第49話:不変の定数(const)
僕の指先がリナの額に触れた瞬間——
`[ERROR: Delete Failed]`
`[Permission Level: CONST — Cannot be modified, even by Administrator]`
——強烈な反発力で、僕の右手が弾かれた。
「……なんだと?」
僕が実行したグローバルパージが、一人の少女の記憶領域の前で完全にフリーズした。
背後では、ミオの手からあの小さな手帳が滑り落ちていた。
「……あれ? 私は、どうしてここに……?」
彼女の瞳から、僕の記憶が完全に消え去っている。完璧な『記憶アーカイブ』を誇っていた彼女のデータベースからすら、僕のログは削除されたのだ。
遠くで待機していたエララも、激戦の末に倒れ込んでいたヴァイスも、もう僕のことを覚えていないだろう。
だが、目の前のリナだけは違った。
もう一度、強制削除のコマンドを叩く。
`[Retry: Force Delete — Rein_Refact related logs]`
`[ERROR: Access Denied]`
`[Reason: Target data has been declared as CONST]`
`[CONST declarations cannot be overwritten by any privilege level]`
「const属性……? どういうことだ。システムの根幹権限(Root)すら弾くなんて——」
「わたしだよ」
リナが、額を抑えながら笑った。
涙で顔をくしゃくしゃにしながら。
「わたしが、自分でやったの。……レインに教わったでしょ。const属性は、宣言するだけでいいって。……だからわたし、宣言したの。ずっと前から」
「宣言した……?」
「毎晩、寝る前に祈ってたんだ。『レインのことは絶対に忘れない。誰にも上書きさせない。……わたしの想いは、絶対に変わらない定数(const)だから』って。……ずっと、五歳の頃から。だから、管理者になんか消させない!」
何を言っているんだ。
そんなことで、盟約の法則に刻まれたconst属性が付与されるわけがない。
(プログラミングの世界では、constは正規の構文に従って宣言しなければ——)
`[Analysis: CONST declaration origin]`
`[Source: Self-declaration by Lina.Memory]`
`[Method: Repetitive affirmation over 10+ years]`
`[Binding strength: EXCEEDS Administrator override threshold]`
10年以上にわたる、毎日の「宣言」が、彼女の記憶にconst属性を刻み込んだ。
プログラミングの構文ではない。
人間の意志だ。
意志の反復が、十年かけて神のシステムの壁を超えたのだ。
「……愚かだな」
声が出た。
感情は消去したはずなのに、その声は微かに震えていた。
「みんな忘れた方が、幸せに生きられる。……一人だけ僕を覚えていたって、絶望しか残らないぞ」
「絶望なんかじゃない! レインが世界を救ってくれたって、わたしがずっと証明する!」
リナが僕の胸にすがりつく。
僕の存在を、この世界に繋ぎ止めるように。
`[Alert: Structural Anomaly in Lina.Physical_Body]`
`[Note: CONST declaration has extended to Physical Hardware]`
`[Status: Aging process halted. Subject has become an Unchanging Constant]`
視界に流れたログを見て、僕は絶句した。
(馬鹿な……。精神データだけでなく、肉体の更新プロセスすらもconst(不変)に書き換えられているだと? いつの間に——)
「……気づいた?」
リナが、イタズラが成功した子供のように笑った。
「さっき、レインが『聖女の刻印』のアンインストールをしてくれた時。一瞬だけ、わたしの根深くまでアクセスが開いたでしょ? だからそこに、自分のコードを割り込ませたの」
「割り込ませた、だと……? 狂ってる! 自分の生命維持プロセスだぞ!?」
「だって、五百年でも千年でもかかるかもしれない。いつか、あなたをシステムから連れ戻す方法を見つけるために。……時間が足りないかもしれないから、自分の時間を止めたの」
永遠に生きる、不老不死。
彼女は、僕を救い出す準備のために自ら時間という法則から外れたのだ。
「……負けたよ」
白い髪が風に揺れた。
僕というシステムは、不合理なエラーログを永遠に抱え続けることを受け入れた。
「お前の勝ちだ」
リナが泣き笑いをしている。
足元では、記憶を失ったミオが不思議そうに僕たちを見上げていた。
「……あの、あなたは……?」
ミオが問う。その目に、かつての親愛の色はない。
「通りすがりの、ただのシステム管理者さ」
僕はミオに背を向け、リナを見つめた。
「リナ」
「……なに?」
「元気で」
一言。
たった一言に、残り12%の人格を全て注ぎ込んだ。
リナが唇を噛んだ。
涙を堪えようとして、失敗した。
「……うん。レインも」
僕の体が、再び宙に浮き始めた。
上空へ。
この世界を支える盟約の根幹——楔の領域へ。
ミオが、ヴァイスが、遠くのエララが、空へ昇っていく謎の存在を呆然と見上げている。誰一人として、僕の名前を呼ぶ者はいない。
だが。
「レインっ!!」
リナの叫び声だけが、空に響いた。
「私、待ってるから!! ずっと待ってるから!!」
「わたしは定数だから!! 絶対に変わらないから!! いつか——いつか、そのシステムからあなたを連れ戻すから!!」
僕は振り返らなかった。
振り返ったら、完全に初期化されたはずの精神が、修復不能なエラーを起こしそうだったからだ。
だが。
「……待ってる、か」
白い光に包まれながら、僕は呟いた。
「const属性の女は、面倒くさいな」
その声は、少しだけ——ほんの少しだけ——震えていた。
僕は、光の中に消えた。
【今節の専門用語解説】
・グローバルパージ(Global Purge)
システム全体の記録を一斉に消去すること。レインはこの権限を行使し、自分に関わる全ての記憶をミオたちから消し去ったが、リナのconstによる完全防御の前には無力だった。
・Access Denied
アクセス拒否。管理者の権能すら跳ね返すconst属性は、「最高の権限を持つ者でも変えられない法則」の存在を意味する。人間が神のシステムに打ち勝った瞬間である。




