第48話:聖痕の除去(Force Uninstall)
「聖女の刻印の除去を行う。……君の体に触れてもいいか」
リナが小さく頷いた。
怯えた目をしていたが、逃げなかった。
額にうっすらと光る聖印——聖女の刻印が形を成した紋様。
僕が楔になった今、それは構造として緻密に認識できる。
(プログラムのアイコンだ。赤い脈動。生命コードに絡みつく寄生プログラム)
彼女の命の根に絡みつく、魔法の呪い。
僕はリナの額に手を触れた。
`[Accessing: Saint_Program — Lina.Memory]`
`[Status: Active — Phase 3 (Critical)]`
`[Action: Force_Uninstall]`
聖女の刻印の構造が、僕の指先から流れ込んでくる。
(複雑に絡まった呪いのコード。千年分の仕様が積み重なった、最悪のスパゲッティだ)
だが、根源と接続した僕には、全てが読める。
一つ一つの術式の意味が、即座に解析される。
この刻印の設計者は、確かに天才だった。
だが、同時に狂人でもあった。
「世界を維持するためなら、一人の少女の命を消費しても構わない」という設計思想が、術式の隅々に染み込んでいる。
`// This module binds the Saint's life force`
`// to the World Energy Cycle.`
`// Upon activation, the Saint's existence is`
`// converted to pure energy.`
`// There is no undo function.`
——「Undoの機能がない」、か。
前世のエンジニアなら、コードレビューで一発却下される設計だ。
取り消し機能のないシステムを本番に乗せるなど、正気ではない。
だが、千年前の世界には、それしか選択肢がなかったのかもしれない。
「……ここか。依存関係の起点」
呪いの根幹を見つけた。
リナの魔力回路の深層に埋め込まれた「聖女の核」。
(認証キーだ)
これを抜けば、刻印全体が安全に崩壊する。
ただし、核はリナの魔力回路自体と密接に結合している。
雑に抜けば、魔力回路ごと壊れる。
繊細な作業が必要だ。
外科手術に近い。
心臓の近くに埋め込まれた腫瘍を、心臓を傷つけずに切除するようなものだ。
「少し痛むかもしれない」
「……うん。大丈夫」
リナが目を閉じた。
その顔は、不思議と穏やかだった。
僕は作業を開始した。
聖女の核の周囲を、一本ずつ依存関係を切断していく。
(前世で何百回とやった、レガシーシステムの段階的解体と同じだ。古い配線を一本ずつ外し、新しいバイパスを通す)
`[Dependency 1/47: Disconnected — Safe]`
`[Dependency 2/47: Disconnected — Safe]`
`[Dependency 3/47: Disconnected — Safe]`
丁寧に、丁寧に。
慌てるな。
急ぐな。
ここまで来て、最後の作業でミスを犯すなど許されない。
「……っ!」
21本目の依存関係を切断した時、リナの体が反射的に震えた。
「大丈夫か」
「大丈夫……。ちょっと、ピリッとしただけ」
リナが無理に笑う。
37本目。
42本目。
46本目。
「最後の一本だ」
僕はリナの額の核に指を当てた。
最後の依存関係。
これを切れば、全てが終わる。
僕は、核を抜き取った。
`[Saint_Program: UNINSTALLED]`
`[Lina.Memory: Status = Normal Human]`
`[Sacred Mark: Fading...]`
リナの額から、聖印が消えていく。
赤い脈動が弱まり、光が薄れ、やがて何もない肌に戻る。
十五年間、彼女を縛り続けた呪いが消滅した。
千年の業。
何百人の聖女の命を奪ってきた刻印が、今この瞬間——止まった。
「……できた」
リナが目を開けた。
その瞳は、もう聖女の光を宿していない。
ただの、十五歳の少女の瞳だ。
澄んだ、茶色の瞳。
僕がずっと見てきた、あの瞳。
「レイン……わたし、感じる。体が、軽くなった……っ!」
リナが両手を握ったり開いたりしている。
ずっと体の中で脈動していた「異物」が消えたのだ。
彼女は初めて、自分の体が完全に自分のものである感覚を味わっている。
「もう、君は自由だ。生贄になる必要はない。……普通の人間として、生きていける」
リナの目から、涙が溢れた。
「ありがとう……ありがとう、レイン……!」
彼女が抱きついてくる。
温かい。
……温かい「はずだ」と、残り12%の記録が告げている。
だが、僕の体は何も感じない。
ミオが、その場面を無言で記録していた。
小さな手帳に、ペンが走る。
「17:23——聖女の刻印、完全除去。リナ・メモリ、解放」
ヴァイスは壁に寄りかかったまま、目を閉じていた。
彼の姉にも、こうしてやれたなら。
他の聖女たちにも。
その思いが、彼の沈黙の中に滲んでいた。
「……さて」
僕はリナをそっと離した。
「僕の仕事は終わった。……これから、盟約の根幹に常駐する」
「待って! まだ……まだ少しだけ……!」
「待てない。……楔の維持にも限界がある。長引けば、世界のマナ循環が不安定になる」
それは半分嘘だった。
本当は、リナの傍にいると、残り12%の人格が揺らぐ。
未練が残ると、融合処理にエラーが出る可能性がある。
だから。
もう一つ、やるべきことがある。
しかし、リナがすがりつこうと伸ばした手が、僕の腕に触れる――その直前だった。
`[System Override: Administrator Rein_Refact]`
`[Command: Global Delete — User Logs]`
`[Target: All Human Memories related to Administrator]`
僕の視界の中に、僕自身の存在証明となる全世界のログデータが列挙されていく。
それを、一つずつ「Delete」キューに入れていく。
「な……!?」
直後、通路の壁にもたれていたヴァイスの腕から力が抜け、ドサリと床に座り込んだ。
彼の瞳から、強い意志の光がふっと消える。目の焦点が合わなくなり、虚空を彷徨い始める。
それを見届けて、僕は小さく息を吐いた。
「レ、レイン……? ヴァイスさん、どうしたの……?」
「ログの強制消去だ。……僕が管理者として最初に行う、世界の最適化だよ」
僕の声は、もう感情の抑揚を完全に失っていた。
ただのシステム音声のように、冷たく響く。
「……最適、化?」
「僕がいなくなれば、君たちは悲しむ。僕を助けようとして、人生を無駄にするかもしれない。……それは非効率だ」
それは嘘だ。
ミオの言う通り、僕が忘れても、彼女の記録が僕を証明し続けてしまう。
エララやヴァイスの心にも、僕の犠牲が重い十字架として一生残ってしまう。
彼らがこれから生きていく未来に、「僕」というバグはいらない。
これは、不要な負債を取り除くための、最後の優しさ(メンテナンス)だ。
「やめて、レイン。何をする気……!」
「忘れてくれ、リナ。君たちが前を向いて生きられるように。……世界から、『僕』を消す」
僕は、右手をリナの額へと真っ直ぐに伸ばした。
`[Action: Force_Delete_Logs]`
`[Executing...]`
「嫌ッ……!!」
僕の指先が、彼女の額に触れる――。
【今節の専門用語解説】
・Force Uninstall(強制アンインストール)
通常の手順を踏まず、プログラムを強制的に削除する操作。依存関係が壊れるリスクがあるため通常は推奨されないが、レインは根源接続の権能で全ての依存関係を把握した上で、47本を一つずつ安全に切断した。
・Undo機能
操作を取り消して、一つ前の状態に戻す機能。聖女の刻印にはこの機能が組み込まれておらず、一度刻まれたら解除する手段がなかった。レインは根源接続という「想定外の手段」でこれを覆した。




