


「……ししょう?」

「……なんでもない」

 ああ、とりあえず。

 この絵を、完成させよう。

 先のことなんて、関係無く。

 この一瞬を、切り取る為に。

「……何日掛かるか、知らないけどさ」



『切り取った風景』

おわり。

次回更新は10月13日、20時予定。

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