第47話:最後のリファクタリング
王都が静まった。
僕は空中に浮かびながら、意識を世界の「心臓」に向ける。
盟約の根幹。
この世界を支えている、最も深い層の法則。
通常の盟約者でも触れることのできない、世界の原初。
だが今の僕には、全てが見える。
全てが、読める。
全てが、書き換えられる。
盟約の根幹の書き換え。
(基底プログラムのリファクタリングだ)
所要時間の見積もり、約3時間。
残り時間は3時間。
余裕はゼロだ。前世の感覚で言えば「炎上プロジェクト」の部類だ。
……もう「前世の感覚」が何を意味していたのか、あまり分からないが。
数百万の術式体系が、僕の指先を流れていく。
(コードだ。数百万行のコードだ)
`function maintain_world() {`
` if (energy_level < threshold) {`
` sacrifice(saint);`
` reboot_world();`
` }`
`}`
この「sacrifice(生贄)」の行を消す。
代わりに、自己循環型のマナ回路を組み込む。
`function maintain_world_v2() {`
` energy = ambient_mana.collect();`
` energy = administrator.optimize(energy);`
` distribute(energy, world_nodes);`
` // No sacrifice required.`
`}`
シンプルだ。
大気中に自然発生する魔力を収集し、楔が効率的に配分する。
聖女を殺す必要はない。
(……前世でもあったな。本番サーバーを24時間365日監視するオペレーター。あれの永久版だ。ブラックすぎるだろ)
皮肉を言う余裕は、まだあった。
人格の残り12%が、かすかに笑う。
笑うという動作の意味は、もうよく分からないが。
***
書き換えは慎重に進めた。
世界の根幹を弄るのだ。
一つの術式の書き間違いで、大陸が消し飛ぶ可能性がある。
前世の仕事を思い出す。
……思い出そうとする。
データは残っている。しかし「思い出す」という行為が、もう正常に機能しない。
ただ、手順だけは体に残っていた。
テスト環境を作る。
まず一部の地域だけを新方式に切り替え、正常に動作するか検証する。
`[Test Environment: Isolated — Region 47 (Uninhabited)]`
`[Applying: maintain_world_v2 — Partial]`
`[Monitoring... 1 minute... 5 minutes... 15 minutes...]`
`[Result: STABLE — No anomalies detected]`
テスト成功。
マナの循環は正常に動作している。
無人の土地での検証だが、パラメータは全世界適用と同じだ。
次に、書き換えの範囲を拡大する。
段階的に。
一地域ずつ。
ロールバック可能な状態を維持しながら。
(……こういう時、丁寧にやることが最も重要だ。急いで全体をデプロイして障害を起こしたゲームのA社を思い出す。……思い出せないが、こういう失敗は繰り返してはいけない、という知識だけが残っている)
1時間が経過した。
世界の約半分が、新方式に切り替わった。
ここで、問題が起きた。
`[Alert: Unknown Subroutine Detected]`
`[Origin: Project_Eden — Core Module]`
`[Status: Active — Cannot be modified without permanent Administrator]`
盟約の根幹の奥深くに、もう一つの理が埋め込まれていた。
「永続の縛り」。
(永続監視プロセスだ)
術式を読み解く。
`// CRITICAL: Self-sustaining energy cycle requires`
`// continuous optimization by active Administrator.`
`// If Administrator disconnects → energy entropy`
`// increases → system collapse within 72 hours.`
`// REQUIREMENT: Administrator must remain connected`
`// to Kernel Layer PERMANENTLY.`
つまりこういうことだ。
新しい自己循環型の仕組みは、大気中の魔力を自動収集する。
だが、効率は完璧ではない。
時間の経過とともに、マナの循環に乱れが生じ、効率が低下する。
(エントロピー増大だ)
楔が常に最適化し続けなければ、72時間で盟約は崩壊する。
つまり、24時間365日の無停止サーバー監視が永遠に続く。
監視員は僕一人。退職は不可能。
(……要するに、最初から分かっていたことだ。俺がシステムの自動循環を担保する『常駐プログラム』になる)
僕は、永遠にこの世界の「楔」として存在し続ける。
帰る場所はない。
人間に戻ることもない。
ただ、世界が動き続けるのを、絶え間なく監視し、小さなエラーを潰し続ける。
永遠に。
ここで止めるべきか?
そんな迷いは、1秒も発生しなかった。
既に半分の世界が新方式に切り替わっている。
ロールバックの選択肢など、端から用意していない。
(……進むしかないだろ。デスマーチに退路はない。俺が選んだ『運用保守』だ)
僕は、残りの半分の世界へ向けて新方式を展開していった。
「リナが笑って生きられるなら。……それで構わない」
残り12%の人格が、最後の力で呟いた。
***
3時間後。
空が白み始める頃、書き換えが完了した。
`[System Rewrite: 100% Complete]`
`[New System: Self-Sustaining Energy Cycle — ACTIVE]`
`[Sacrifice Protocol: DISABLED]`
`[Administrator Monitoring: REQUIRED — Permanent]`
世界が、静かに震えた。
古い理が停止し、新しい理が起動する。
(リブート。世界の再起動だ)
だが、地上の人々は何も感じていないだろう。
朝日が昇り、風が吹き、人々がいつも通りの一日を始める。
それが「成功」の証だ。
(最も優れたシステム管理は、ユーザーにその存在を意識させない。前世の先輩が言っていた言葉だ。……先輩の顔も名前も、もう分からないが)
「……次だ」
僕は地上に降りた。
研究所の前に、リナとミオとヴァイスが立っていた。
リナが僕を見て、息を呑んだ。
昨日まで黒かった髪は、今は完全に白い。
瞳は銀色で、虹彩の中を光の文様が流れ続けている。
表情は、ない。
もう、表情を作るための感情が存在しない。
「レ……レイン?」
「僕だ。……最後の作業がある」
僕はリナの前に立ち、右手を差し出した。
「聖女の刻印の除去を行う。……君の体に触れてもいいか」
【今節の専門用語解説】
・常駐プログラム(Resident Program)
OSと共に常に起動し続け、バックグラウンドで動作するプログラム。ウイルス対策ソフトやシステム監視ツールなど。レインが求められた役割は、世界の法則を永遠に見守り続ける「常駐監視プログラム」だった。




