第3話
「寒っ!」
冷たい風に襲われて、俺は目を覚ました。
身体を起こした瞬間、俺はあることに気づく。
「は?俺、全裸!?」
視界に飛び込んできたのは、立派に反り立つ『男の誇り』だった。
まさか!?これが勇者の剣……!?
そんなくだらない思考を冷え切った風が吹き飛ばしていく。
「なんで服なくなってるんだよ……」
身体中に鳥肌が立っている。ガタガタと震えながら立ち上がり、視界を回す。
見渡す限りの木々。おそらく、ここは森の中だ。
太陽は高い木々に遮られ、地面には深緑色の影が落ちている。そのせいで余計に寒い。
人の気配はない。聞こえるのは風の音と、鳥の鳴き声だけ。
「本当に……異世界に転生したのか……?」
とりあえず、人がいそうな場所を目指そう。このままでは凍え死んでしまう。
「全裸は……『常識改変』でなんとかなるか……?」
寒さで縮こまってしまった《《ブツ》》は、もう『誇り』と呼べる代物ではなくなってしまった。
ああ、悲しきかな。
■
「寒い……」
何度口にしたか分からないその言葉は、掠れてしまってほとんど声になっていなかった。
一時間は彷徨っただろうか。足はふらふらで、視界が歪み始めている。
明らかに限界だった。
その時だった。
――ガサッ。
近くの茂みが揺れる。俺は反射的に身構える。
今の俺は丸腰どころの話じゃない。敵意のあるものだったら、完全に終わる。
「……え?」
飛び出してきた音の正体と目が合った。
人のような形をしている……が、明らかに人間ではない。
濃い体毛。がっしりとした体格。突き出た眉骨と低い額。
まるで……サル……?
学生時代、歴史の資料集で見たことがある気がする。
「ウッ?」
相手は俺の剝き出しになった股間を見て、目を丸くする。
俺の《《ソレ》》は静かに情けなく揺れていた。
「ウワアアアアアッ!」
サルのような男は雄たけびを上げ、森の奥の闇へと走り去っていった。
しばらくの沈黙。
なんでだろう……なんだか少し、むなしい気持ちになった。
「今のは……人じゃないよな……?」
ぽつりとつぶやいた、その瞬間。
「ごめんなさぁぁぁぁぁい!」
頭上から、ユリアの声が降ってくる。
かと思えば――
「きゃあああああああ!」
「うげぇ!」
ドスン!
重たい衝撃が頭に落ちてくる。そのまま俺は地面に押し倒される。
一瞬の出来事で何が起きたのか分からなかった。
身体を起こそうともがいた瞬間、手のひらに柔らかな感触があることに気づく。
それは紛れもなく、お尻だった。
薄い布に包まれた大きなお尻。いい匂いがする。
ちょっと待て。俺の目の前に尻があるということは、女神の目の前には――……
「だ、だだだだ大丈夫ですか――って、きゃあああああああ!」
鼓膜を震わすほどの絶叫。
「な、なんで《《こんなもの》》が目の前にあるんですかッッ!?」
「なんでって……こっちが聞きたいわ!っていうか、こんなのって言うな!こんなのって!」
俺はユリアの身体を押しのけて立ち上がる。
「ってか、なんでここに?」
「そ、それはですね!……えっと、その……あの……」
勢いよく話し始めたかと思えば、どんどん言葉が尻すぼみになっていく。
無言でじっと見つめていると、目線が泳ぎ始めた。
「その……転生先をミスってしまいましてぇ……」
「お前……マジかよ」
「うぅ……すみません……」
ユリアの声は今にも泣きそうなほど弱々しかった。
「ワタクシ、こういうドジをよくやってしまうんです……」
「ドジで済むのか……?」
人違いで殺しやがった挙句、転生先まで間違えやがるとは、魂を導く女神を解雇されるレベルの大ミスではないだろうか。
「すみません……本当にすみません」
「まあ、ミスったのはしゃーないとして、今からでもちゃんとしたところに飛ばしてくれよ」
「あー……そのことなんですが……」
またもや、ユリアの表情が暗くなる。
「一度異世界に飛ばしてしまったら、先ほどの”条件”を満たしていただかない限りは別の世界に飛ばすことはできないんです」
「ミスなのに!?」
「制約を破ってしまうと、ワタクシが消えてしまうので……」
「それなら仕方ないか……」
いや、仕方がないことはないんだけど。
「んで、ここは何処なんだよ。さっきの……サルみたいなのも意味わかんないし」
俺がそう問いかけると、ユリアが申し訳なさそうに指をつんつんと合わせる。
「そのぉ……言いづらいんですけどぉ……」
「そればっかだな」
「ここ、実はかなり昔の世界でして」
「昔?」
「はい……大体、約50万年前……旧石器時代の世界ですね」
「……は?」
思考が止まる。
ってことは、さっきのサルみたいなやつは旧人類……?
