第50話:美しき無駄(Beautiful Waste)
楔の領域。
白い虚空の中に、僕は浮いていた。
天も地もない。
光もない。
ただ、膨大な魔力の流れだけが、僕の周囲を取り巻いている。
(膨大なデータの流れだ)
世界の「裏側」。
(表の世界が「画面に映し出された映像」だとすれば、ここはその映像を動かしている「サーバールーム」だ。温度管理されたクリーンルームのように、何もかもが合理的で、無駄がない)
無駄が、ない。
「盟約の稼働状況、報告」
`[World Status: All Green]`
`[Energy Cycle: Self-Sustaining — Nominal]`
`[Population: 82,431,017 — Stable]`
`[Sacrifice Protocol: PERMANENTLY DISABLED]`
`[Administrator Status: Active — Rein_Refact]`
全て順調だ。
新しい仕組みは安定して稼働している。
もう聖女の生贄は必要ない。
僕はこの空間で、ただ世界が正しく動いているかを見守り続ける。
永遠に。
誰も僕を覚えていない世界を。
`[Time Elapsed Since Connection: 1 hour]`
1時間が経過した。
地上では、何が起きているだろうか。
楔の視点から、地上の様子を覗く。
学園は混乱の真っ最中だった。
教会の大司教は拘束区域に繋がれ、ゼノとヴァイスが事態の収拾に動いている。
彼らの対話が聞こえてきた。
「……何が起きたのかは分からん。だが、聖女の犠牲なしに世界が回っている。名もなき神の『奇跡』としか言いようがない」
ゼノがそう言うと、ヴァイスも静かに頷いた。
「……ええ。姉の犠牲の果てに、ようやく世界が正しい形になったのでしょう」
彼らの言葉に、僕は安堵した。
(それでいい。最適化は完璧だ)
僕の存在は綺麗に消え去り、「奇跡」として合理化されている。彼らの心に悲しみや重い負債は残っていない。
エララは騎士団の怪我人の治療を指揮していた。
「なんでこんなに疲れてるのかしら……。誰かと大喧嘩した後のような気分だわ」
不満げに呟きながらも、その顔に陰りはない。
ミオは図書室で、山積みの記録を整理していた。
「……私のアーカイブに、数バイトの欠損領域があります。不思議ですね。原因が全く思い出せません」
彼女は首を傾げた後、すぐに別の本の整理に戻った。
完璧だ。
世界のバグは取り除かれ、僕というノイズも消えた。
これでいいのだ。
……だが。
リナだけは、違った。
学園の屋上。彼女は一人で空を見上げていた。
その右手には、小さな石英の結晶が握られている。
僕が昔、河原で作った「最初の杖」の欠片だ。
あれは五歳の時、最初の魔法を発動させた杖。
精度も出力もゴミのような、試作品。
魔力効率は0.3%。実用性はゼロ。
まともなエンジニアなら捨てている。
だが、リナはそれを捨てずに持ち続けていた。
彼女だけが、忘れられた名もなき管理者の名前を覚えている。
`[Evaluation: Utility = 0%] (何の役にも立たない無駄なノイズだ)`
システムとして、そう合理的に「処理」を下した直後だった。
完全に消去されたはずの胸の底が、チクリと痛んだ。
`[Alert: Undefined Error — Recurring]`
`[Pattern: Matches no known error type]`
また、あのエラーだ。
感情回路は消去したはずなのに、出続けるエラー。
自分のシステムを点検する。
だが、エラーの原因が見つからない。
コードに異常はない。論理的な矛盾もない。テストも通っている。
なのに、「痛い」。
(……あの子を見ると、演算にノイズが入る。これは……何だ?)
楔として、合理的に分析する。
リナ・メモリ。
幼馴染。
元・聖女の刻印の被刻者。
そして、世界で一人だけ「僕」を覚えている、const属性の少女。
(ステータス:特異存在。脅威度ゼロ。管理上の問題なし)
……問題は、ない。
記録は残っているが、感情の色はない。
リナと過ごした十五年の記録は、ただのテキストログだ。
5歳:一緒に河原で石を拾った。
7歳:一晩中星を見ながら、将来の話をした。
10歳:彼女が泣いた時、手を握った。
12歳:一緒に聖地に旅立った。
ただの文字だ。熱も、温度もない。
はずだ。
なのに。
「const」
ふと、あの言葉を思い出した。
誰も僕を覚えていない世界で、ただ一人だけ僕を記憶し続けるという、彼女の無謀すぎる宣言。
本来、プログラミングの世界でconstは「無意味な制約」として嫌われることがある。
柔軟に変更できた方が効率的だからだ。最適化の敵だ。
だが、const変数には一つだけ、他の変数に絶対負けない特性がある。
壊れない。
周りのシステム全体が新しく書き換えられようとも、最後まで残る「基準点」。
僕の中には、もう感情がない。
人格の100%は、この世界の演算リソースに完全に溶け込んだ。
だが、完全に初期化されたはずの領域に——たった一つだけ、消去できなかった値がある。
`const purpose = "save_Lina";`
この一行だけが、楔になった後も消えなかった。
消えなかったのではない。消せなかった。
これは僕のconstだ。
リナが宣言した不変の約束と同じように、僕も無意識のうちに宣言していたのだ。
「……君という変数は」
白い虚空に、僕の声が反響する。
「僕の人生で唯一、最適化したくない無駄だった」
合理的じゃない。
効率的じゃない。
楔としての最適解には、程遠い。
前世では、「無駄」は敵だった。
不要なコードは消す。冗長な処理は省く。非効率な感情は切り捨てる。
そうやって、僕は自分を「最適化」し続けた結果、過労死した。
でも。
この世界で学んだことが一つあるとすれば。
美しい無駄は、最適化してはいけない。
それは、人間だけが持つ宝だから。
リナとの思い出は、非効率だ。
彼女への感情は、不合理だ。
彼女が自分だけ僕を覚えているという事実は、孤独な永遠を過ごす僕にとって最大のノイズだ。
だが、そのノイズこそが、僕が「楔」ではなく「レイン・リファクト」である最後の証だった。
`[Undefined Error: Status = Persistent]`
`[Administrator Note: Error acknowledged. Will not fix.]`
僕は、そのエラーを放置することにした。
管理者として初めて、「バグを直さない」という選択をした。
僕を忘れた世界で、たった一人だけ僕を覚えているあいつ。
その事実が、僕の無機質な永遠に、ほんの少しの温度を与えていた。
いつか、このエラーが僕を人間に戻す日が来るかもしれない。
その日を、待とう。
世界を支え続けながら。永遠に。一人で。
……いや、一人じゃないのか。
だって、あいつが待っていると言ったのだから。
`[System Log: Day 1 — Administrator Rein_Refact: Online]`
`[Status: Monitoring... Monitoring... Monitoring...]`
【今節の専門用語解説】
・Undefined Error
定義されていないエラー。既知のパターンに一致しないため、修正方法も原因も不明。レインはこのエラーを「愛」や「未練」だと認識しつつ、いつか自分を人間に戻す鍵になることを願ってあえて放置(Will not fix)した。
・Will not fix(修正しない)
バグチケットやイシューに対するステータスの一つ。「仕様である」「影響が軽微である」などの理由で、あえて修正を行わないという開発者の意思決定。




