第3話:初期化プロセス
庭での「強制シャットダウン」から数日後。
僕は布団の中で目を覚ました。
「……うう、頭が痛い」
視界がぐらぐらと揺れる。
まるで二徹明けのデスマーチ直後だ。
三歳児の体は、大人の精神が考える「最適解」に追いついていない。
魔法を一回使っただけだぞ?
たった数秒、簡単な熱変換プロセスを実行しただけで、全身の筋肉が悲鳴を上げ、高熱が出てダウンするなんて。
「レイン、もう大丈夫? 無理しちゃ駄目よ」
母さんが心配そうに濡れタオルを交換してくれる。
その手は温かいが、どこか少しだけ震えているように見えた。
過労だ。
僕の世話に加え、家事と畑仕事。
この世界の「主婦」の労働環境は高すぎる。
「……ごめん、母さん」
謝りながら、僕は自分の体のスペック(仕様)を脳内で再確認していた。
【System Diagnosis Report】
- Mana Capacity (MP): High
- Processing Unit (CPU): Ultra High Performance
- Bus Width (Mana Circuits): Critically Low
- Cooling System (Body Durability): Failure
魔力の容量そのものは、恐らく標準よりも多い。
演算能力に至っては、前世の知識と経験があるため、この世界の大魔導師すら凌駕しているだろう。
だが、それらを繋ぐ「配線」と、熱を逃がす「筐体」が壊滅的に貧弱なのだ。
(つまり、今の僕は『スーパーコンピュータの頭脳を持つハムスター』みたいなもんだ)
全力で走れば、心臓が持たない。
複雑な計算を行えば、脳が焼き切れる。
魔法を使うなら、極限まで出力を絞るか、あるいは「外部デバイス(魔導具)」に負荷を逃がすしかない。
だが、そんな便利なデバイスは、この貧乏な家にはない。
「……母さん、ごはん」
「ふふ、お腹が空いたのね。すぐにお粥を持ってくるわ」
母さんが台所へ立つ。
僕はよろよろとおぼつかない足取りで起き上がり、その背中を追った。
壁に手をつかないと歩けない。
この「操縦性の悪さ(ラグ)」にはうんざりする。
台所では、母さんがかまどに向かっていた。
薪に火をつけるための《生活点火》を使おうとしている。
「よいしょ……《イグニッション》」
指先にボッと赤い火が灯る。
それを見て、僕の『低レイヤー・ビジョン』が、けたたましい警告を鳴らした。
【Detected: Memory Leak (Severity: High)】
【Process: Household_Magic is consuming excessive resources.】
(……やっぱり、酷い)
僕の目には、母さんの指先から「火」だけでなく、行き場を失った「魔力の残滓」がボロボロとこぼれ落ちているのが見えた。
まるで穴の空いたバケツだ。
本来、着火に必要な魔力は `1.0` 程度。
しかし母さんは、その制御ができず `10.0` の魔力を注ぎ込み、余った `9.0` を「熱」や「光」変換しきれずに垂れ流している。
母さんの顔色が少し青い。
魔法を使うたびに、体力が削られている証拠だ。
この世界の非効率な術式は、ユーザー(術者)の寿命を少しずつ縮めているようなものだ。
放っておけない。
エンジニアとしての良心が、コードの修正を叫んでいる。
なにより、僕の大事な「生産責任者」が、こんな下らないバグでダウンしては困る。
(でも、僕が直接手を出せば、また倒れる)
(いや、前回はゼロから術式を構築したからオーバーヒートしたんだ)
既存のコードを全書き換えするのではなく、一部のパラメータだけを弄る「パッチ(修正差分)」を当てるなら?
