第51話:The Eternal Seeker
あの日から、十年が経った。
空は青く、世界は穏やかだった。
学園の時計塔が、静かな昼下がりを告げている。
「リナ先生。ここの魔力の流れ、どうすればいいですか?」
「ここはね、無理に流そうとするんじゃなくて、全体の循環を意識して……そう、そんな感じ」
新入生たちに魔法を教えながら、わたしは空を見上げた。
わたしよりずっと年下の生徒たちに「先生」と呼ばれても、わたしの外見は十年前の――十五歳のまま、一切変わっていない。
澄み渡るような青空のさらに奥。
そこにいる「白い虚空」の一人の幼馴染だけが、わたしの時計を止めた存在だからだ。
世界は変わった。
聖女の犠牲は不要になり、教会のあり方も見直された。
十年の歳月をかけ、ヴァイスさんが新しい体制の中心となり、ゼノ大司教と共に真の意味で人々を導く組織を作り上げた。
エララちゃんは立派にヴァロス公爵家を継ぎ、古代魔法の知識を一般開放して魔力インフラの整備を進めている。
ミオちゃんは学園の図書館長に出世し、膨大な書物を整理しながら新しい歴史を編纂していた。
誰もが前を向き、幸せな未来に向かって力強く歩いている。
でも。
みんなの記憶の中に、「彼」はいない。
『誰が世界を救ったのか』という記録は、世界中から完全に消え去っていた。
ミオちゃんの完全記憶アーカイブですら、あの瞬間のことだけは「原因不明のブランク(欠損)」として処理されている。
皆はそれを「名もなき神の十年前の奇跡」と呼んだ。
レインが、自分で消したのだ。
自分の存在が、残されたわたしたちの重荷にならないように。
一生、自分への罪悪感を抱えて生きることのないように。
彼はそういう人だ。どこまでも不器用で、合理的で……優しすぎるくらい、優しい人。
ただ一つ、計算違いがあったとすれば。
わたしが、絶対に彼を忘れない「定数(const)」になってしまったこと。
わたしは右手にある、小さな指輪のようなものを撫でる。
石英の欠片。五歳の時、彼が河原の石を削って作ってくれた、出来損ないの魔法杖。
あの時から、わたしの思いは止まっている。
聖女の刻印を剥がされた瞬間、一瞬だけ見えた自分の命の根源で、わたしは自分の時間を止めた。彼を待つために。
***
それから、五十年が経ち……百年が過ぎた。
人間の寿命は短い。
ヴァイスさんが逝き、ゼノ大司教が世を去った。
エララちゃんは孫たちに囲まれながら、賑やかにその生涯を閉じた。
ミオちゃんは最後の瞬間まで本を読み続け、安らかに眠りについた。
彼らを見送るたび、わたしは一人で泣いた。
みんな、素晴らしい人生を生きた。レインが命を懸けて守った世界で、精一杯生き抜いた。
わたしは永遠に十五歳の姿のまま、彼らのお墓に花を供え続けた。
誰もレインを覚えていなかったけれど、それでいい。わたしだけが覚えているなら、それで十分だ。
みんなを見送った後、わたしは旅に出た。
学園の教師を辞め、リュック一つを背負って、誰も足を踏み入れないような古代遺跡や、魔境と呼ばれる土地へと向かった。
目的は一つ。
この世界の魔力循環を支える『九つの泉』を、わたしの手で全て復元すること。
レインが空でシステムとして世界を支え続けているなら、システムなんて必要ないくらい、この世界を完璧に直してしまえばいい。
そうすれば、彼はもう「監視」から解放されるはずだから。
「……ここも、ひどく壊れてるね」
砂漠の地下深く。
埋もれた第二の泉の前で、わたしは一人ごちた。
レインなら、『クソコードだ』って言って文句を言いながら直すんだろうな。
わたしは彼のように、世界の法則を一瞬で書き換えるような神の力なんて持っていない。
ただ、彼が教えてくれた魔法の基礎と、彼が残してくれたこの小さな石英の欠片だけを頼りに、一つずつ、一つずつ、絡み合った魔力の糸を解いていく。
何年かかるか分からない。
百年、二百年……もしかしたら、もっと。
でも、怖くはない。
わたしは定数なのだから。時間がいくら流れても、わたしの思いは摩耗しない。劣化しない。
***
五百年が経った。
かつての仲間たちが作ってくれた平和の礎の上で、世界は劇的な発展を遂げていた。
人々は豊かになり、誰もが笑って暮らせる世界になっていた。
レインが望んだ、何一つ無駄のない美しい世界に。
「これで……八つ目」
大陸の最北端。凍てつく氷の洞窟の中で、わたしは八つ目の泉の脈動を感じ取った。
五百年前と全く変わらないわたしの手は、どれだけ過酷な遺跡を探検して怪我をしても、決して傷跡の一つすら残らない。
血が出ても一瞬で塞がり、すぐに十五歳の綺麗な肌へと元通りに修復されてしまう。「不変の定数」として生きるというのは、そういうことだから。
残す泉は、あと一つ。
わたしは氷の洞窟を抜け、外に出た。
吹雪が吹き荒れる中、見上げた夜空は、どこまでも高く、澄み切っていた。
雲の奥にある、白い虚空。
そこに、彼がたった一人でいる。
誰も覚えていない神様。
わたしだけの、幼馴染。
「ねえ、レイン。聞こえてる?」
返事はないと分かっているけれど、わたしは空に向かって語りかけた。
五百年間、毎晩欠かさずそうしてきたように。
「あと一つだよ。あと一つで、この世界は完全に元通りになる。……そうしたら、あなたの縛りもなくなるんでしょう?」
凍りつくような風の中。
わたしは、両手を口元に当てて、思い切り息を吸い込んだ。
「待っててね、レイン!!」
その声は、重い雪雲を突き抜け、世界の裏側まで届くような気がした。
「わたしが必ず、あなたをそこから連れ戻してみせるから!!」
たとえこの先、どれだけの時間がかかったとしても。
わたしの歩みを止めるものは何もない。
いつか必ず、あなたのもとに辿り着く。
To be Rebooted...
最後までお読みいただき、ありがとうございました! 『過労死エンジニアの異世界リファクタリング ~孤独の管理者と不変の定数~』、これにて堂々の第1章完結です!
第2章の開幕まで少しだけお時間をいただきますが、準備を整えて必ず戻ってまいります。 「面白かった!」「第2章も待ってる!」と思っていただけましたら、ぜひ下部の【評価(★)】や【ブックマーク】、【ご感想】などで応援していただけると、執筆のモチベーションが爆上がりします!
「孤独の管理者・レイン」と「不変の定数・リナ」の物語の続きを、どうか楽しみにお待ちください!




