第8話:聖者のプロトタイプ
「聖者認定」という茶番劇は、瞬く間に進んだ。
水晶玉を破壊するという派手なデモンストレーションのおかげで、僕は完全に「神の愛し子」としてロックオンされてしまった。
司祭は狂喜乱舞し、騎士たちは直立不動で敬礼する。
村長に至っては、地面に額をこすりつけて拝み始める始末だ。
(……誤解だ。全部バグだと言いたい)
だが、今の状況で否定しても、「謙虚な聖者様だ!」とさらに評価が上がるだけだろう。
僕は諦めた。
どうせバレたなら、この状況を最大限利用するしかない。
僕は教会が設営した豪華なテントに招待された。
村一番の客をもてなすための場所らしいが、中にはふかふかの絨毯が敷かれ、見たこともない高級な菓子が並べられていた。
「――つまり、レイン様は王都へ行くことに同意されると?」
司祭――名前はバルドというらしい――が、揉み手をしながら尋ねてくる。
先ほどの威圧感はどこへやら。今の彼は、大切な「商品」の機嫌を損ねないよう必死な営業マンそのものだ。
僕は菓子を齧りながら、頭の中で計算機を叩く。
王都へ行くメリットとデメリット。
**Pros:**
- 王都の図書館で、この世界の技術資料にアクセスできる。
- 質の高い魔道具や触媒が手に入る。
- 衣食住の保証(パトロンの獲得)。
**Cons:**
- 教会の広告塔として利用される。
- 自由な時間が減る(可能性がある)。
- 面倒な政治闘争に巻き込まれる。
(……まあ、田舎で燻っているよりはマシか)
「うん。でも、条件があるの」
僕は口元のクリームを拭い、指を三本立てた。
子供らしい仕草で、しかし内容は大人びた要求を突きつける。
「一つ。リナも一緒に連れて行くこと」
「リナ……あの少女ですかな?」
「そう。彼女は僕の……大事な『安定剤』だから」
僕の魔力は不安定だ。
再び暴走しかけた時、リナという大容量バッテリー(兼バッファ)がそばにいないと、僕自身が自滅するリスクがある。
それに、彼女には借りがある。
ここで置いていくのは、パーティメンバーとして不義理というものだ。
「承知いたしました。聖女候補、あるいは聖者の側仕えとして同行させましょう」
「二つ。美味しいご飯と、ふカふカのベッドを用意すること。あと、毎日お風呂に入りたい」
「お安い御用です! 王都の大聖堂には、最高の設備がございます」
「三つ。――僕が大人になるまで、面倒な『お仕事』はさせないこと」
これが一番重要だ。
今の体で「魔王退治」だの「国境紛争」だのに駆り出されたら、過労死する前に物理的に死ぬ。
僕はまだ成長期なのだ。十分な睡眠と栄養、そして適切な負荷トレーニングが必要だ。
「お仕事……ですか?」
「神様が夢で言ってたの。『器が育つまで待て』って」
僕は適当な嘘をついた。
神様なんて見たこともないが、こういう時は便利だ。
「今の体じゃ、神様の力に耐えられないんだ。だから、僕がおっきくなるまでは、教会の中で勉強させてほしいの。……だめ?」
上目遣いで尋ねる。
首をかしげ、潤んだ瞳で見上げる。
あざとい。自分でも引くほどあざといが、効果は絶大だ。
バルドは涙ぐんで大きく頷いた。
「おお……なんと健気な! 承知いたしました! あなた様が立派な聖者として覚醒される日まで、我々が全力でお守りしますとも!」
(……ちょろい)
よし。契約成立だ。
これで「衣食住」と「教育環境(ドキュメントへのアクセス権)」、そして「猶予期間」を確保した。
王都の教会には、古代の魔法書が山ほどあるはずだ。
それらを読み漁り、この世界の仕様を完全に理解した頃には、僕の体も成長しているだろう。
だが、最大の難関はそこではなかった。
両親への説得だ。
テントを出て自宅に戻ると、家の中は重苦しい空気に包まれていた。
騎士たちから「息子さんが聖者として王都へ行くことになった」と告げられたのだろう。
部屋の隅には、僕の小さな荷物がまとめられていた。
「……レイン、本当に行くのか?」
父さんが、絞り出すような声で聞いてくる。
その顔は、老人みたいにやつれていた。
母さんは椅子に座り込み、ずっと目を赤くしている。
普通なら、五歳の息子を手放す親なんていない。
「行かないでくれ」と泣きつくのが当たり前だ。
でも、彼らはそうしなかった。
(……気づいているんだ)
僕が「普通」の子供じゃないことに。
三歳で言葉を理解し、魔法を使いこなし、大人のような目をする息子。