負荷は最小限で済むはずだ。
「母さん」
僕は母さんの足元に抱きついた。
「なに、レイン?」
「……指、かして」
「え? 危ないわよ?」
「いいから」
母さんが不思議そうに指を差し出す。
赤く燃える火が灯っている指先。
僕はその少し下、魔力が流れてくる「導管」の部分に、自分の小さな指を触れさせた。
接続。
母さんの体内を流れる魔力ネットワークに、僕の意識を侵入させる。
(……うわ、中はもっと酷いな)
血管のように張り巡らされた魔力回路は、詰まりだらけだった。
古いキャッシュデータ(余剰魔力)がこびりつき、流れを阻害している。
これでは効率が悪くて当然だ。
僕は深呼吸をし、ほんの少しだけ自分の魔力を流し込んだ。
全体を書き換えるのではない。
一番無駄が多い「燃料噴射プロセス」の数行だけを、こっそりと最適化したのだ。
**Target:** Process ID 008 (Combustion Logic)
**Analysis:** Oxygen supply is random. Fuel mixture is rich.
**Patch:** Optimize Fuel Injection (Ratio 1:15 - Stoichiometric)
**Injecting Code...**
(……ぐっ、指先が痺れる)
たった数行の修正でも、この体には負荷がかかる。
指先から静電気が走ったような痛みが伝わる。
だが、我慢だ。
ここでやめたら「デプロイ失敗」だ。
**Apply:** Silent Mode. Complete.
「……っ!」
変化は劇的だった。
ボウッ!
母さんの指先に灯っていた小さく心許ない火が、一瞬で「青い完全燃焼の炎」へと変化した。
揺らぎがない、鋭利な刃物のような美しい青。
温度は高いはずなのに、周囲への熱拡散が最小限に抑えられている。
「え……!? なに、これ……」
母さんが目を丸くする。
「い、いつもの魔力なのに、火が消えない……? それに、体が重くないわ」
当然だ。
今まで `90%` のロスを出していた処理を最適化したのだ。
少ない魔力でも、以前より強力な火が出せる。
むしろ、今まで通りの魔力を込めると火力が強すぎるくらいだ。お湯があっという間に沸騰し、鍋の蓋がカタカタと音を立てる。
「……すっごい。レイン、あなたがやったの?」
母さんが驚愕の表情で僕を見る。
そりゃそうだ。
三歳児が触れただけで、魔法の効率が数十倍に跳ね上がったのだから。
「わかんない。でも、母さんが『らく』になったらいいなって」
僕は精一杯の子供演技で誤魔化した。
首をかしげ、無邪気な笑顔を作る。
中身はおっさんだが、外見(UI)は可愛い子供だ。このギャップを利用しない手はない。
「母さんが元気ないと、僕も悲しいから」
嘘ではない。
母さんが過労で倒れる(システムダウンする)のは嫌だ。
彼女はこの家のメインサーバーなのだから、常に安定稼働してもらわないと困る。
「ありがとう、レイン。……不思議な子ね」
母さんは僕を抱きしめた。
その温かさに包まれながら、僕は密かにガッツポーズをする。
(よし、成功だ。パッチ適用完了)
母さんの体調も良さそうだ。
これで彼女の負担は大幅に減るだろう。
だが、家の中を見渡すと、まだまだ最適化すべき箇所は山ほどあった。
父さんが使っている農具の強化魔法。
家の断熱結界(隙間風だらけ)。
井戸の汲み上げ機構。
(……もっと効率化しないと。この家中のクソコードを全部リファクタリングするまで、僕の体が持つかどうか)
戦いは始まったばかりだ。
まずは、この貧弱なハードウェア(肉体)を鍛えつつ、身の回りの環境(家)を「安全地帯」にする。
それが当面の目標だ。
そう心に決めた瞬間、また少し目眩がした。
やはり、他人の回路への干渉はリソースを食うらしい。
……うん、今日はもう寝よう。
幼児の体は、バッテリーの減りも早かった。
スリープモードへ移行する。
おやすみなさい、世界。明日はもっとデバッグしてやるからな。
【今節の専門用語解説】
・パッチ(Patch)
プログラムの不具合を直したり、機能を追加したりするために当てる「修正プログラム」のこと。服の継ぎ当て(パッチ)が語源。レインは母の魔法を「継ぎ当て」した。
・セーフモード(Safe Mode)
必要最小限の機能だけでパソコンを起動すること。トラブルが起きた時や、安全に作業したい時に使われる。レインは家を安全な場所にしようとしている。
・ロード・アベレージ(Load Average)
システムにかかっている負荷の平均値。これが高いと、処理が遅くなったり止まったりする。母さんの家事負担はまさにこれ。




