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前略、塀の中から

作者: 伊達倭

 実にくだらない理由で、世紀の大泥棒、高柳昌彦はお縄についた。

 どんな鍵でも五秒で開けて、最新式のセンサーなんぞモノともせずに。ある時は宝石を、またある時は札束を、実に鮮やかな手口で盗み取った。仲間内からはヤナに盗めぬモノはなしと謳われ、警察は影を踏むことさえできずにいた。

 そんな高柳が逮捕されたのは、ラブホテルの一室だった。男前の高柳は女の心を盗むのも得意だったのだが、婦警さんのハートを盗んだのがいけなかった。宵越しの銭は持たない、江戸っ子の高柳は婦警と会う前に銀行の金庫から盗み出した一千万円を、一発カマした後に「遊びってわけじゃねぇけど」なんて格好をつけて言って、渡してしまったのだ。

 尋常ではない手管にすっかり骨抜きにされた婦警だったが、一千万円を見た途端、立たぬはずの足腰を職務への執念により動かし、先ほどまで己の身体を戒めていた縄で高柳を縛り上げた。大金を前にすると喜ぶよりも驚くよりも前に、事件だと決めつけた美人婦警は警視総監殿直々に表彰されたのだが、近づく男はいなくなった。

 かくして高柳は文字通りお縄についた。あんまりにも情けない捕り物劇に高柳はすっかりふて腐れていたが、銭形警部そっくりの刑事に取り調べを受けている途中、敬愛するルパン三世も似たような失敗をよく繰り返していることに気づいて、刑務所に放り込まれる頃にはすっかり機嫌を直していた。


 執行猶予のつかない無期懲役を食らった高柳だが、とりあえずいつでも逃げ出せるので、折角の刑務所生活を満喫することにしてみた。何故なら、敬愛するルパン三世もたまに刑務所で縞模様の囚人服を着て笑っていたからである。

 しかし、刑務所の夜はべらぼうに長かった。愛読書であるルパン三世はぼろぼろになるまで繰り返し読み、相部屋だったヤクザに今まで踏んできた事件のあらましを説明して、最後に抱いた婦警を思い返しても、まだまだ時間は余っていた。

「暇なら読んでみたらどうだ。意外に面白いぞ」

 相部屋のヤクザが暇つぶしに勧めたのは、ハードカバーの分厚い小説だった。

 本と言えば漫画。しかもルパン三世しか読まぬ高柳は丁重にそれを断ったのだが、三日もすれば暇で発狂しそうになったので、抜け出そうとしたのだが、如何せん世紀の大泥棒に対するガードは堅い。四六時中監視する看守に辟易しながら、渋々ハードカバーの小説を読んでみることにした。

 結果から言うと、分厚いハードカバーはルパン三世を十回読み返すよりも時間が潰れ、今まで感じたことのない感動を高柳の胸に与えた。

「よければ、他にもあるが」

「貸してくれ」

 ヤクザは何故かクソ甘い恋愛小説から、哲学書まで幅広いジャンルの本を所持していた。何と言うことはない、長い懲役を受けたこのヤクザは刑務所の中での暇潰しに、本がとてつもなく有効であることをよく知っていたのだ。

 高柳はすっかり本に魅了され、そのうち、抜けだそうと思っていたことをすっかり忘れた。ヤクザの持ってきていた本を読み尽くして、もう一度読み返そうかと思っていたところに、弁護士がやって来た。頼んでもいないのにやって来た国選弁護士である。

「印象をよくするために、反省文を書くべきでしょう」

 それで高柳はようやく自分が懲役者であることを思い出した。しかし、本を読めるのだから懲役を食らったままでもいいんじゃないかと、素敵な理論展開をかました。

 高柳の態度を、自分の犯した罪を全身で償おうという姿勢に取った弁護士は、若くて熱血であった。反省しきった世紀の大泥棒に、せめてゆとりある獄中生活を営んでもらおうと、弁護士は紙とペンを用意した。

「せめて看守の見張りを無くしたいでしょう?」

 弁護士の提案は高柳の意に沿う物であった。高柳は人に見られながらの読書は気が散るものだな、と曲解したのだが。

 かくして高柳は中学校以来、一度も取り組まなかった作文という作業に取りかかった。

 最初は嫌々であったが、驚くことに筆はすらすらと進み、内容も世紀の大泥棒と言うよりも、根っからの小市民が書いたようなものだった。悲壮感に溢れ、人情に訴えかける会心の出来であった。高柳はこの反省文に酔った。俺は実は泥棒よりも小説家のほうが向いていたのだと、驚異の勘違いをした。

 ただ、彼にとって幸か不幸か、その勘違いは、あながち勘違いではなかったようである。四六時中の監視は取り消され、ゆっくりと読書を楽しむことが出来るようになった。ただ、高柳は本よりも、紙とペンを所望した。


 本に魅せられ、今度は執筆に魅了されたのである。


 こうなると囚人ほど有利なものはない。取り敢えず囚われの身ではあるが、簡単な作業さえしていれば後はヒマである。飯を自分で作る必要もなければ、風邪で倒れても面倒を見てくれる。外に出ることは出来ないが、出る気がなければこれほど快適な場所は、探しても見つからない。 高柳はヒマな時間を執筆に費やすことにした。

「最初は短い物から書くといい。書けたら見てやろう」

 相部屋のヤクザはこれ以上ない理解者だった。何でも、ドンパチで相手のヤクザの親分をピストルで蜂の巣にしたとかいう、とんでもねえ肩書きで刑務所にやって来たらしいが、今ではただの読書好きの中年である。娑婆の読書家の十倍暇な塀の中のヤクザは、娑婆の十倍は本を読んでいるのである。

