第41話:管理者との衝突(コンフリクト)
ヴァイスの黒い剣が、空気を裂いた。
「っ……!」
咄嗟に横へ跳ぶ。
だが、剣は僕の体を掠めてもいないのに、左腕に激痛が走った。
(……なんだ、今の!?)
『低レイヤー・ビジョン』が警告を吐き出す。
`[Alert: Data Corruption Detected]`
`[Left_Arm: Integrity 87% → 64%]`
左腕のコードが一部欠損している。
触れてもいないのに、データが削除された。
「分かったか? この剣は物理的な切断ではない。『存在定義の削除』だ」
ヴァイスが静かに言う。
その声には、怒りも喜びもない。
ただ、任務を遂行する機械のような冷徹さだけがある。
「通常の防御も回避も意味がない。お前のコードを直接食い荒らす。……管理者権限(Root)でのみ使用可能な、最終兵器だ」
(……反則だろ、それ)
だが、文句を言っている暇はない。
ここは研究所の最深部へ続く通路だ。前回の侵入ではアクセスできなかった、管理者専用の領域。学年末式典の混乱に乗じて地下通路から侵入した僕たちの前に、ヴァイスが立ちはだかった。
彼は再び踏み込んでくる。
速い。
騎士団の連中とは比較にならない身体能力だ。
「リナ、下がってろ! ミオ、リナを頼む!」
「了解です……!」
ミオがリナの手を引いて後退する。
僕はヴァイスに向き直った。
通常の戦い方では勝てない。
相手は管理者権限を持つ「上位ユーザー」だ。
僕の権限レベルでは、正面からのコード改竄は弾かれる。
(なら、ハードウェアで勝負するしかない)
僕は拳を握り、正面から突っ込んだ。
ヴァイスの剣が横薙ぎに振るわれる。
僕は床を蹴って跳躍し、天井に両足をつける。
重力反転。
天地が逆転した視界で、ヴァイスの背後に回り込む。
「――結合解除(Unlink)!」
右掌をヴァイスの背中に叩き込む。
彼の防御コードと攻撃コードの「依存関係」を切断するつもりだった。
だが。
カキィィン!
ヴァイスは振り向きもせずに、背後の剣で僕の掌を弾いた。
衝撃が腕を伝って、肩が悲鳴を上げる。
「無駄だ。私のコードは自動修復が組まれている。一般ユーザーの権限では、傷一つつけられない」
彼が振り返る。
その瞳は、冷徹な試験官のようでもあり、同時に何かを祈るようでもあった。
「どうした? お前の見つけた『解決策』とは、この程度か?」
ヴァイスの剣が、再び静かに構えられる。
その威圧感は、先ほどとは違い、明らかな殺気を持っていた。
「私の剣を前に逃げ回るだけなら、システムに抗うことなど到底不可能だ。この世界の秩序を守る盟約の核は、私などとは比較にならない出力を持っている」
「……分かってるよ。だからこそ、ここで足止め食ってる暇はないんだ!」
「なら、超えてみせろ。口先の綺麗事だけで世界を救えるほど、この現実は甘くない!」
ヴァイスが叫ぶ。
その声には、怒りだけではない、深い悲痛さが混じっていた。
十年前、前回の聖女として散った彼の姉——リゼット。
一人の少女の命と引き換えに世界が存続する、その冷酷なシステム。
ヴァイスは自分が姉を救えなかった無力感から、あえてシステムを維持する「管理者」の道を選んだ。彼の中の最も合理的な計算式が、それが「正解」であると弾き出したからだ。
だからこそ、彼は中途半端な希望を絶対に許さない。
もし僕がここで負ける程度の力しか持っていないなら、結局リナを連れて逃げ回る猶予すらなく、タイムリミットである今日、彼女を犠牲にするか世界ごと滅びるかの結末しか待っていない。
姉と同じ悲劇を繰り返させないためにも、ヴァイスは本気で僕を、あるいは自分の絶望を殺しに来ているのだ。
(……こいつは、僕をテストしているんだ。僕が本物の『イレギュラー』に足る器かどうかを)
僕は歯を食いしばり、口の中の血を吐き捨てた。
「アンタの言いたいことはよく分かったよ、ヴァイス」
血を拭い、再び構える。
「アンタが十年間かけて計算した『絶望の数式』。……なら、僕が最高のハッキングで、その数式ごとバグらせてやる」
「……言ったな。なら、お前の全てをかけてこい!」
ヴァイスの剣が唸りを上げた。
今度は本気だった。
黒い刀身から、禍々しい光が溢れ出す。
管理者権限の全開放。
通路の壁に亀裂が走り、天井の照明が砕け散る。
「管理者特権:『存在削除領域』展開」