彼らは僕を愛してくれたが、同時に、どこかで「畏怖」していた。
いつか遠くへ行ってしまうのではないか。
自分たちの手には負えない存在なのではないか。
そんな予感を、ずっと抱いていたはずだ。
「うん、父さん、母さん。僕、もっと魔法のことが知りたいんだ。この村じゃ学べないことがたくさんあるから」
僕は彼らの不安を肯定するように、はっきりと告げた。
残酷かもしれない。
でも、ここで甘えて村に残れば、僕は一生「便利な魔法使い」として消費されるだけで終わる。
自分の人生は、自分で選ばなきゃいけない。
「でも、まだお前は五歳だぞ……!」
「大丈夫。リナも一緒だし、バルド様もよくしてくれるって。……それに、僕が立派な魔法使いになって帰ってきたら、父さんたちをもっと楽にしてあげられるでしょ?」
僕は精一杯の子供らしい笑顔を作った。
これは今生の別れじゃない。
ただの「長期出張」だ。
スキルアップして、もっと稼げるようになって、帰ってくる。それだけのことだ。
「……分かった。レインが決めたことなら、止めない」
父さんが深呼吸をして、僕の肩に手を置いた。
ゴツゴツとした農夫の手。
「お前は賢い子だ。俺たちなんかより、ずっと……。だから、お前の選ぶ道が正しいんだろう」
「あなた……」
「体にだけは気をつけるのよ。無理しちゃだめよ。辛かったら、いつでも帰ってきなさい」
母さんが僕を抱きしめる。
その温かさに、胸の奥が少しだけ痛んだ。
「ハードウェア・エラー」ではない。
これは、ソフトウェア(感情)の痛みだ。
前世では、親孝行なんて何一つできなかった。
仕事にかまけて実家にも帰らず、いきなり過労死して、親に白髪の自分を見送らせるような不孝者だった。
だからこそ、今世では必ず、彼らが自慢できるような息子になってみせる。
「レイン・リファクトの親」として、世界一いい思いをさせてやる。
「行ってきます。……ありがとう」
僕は涙を堪えて、頭を下げた。
***
家の外に出ると、夕焼けが村を赤く染めていた。
隣の家から、リナが出てくる。
彼女もまた、大きな荷物を背負っていた。
彼女の両親も外まで見送りに来ているが、その表情はどこか晴れやかだ。
「聖女候補」として王都へ行くことは、村娘にとっては玉の輿にも等しい名誉なのだ。
「レイン!」
リナが僕を見つけ、パアッと顔を輝かせる。
さっきまで泣いていたのか、目は少し腫れているが、その表情には決意が滲んでいた。
「準備、できた?」
「うん。お父さんもお母さんも『頑張ってこい』って」
「そっか。……怖くない?」
「怖くないよ。レインと一緒だもん」
リナが笑う。
その笑顔を見て、僕の肩の力が抜けた。
そうだ。一人じゃない。
この無駄にハイスペックで、でも危なっかしい幼馴染がいる。
彼女を制御し、守り、時には守られる。
そんなパートナーがいるなら、王都という魔窟でもやっていける気がした。
「よし。行こう」
「うん。……これでしばらくは、安心だね」
リナが嬉しそうに言う。
僕も笑い返した。
そう、王都に行けば、衣食住は保証される。
バグだらけの村の生活ともおさらばだ。
安全な壁の中で、じっくりと自分の体を鍛え直せる。
「……ああ。計画通りだ」
僕は自分の手を握りしめる。
まだ小さく、頼りない手。
だが、数年もすれば、自分の書いたコードを自在に操れる「エンジニアの手」になるはずだ。
それまでは、教会の庇護下でじっくりと――爪を研がせてもらうとしよう。
そう思っていた。
だが、嫌な予感が消えない。
僕が蒔いた「種」が、出発の直前に芽吹くかもしれないという、漠然とした不安。
「バグ」は、修正されるのを待ってはくれない。
むしろ、リリース直前のこのタイミングを狙い澄ましたかのように、牙を剥くものだ。
【今節の専門用語解説】
・プロトタイプ(Prototype)
本格的に作る前の「試作品」のこと。今のレインはまだ完成品ではなく、成長途中の「聖者プロトタイプ」である。教会は彼の完成を待つことに同意した。
・SLA(Service Level Agreement)
サービス品質保証契約。提供するサービスの範囲や品質、対価などを定めた契約のこと。レインは教会に対し、「将来的に働く代わりに、今は衣食住を保証しろ」という契約を結んだ。
・オンサイト(On-site)
「現場」のこと。客先に常駐して仕事をすることを「オンサイト勤務」と呼ぶ。レインにとって王都行きは、聖者という仕事のための長期出張のようなものだ。




