第39話:リナの決意
あの夜、地下研究所で守護者から真実を告げられてから、二ヶ月以上が経った。
リナが聖女の生贄として消費される運命にあること。その事実を前に、僕たちは四十六通りの代替案を検証し続けた。
だが、有効な手段は一つも見つからないまま、冬は深まった。
王都には珍しく雪が降り積もり、街は白一色に染まっていた。
「……クソッ、演算が合わない」
図書室の禁書庫。
暖房の効いた部屋で、僕は髪を掻きむしりながら羊皮紙と格闘していた。
目の前には、コーヒーの空カップが山のように積まれている。
「レイン君、少し休んだらどうですか? もう三日も寝ていませんよ」
「休んでる暇はない。……学年末式典まで、あと一週間しかないんだぞ」
ミオが心配そうにサンドイッチを差し出してくれるが、食欲がない。
地下研究所から持ち帰った「盟約の構造図」のデータ。
それは予想以上に複雑怪奇だった。
古代の大魔術師たちは、何を考えてこんな難解な術式体系を組んだのか。
「根源接続で盟約に介入するには、術者の魂を世界の法則と完全に同期させる必要がある……だが、同期の際に発生する魔力の共鳴が収束しない。このままだと、接続した瞬間に魂が霧散する」
「……リナさんの魔力密度が高すぎるのが原因、ですか?」
「いや、問題は僕の方だ。リナの聖女の刻印を解除するには、盟約の根幹に到達しないといけない。だが、そこに至る魔力の回路が、僕一人のキャパシティを超えてるんだ」
八方塞がりだ。
盟約に介入するには、僕自身の魂を大幅に強化するか、魔力を一時的に圧縮(zip)して回路の負荷を下げる必要がある。
だが、そんな術式は今の魔法大系には存在しない。
僕がゼロから書くしかないのだ。
「……レイン」
ふと、背後から声をかけられた。
リナだ。
いつの間にか入ってきたらしい。
彼女の手には、手編みのマフラーが握られていた。
「どうした? 寒いなら、ちゃんと上着着ろよ」
「ううん、大丈夫。……これ、差し入れ」
リナはマフラーを僕の首に巻いてくれた。
不格好だが、温かい。
「……ありがとな。助かる」
「レイン、無理しないでね。……私のために、レインが倒れちゃったら意味ないよ」
「分かってるって。……あと少しなんだ。あと少しで、解が見つかりそうなんだ」
僕は嘘をついた。
解なんて見えていない。
だが、彼女を不安にさせたくなかった。
「……ねえ、レイン。私にも何かできることはない?」
「リナは大人しくしててくれればいい。……教会の連中に見つからないようにな」
「でも! ずっと守られてるだけなんて嫌だよ! 私だって……レインの役に立ちたいのに」
リナが悲痛な声を上げる。
振り返ると、彼女は泣き出しそうな顔をしていた。
「……ごめん。役立たずで、ごめんね……」
「リナ……」
僕は言葉に詰まる。
違う。
お前がそこにいてくれるだけで、僕の精神は保たれている。
お前がいなければ、僕はとっくにこの過酷なデバッグを放り出していただろう。
「……なら、頼みがある」
「え?」
「式典の日。……僕が合図をするまで、何があっても泣くな。絶望するな。……僕を信じて、笑っててくれ」
それは、魔法でも技術でもない、ただの精神論だ。
だが、今の彼女に必要なのは役割だった。
「……笑う?」
「ああ。お前が笑っていれば、僕は無敵だ。どんなエラーもバグも、全部ねじ伏せてやる。だから……一番特等席で、僕の勝利を信じててくれ」
リナはきょとんとしていたが、やがて涙を拭い、大きく頷いた。
「うん! 分かった! ……私、絶対に泣かない。レインが勝つって信じてる!」
「いい子だ」
僕は彼女の頭を撫でた。
髪の毛一本一本の感触。
こんなにも温かくて、愛おしい。
◇
そして、運命の前夜。
寮の屋上で、僕たちは最後の作戦会議を行っていた。
メンバーは僕、リナ、ミオ、そしてエララ。
「……手はずは分かったわね」
エララが厳しい表情で確認する。
彼女は実家の権力を使い、明日の式の警備配置図を入手してきてくれた。
「正門と裏門は騎士団が固めてる。……でも、講堂の地下通路はノーマークよ。そこから侵入して、式の最中に乱入する」
「サンキュー、エララ。……公爵家の令嬢が、こんなテロ行為に加担していいのか?」
「勘違いしないでよね! 私は……リナさんの友達として動くだけよ。家なんて関係ないわ」
エララが顔を背ける。
彼女もまた、覚悟を決めていた。
家を捨ててでも、友を守るという覚悟を。
「ミオ、解析班の方は?」
「準備完了です。……校内の放送魔導具をハッキングして、レイン君の声を全校生徒に届ける準備はできています。あと、教会の通信妨害も」