ヴァイスの周囲5メートルが、黒い光で満たされた。
その領域に入った物体は、問答無用で「存在ごと」消される。
壁の一部が消滅し、通路に巨大な穴が開いた。
(……ヤバい。あれに入ったら一発で消される)
だが、パニックにはならない。
むしろ、冷静に分析する。
ヴァイスは領域型の攻撃を展開した。
これは「防御重視の戦い方」だ。
攻撃力は凄まじいが、彼は自分から動けない。
領域を維持するために、その場に留まっている。
(……つまり、防御に全リソースを振っている。逆に言えば、領域の外縁部には隙がある)
僕は通路の壁を蹴り、領域の外周を高速で周回する。
ヴァイスの視界を翻弄しながら、隙を探す。
「無駄だ。どこから来ても同じだ」
「本当にそうかな」
僕は壁に張り付いたまま、右手に魔力を集束させた。
三度目の激突。
今度は僕から仕掛けた。
必要なのは、一瞬だけ管理者権限に匹敵する出力を叩き出すこと。
(……バルド司祭が教えてくれた。『本当の力は、命を賭けた時にだけ出る』って。……頼むぜ司祭、今だけ僕のスペックを引き上げてくれ)
体が軋む。
血管が沸騰するような感覚。
聖地で十年かけて鍛えた肉体が、限界を超えた処理に耐えようとしている。
僕は壁を蹴って、領域の真上から突入した。
上方——ヴァイスの死角だ。
「うおおおおおぉぉぉ!!」
`[Warning: System Overload]`
`[Kernel Mode: Partial Activation — 12%]`
指先が白く発光する。
黒い「存在削除領域」を突き破り、通常では触れることすらできないヴァイスの管理者コードに、僕の手が届いた。
「な……!?」
ヴァイスの目が見開かれる。
「お前……Kernel Modeを……!? 馬鹿な、人間にはあり得ない……!」
「知らねぇよ、そんな名前! ……ただ、譲れないものがあるだけだ!」
僕の掌がヴァイスの胸に触れる。
そして。
「結合解除(Unlink)――管理者権限!」
バチィィィィン!!
白い閃光が通路を埋め尽くした。
***
気がつくと、僕は壁にもたれて座り込んでいた。
全身が痛い。
指先の感覚がない。
口の中が血の味で満ちている。
右腕は力が入らず、だらんと垂れ下がっている。
「レ、レイン! 大丈夫!?」
リナが駆け寄ってくる。
「……ああ。まだ生きてる。……たぶん」
目の前では、ヴァイスが膝をついていた。
黒い剣は光を失い、ただの金属片に戻っている。
管理者権限が解除されたのだ。
「……まさか、本当にやるとはな」
ヴァイスが力なく笑う。
初めて見る、穏やかな笑顔だった。
「お前の愚かさは、計算できない」
「それは褒め言葉として受け取っておく」
僕は壁を伝って立ち上がる。
体はボロボロだが、まだ動ける。
ヴァイスは剣を床に置き、深く息を吐いた。
「……行け。研究所の最深部に、お前が探しているものがある」
「……邪魔しないのか?」
「もう権限がない。……それに」
彼は僕をまっすぐ見た。
その目には、もう冷徹さはなかった。代わりに、微かな希望のようなものが浮かんでいた。
「お前が『正解』を見つけられるなら、それでいい。……姉さんの犠牲が無駄だったのか、それとも別の道があったのか。その答えを、見届けさせてくれ」
「……ああ。見届けろ。お前の姉さんが泣かなくていい世界を、僕が作ってやる」
ヴァイスが目を伏せた。
その銀色の睫毛が、微かに震えた。
僕はリナの手を取る。
「行こう」
通路の奥、研究所の最深部への扉が見えた。
その先には、盟約の番人「守護者」が待っている。
そして、僕が支払うべき「代償」が。
【今節の専門用語解説】
・コンフリクト(Conflict)
ソフトウェア開発において、異なる変更が同じ箇所に競合してしまう状態。レインとヴァイスの「守りたいもの」は同じ根元を持つが、方法が正反対であり、必然的に衝突した。
・Kernel Mode
OSの最深部にアクセスする特権モード。通常のプログラムでは許されない、ハードウェアの直接操作が可能になる。レインが部分的に発動させたこのモードは、管理者すら超える「世界の基盤」への介入権限を意味する。
・定数(const)
プログラム中で変更されない値のこと。レインは「命は数字で置換可能な変数ではなく、書き換え不可能な定数だ」と主張した。