 最高の環境と最大の理解者を得た高柳は覚えたての猿よろしく、思いつくがままに筆を走らせた。筆が暴走することもしばしばで、甘ったるい恋愛小説を書いていたつもりが、謎が謎を呼ぶ推理小説になってしまっていることもあった。

「ヤナさん、まだまだ足りないな」

 高柳の習作を読んだヤクザは顎をさすりながら呟いた。

「何が足りないんだ?」

 己の才を貶された気がして、高柳はやや声のトーンを下げて尋ねた。ヤクザは高柳のそんな仕草もお見通しらしく、にやりと笑った。

「全然、読書量が足りない。もっとたくさん本を読んでみるんだな」

「かなり読んだぞ」

「まあ、そんなに尖らないで。騙されたと思って適当に一冊読んでみろよ。きっと面白いことになるから」

 高柳は自作にケチをつけられたこともあってか、自分の才能がヤクザの手の届かないところにあると決めつけた。途方もない勘違いである。

 しばらく高柳はヤクザの言葉を無視して執筆を続けたが、一週間もすれば行き詰まり、散々苦心した挙げ句、手近にあった一冊の文庫を手に取った。息抜きのつもりだったのだが、ぱらぱらとページを捲るうちに、妙なことに気が付いた。内容に見覚えがあるので、既に読了した本であるはずなのに、この前読んだ時とはまるで印象が違う。内容を追うことに精一杯だったのが、所々に溢れる文章の微細に気付いたのである。

「どうだいヤナさん、俺の言ってること、わかったかい?」

「ああ、まだまだ足りなかった」

 ヤクザの言葉は真実だった。単なる読者と曲がりなりにも執筆をしている人間では、文章の読み方がまた違う。特に二度目に読む時は、かなり大きな違いになる。高柳は己の傲りを知り、ヤクザに謝り、再び本を読み漁り始めた。

 一度火がついた暇人は本当に見境がない。こと、倫理観なんぞ完璧に無視して、ルパン三世を人生の師とまで仰いだ高柳である。三島由紀夫と太宰治を併読してしまうぐらいに不躾だった。純文学もライトノベルも愛してしまうぐらいに無節操だった。そしてそれに見合うだけ無秩序な小説を書き殴った。

 恐ろしく暇な夜を過ごす囚人仲間は、実に良き批評家であった。こと、官能小説は重宝された。恋の大泥棒でもある高柳の、豊富な経験から生み出されたそれは実に生々しく、艶めかしく、それでいて後腐れがなかった。エロ本なんぞ持ち込めない囚人達はエマニエル婦人。少し学のある人間は源氏物語を唯一の慰みにしていたので、高柳の小説は看守達の目の届かぬところで大いに回し読みされて、終いには看守まで読むようになった。高柳は水を得た魚よろしく、ひたすら執筆を繰り返したが、やがて一端にスランプに陥った。

 どんな分野でも、スランプというものは必ず存在する。そしてそれは例に漏れず、新たなるステップへの扉である。

 高柳は目覚めた。三島と太宰を併読したことを悔やみ、ライトノベルと純文学を同時に愛したことを恥じた。無秩序かつ無節操な囚人小説家は、ここに己と、己の筆の進むべき道を見いだした。

 高柳は再び本を読み漁った。元より盗むのは得意である。女流作家の繊細な表現を盗み、大家の大胆な構成を掠め取った。宝石を盗むと怒られたが、宝石よりも美しい言葉を盗んでも、誰も咎めはしなかった。

 囚人仲間は嘆いたが、高柳は己を信じて筆を執った。恐ろしく暇なはずの夜は瞬く間に明けて、飯を食うのも忘れて筆を奔らせた。

 相部屋のヤクザはやはり最大の理解者だった。意のままに筆を駆る高柳の良き編集者になった。

 やがて、囚人仲間が何人か娑婆に出て、何人かくたばった頃に、ようやく高柳の小説は完成した。

「これが俺の本当の処女作だ」

 そう言い切った、新生高柳の生み出したのは、大衆小説だった。シンプルなストーリーはわかりやすく、それだけに巧緻かつ大胆な文章が映えた。天下の大泥棒の躍動感溢れる大活躍は、今でも敬愛するルパン三世の如き爽快な気分を与えた。一方で繰り広げられる大恋愛は、ハーレクイーン以上に陳腐であったが、思わずホロリと来てしまう出来だった。

 ヤクザのお墨付きで某社に送られた原稿はたちまちのうちに文庫化してベストセラーになり、獄中にてありがたい賞まで頂いてしまった。

 高柳は自身を獄中小説家と名乗り、刑務所の中からいくつものベストセラーを世に送り込んだ。せっかく模範生として娑婆に戻れる事になった後も、「俺はここのほうがいい。ここに置いてくれ」と駄々をこねて刑務所に居座ってしまった。ヤクザは社会復帰した後は稼業を退き、高柳の専属編集者となった。

 かくして世紀の大泥棒と謳われた高柳昌彦は世界でただ一人の獄中小説家として、今でも数多の読書家の心を盗んでいる。


拙作を読んで頂き、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かったです、愛読書がルパン三世なんて最初はどんな泥棒だと思ってしまいましたが、そこから本を書きにいくとは思いませんでした。 なるほどなーと思ったのは執筆している人間が本を読むと違った感…
[一言] 事実の話かと思い、最後まで一気に(仕事中に)読んでしまった。 クセがなくて解りやすく、読者に「読み込ませる能力」が高いと思う。 敢えて指摘させていただくと、 ・“ルパン三世”という素材がチー…
[一言] 題名がすごく魅力的だと思いました。淡々とした潔い語り口も、主人公の大泥棒にマッチしていてすごくうまいなぁと感心しました。ただ、終わり方にもの足りなさを感じ、前半の高揚感をぎゅっとまとめるよう…
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