「俺、旧石器時代に全裸で放り出されたってこと?」
「そういうことになりますね」
「マジか……」
俺は改めて自分の身体を見下ろした。
「さて……これからどうするか……」
「大丈夫ですよ!」
何故かユリアの表情は自信に満ち溢れていた。
「大丈夫……なのか?」
「この世界なら、功績を残すことはきっと容易でしょう」
「簡単に言いやがるな……」
見渡す限りの木々と草。『文明』の”ぶ”の字も感じられない光景。
こんな世界でいったい何を成し遂げればいいのだろうか。
「貴方様が今はない『文明』の発展の手助けをすればいいのです」
「文明の発展の手助け?」
「例えば……この世界に住む者たちに言葉を覚えさせる……とか」
「言葉?」
「この時代の方々はまだ言語を持っていません。言語が出来上がれば情報を残すこともできますし、知識の共有もできます。そうすれば、文明の発展の第一歩となるでしょう」
「なるほどねぇ……」
そこで、俺の頭にある疑問がよぎる。
「ちょっと待て。俺が言語を広めたとして……それって歴史が変わってしまうんじゃないのか?」
いわゆる『タイムパラドックス』というやつだ。
「それについては安心してください。ここは貴方様の元の世界とは切り離された『異世界』ですので」
「へえ……一応、異世界ではあるんだな」
「はい。見た目は似ていても、貴方様がいた世界とは別の世界線に存在しています。つまり、ここで何が起きようと、貴方様の元いた世界には一切の影響はありません」
「そうなのか……」
それなら言葉を覚えさせるというのは、条件を満たす功績としては十分すぎるだろう。
けれど、そんなに簡単に言葉を覚えさせられるものなのだろうか。
文字通り、サルに字を教えるようなことだ。
「それについても安心してください!ワタクシも同行しますので!」
ユリアがどんっと胸を張る。
やっぱりデッッッッッッッッッッ!
なんて思った瞬間、すぐに引っ込める。
いや、引っ込めたところで、でかいものはでかい。
「ついてくるのはやめてほしいかもしれない」
「ええ!?なんでそんなことを言うんですか!?」
「なんでそう言われるのか、そのでっかい胸に手を当てて考えてみろ」
こんな(度が過ぎた)ドジっ子(自称)女神と一緒にいたら、いくら命があったって足りない。
「えぇ~!お願いしますよぉ~!ワタクシだって、腐っても神様なんですから」
「腐ってもとか、あんまり自分で言わない方がいいぞ」
「うぅ……お願いしますぅ……見捨てないでください……」
ユリアが俺の足に情けなく縋り付いてくる。
「分かった、分かったから。連れてってやるから離れろ!」
「ありがとうございますぅ……」
ほっとした表情でユリアが俺の足から離れる。
人肌のぬくもりが風に乗って消えていく。
「……とりあえずさ」
「はい!なんでしょう」
「服、用意してくんね」
「ワタクシはもう見慣れたので、そのまんまでも構いませんよ?」
「俺が構うんだわ」
「え?そうなんですか?てっきり、見せつけるのが好きなのかと……」
「そんな変態ではねぇよ」




