第42話:第247案のデプロイ
研究所の最深部。
青白い光に満ちた空間の中央に、マザー・クリスタルがそびえ立っていた。
表面に刻まれた無数のルーン文字が、ゆっくりと明滅を繰り返している。
世界の心臓部。
その脈動が、足元から伝わってくる。
「ようこそ、レイン・リファクト」
マザー・クリスタルから、抑揚のない声が響く。
盟約の番人「守護者」。
(管理AIだ)
前回会った時は圧倒的な存在感に威圧されたが、今は違う。
ただの機械的な応対だ。
「権限を開け。……これより、盟約のアップデートパッチを適用する」
僕の声に反応し、マザー・クリスタルの表面に膨大な術式の構造が浮かび上がった。
「承認できません。管理者権限(Root)を持たないユーザーによる、コア・システムの書き換えは禁止されています」
「知るか。パッチの内容は『破壊された九つの泉のマナ供給を、仮想ネットワークで代替する自己循環回路の構築』だ。検証しろ」
あの日、地下空間で守護者から引き出した情報を元に、僕が構築した理論上の迂回策。
守護者は一瞬沈黙し、直後に無数の赤いエラーログを空中に展開した。
「エラー。要件を満たしていません。自己循環回路への移行には、莫大な初期魔力と、それを直接支える物理的な『ハードウェア(マナの泉)』が不可欠です。仮想ネットワークによる代替策では、魔力密度が規定値に達しません」
事務的な宣告。
聖女という生贄を捧げなければ世界が滅びるという、冷酷な仕様の壁。
「要するに、リソース不足ってことか」
「はい。不足分を補うためには、代替となる莫大なエネルギー源が必要です。現状の仕様では全ての解決策がエラー判定となります。よって、実行不可(Permission Denied)です」
(仮想化だけでハードウェアの不足を補うのは無理があるか……)
だが、僕のやるべきことは変わらない。
「機械が勝手に限界を決めつけんな」
僕はマザー・クリスタルの前にドカッと座り込んだ。
「一発で通るとは思ってない。権限を開け。僕が直接術式を叩く」
***
「……やっぱり、ぶっつけ本番じゃ通らないか」
僕は小さくため息をつき、マザー・クリスタルの前に立った。
地下空間への到達を想定し、この89日間、僕は寮の自室で血を吐くようなデスマーチを続けてきた。
『仮想ネットワークパッチ』を通すための、ありとあらゆるワークアラウンドの実装。
(足りないのは、物理的なマナの泉9つ分の超高密度エネルギーだ。なら、どうやってハードウェアのリソース不足を誤魔化す?)
世界中の無機物をキャッシュとして中継する分散処理。
一部の環境維持機能をサスペンドするリソース制限。
魔術師たちの魔力をP2Pでプールする仮想処理基盤。
それら全てを組み込んだ、僕の89日間の集大成。
247個目の、最終最適化パッチ(リリース候補版)。
「もう一度だ。権限を開け」
マザー・クリスタルに向けて、極限まで圧縮した最終パッチをデプロイする。
`[Analyzing: Mana Field Resonance Architecture (v247.0.0)]`
`[Compatibility Check: Running...]`
息を呑んで見守る。
ミオも、リナも、無言で僕の背中を見つめていた。
通路の入り口では、権限を失ったヴァイスが壁にもたれて結末を見届けようとしている。
地上で騎士団を足止めしてくれているエララのためにも、ここで失敗するわけにはいかない。
`[Result: FAILED]`
`[Warning: Emulating 9 missing mana springs exceeds maximum processing capacity]`
`[Critical Error: Hardware meltdown predicted within 0.04 seconds]`
「エラー。要件を満たしていません。いかなる最適化を施そうと、根本的な物理リソースが絶対的に不足しています。よって、実行不可(Permission Denied)」
事務的な宣告。
冷酷な、仕様の壁。
「……ああ。分かってるよ」
247回目のエラーが、嫌というほど現実を突きつけてきた。
ハードウェアが足りないなら、ソフトウェアの工夫だけではどうにもならないという壁。
「……だが、たった一つだけ『裏技』があるだろ」
僕は血走った目で、マザー・クリスタルを睨みつけた。
「世界の『物理法則(ハードウェア制約)』そのものを書き換える。盟約者を超えた……『根源接続』によるカーネルの直接改変だ」
守護者が沈黙する。
その静寂が、恐ろしい真実を肯定していた。
「理論上は可能です。しかし、人間の魂は根源との完全接続に耐えられません。100%の接続を維持した場合、あなたの魂の容量の98%が世界の法則の維持に占有されます。人格、感情、記憶。それらは魔力の燃料に転用され、順次消失します」
リナが僕の袖を強く掴んだ。
その手が震えていた。いつの間にか目を覚ましていたらしい。
「レイン……だめだよ。それは、死ぬのと同じだよ」
僕は言葉を返せなかった。
僕はただ、この最悪の手段以外に答えがないことを証明するために、この89日間を費やしたのだ。
前世のエンジニアとしての習性だった。
「他に方法がない」と結論づける前に、ありとあらゆる選択肢を潰す。
そうしなければ、この残酷な決断に責任を持てないからだ。
「……ねえ、レイン」
リナが僕の肩に頭を乗せた。
縋るような、泣きそうな声で呟く。
「……帰ろうよ。村に。……イニット村に」
その声が、胸に刺さった。
(……ああ。帰りたいな。本当に)
あの何もない村。
不便で、退屈で、魔力密度も低くて。
でも、リナがいて、バルドのじいさんがいて、あのポンコツ井戸がある。
帰りたい。
だが、帰る場所を守るためには、僕が「僕」でなくなるしかない。
タイムリミットまで、残り12時間。
ここから逆算すると、猶予はゼロだ。
僕は決断を下した。
【今節の専門用語解説】
・リリース候補版(Release Candidate / RC版)
ソフトウェア開発において、重大な不具合がなければそのまま正式版(リリース版)となる予定の最終テストバージョン。レインの中で「第247案」はこれに相当する自信作だったが、物理法則の壁というエラーに阻まれた。