ミオが眼鏡を押し上げる。
彼女の能力は、戦場全体の情報を支配するために不可欠だ。
「よし。……いよいよ明日だ」
僕は空を見上げた。
赤いカウントダウンが、静かに時を刻んでいる。
【000:12:00:00】
あと12時間。
朝日が昇れば、式典が始まる。
そしてそれは、リナが「聖女」として連行される期限でもある。
「……怖いか、リナ」
「ううん。……レインがいるもん」
リナが僕の隣に立ち、夜空を見上げる。
その横顔は、出会った頃よりも少し大人びて見えた。
「昔、言ってたよね。この世界はバグだらけだって」
「ああ。ひどいもんだよ」
「でもね、私……この世界が好きだよ。レインに出会えたし、エララさんやミオさんとも友達になれた。……だから、壊したくないの」
彼女は、世界のために自分が死ぬのは嫌だ。
でも、自分が生き残るために世界が滅ぶのも嫌だ。
そんな矛盾した願い。
「……分かってる。壊さないさ」
「え?」
「世界も、お前も、両方守る。……それが『スーパーハカー』ってもんだろ」
僕は笑ってみせた。
根拠はない。
盟約への介入手段もまだ完成していない。
でも、やるしかないのだ。
「……うん。頼りにしてるね」
リナがそっと僕の肩に頭を預ける。
静かな夜。
雪がしんしんと降り積もる。
この静寂が、嵐の前の静けさであることを、僕たちは知っていた。
「……レイン」
「ん?」
「もし……もし明日、どうしようもなくなったら……その時は、レインの手で……」
「言うな」
僕は彼女の口を指で塞いだ。
「そんなIF文(条件分岐)は書かない。僕のコードに、敗北の分岐はない」
「……ふふ、やっぱりレインは強引だね」
リナがくすぐったそうに笑う。
その笑顔を焼き付ける。
これが、僕の戦う理由だ。
「さあ、寝よう。明日は早いぞ」
「うん。おやすみ、レイン」
僕たちはそれぞれの部屋へと戻った。
部屋に入り、ドアを閉めた瞬間、僕は崩れるようにベッドに倒れ込んだ。
「……クソッ」
手の震えが止まらない。
怖い。
本当は怖いんだ。
もし失敗したら? もし計算が間違っていたら?
リナは消え、世界も終わる。
その全責任が、僕の双肩にかかっている。
前世では、どんなに締め切りが迫っても「最悪、辞めればいい」という逃げ道があった。
だが今回は違う。
失敗=死だ。
僕だけじゃない。リナも、ミオも、エララも、この世界に生きるすべての命が。
机の上に積まれた羊皮紙を見つめる。
計算の断片。
何度やっても、数式が収束しない。
根源接続に必要な魔力量――いや、システムを錯覚させるほどの「異質な概念の記憶容量」は、いまの引き出せる僕一人のキャパシティを遥かに超えている。
リナの協力があれば――いや、それは駄目だ。
彼女に負担をかければ、聖女の刻印が活性化するリスクがある。
「……落ち着け。クールになれ」
深呼吸をする。
脳内のCPU使用率を下げる。
感情を殺せ。
明日の僕は、人間であってはいけない。
千年の盟約に立ち向かう、最強の「デバッガー」でなければならない。
僕は机に向かい、最後の術式を書き殴った。
盟約の解析式じゃない。
万が一の時のための、「自爆術式」だ。
`Execute: Soul_Burn`
`Target: Rein_Refact`
もしリナを救えないなら、僕の魂を魔力に換えて、無理やり聖女の刻印をこじ開ける。
自分が燃料になれば、リナ一人くらいは解放できるはずだ。
「……いいざまだな」
自嘲気味に笑う。
結局、僕もシステムと同じ「自己犠牲」の解に辿り着きそうになっている。
だが、それでもいい。
あの笑顔が守れるなら、僕というバグが一つ消えたところで、世界は痛くも痒くもないだろう。
窓の外では、雪が止み始めていた。
雲間から、冷たい月が顔を出す。
決戦の朝が来る。
僕たちの、最初で最後の「式典」が。
【今節の専門用語解説】
・zip(圧縮)
ファイルサイズを小さくする技術。レインは自分の魂の魔力回路を「圧縮」して根源接続の負荷を下げようとしているが、魂の圧縮は「人格の欠損」を招く恐れがあるため難航している。
・IF文(条件分岐)
「もし〜ならば、〜する」というプログラムの基本構文。リナは「もしダメだったら殺して」という分岐を提案したが、レインは「成功する」という一直線の処理しか認めなかった。
・自爆コード
自分の魂そのものをオーバーロードさせ、莫大な魔力を生み出す禁断の術式。レインにとっての「切り札」だが、それは文字通りの「死」を意味する。




