表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
過労死エンジニアの異世界リファクタリング ~孤独の管理者と不変の定数~  作者: 雨山識


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

39/46

第38話:嵐の前のコンパイル

【32:06:11:48】


三十二日。


冬が深まり、王都に初雪が降った。

白い結晶が、窓ガラスの外でゆっくりと舞い落ちていく。

美しいはずの光景だが、僕の目にはそれすら「テクスチャの粒子」に見えてしまう。

職業病だ。


「……案46、不適合。泉の連鎖起動が必要なため、単独では成立しない」


僕は羊皮紙の束に×を付けた。

四十六回目の失敗だ。

研究所から持ち帰ったデータをどう計算しても、リナを救う方法が出てこない。


残る選択肢は、二つ。

一つは、学年末式典の日に研究所の最深部へ侵入し、盟約の完全なソースコードを手に入れること。

もう一つは——


僕は机の引き出しを開けた。

中には、小さな結晶細工が一つ。

五年前、聖地サナトリウムでの修行中に内緒で削り出した、石英の指輪だ。


リナに渡そうと思って、ずっと持っていた。

だが、渡すタイミングがなかった。

いや、正確には——渡す覚悟がなかった。


(この先、僕がどうなるか分からない。……渡してしまったら、「約束」になる)


約束は、破れない契約だ。

履行できない約束を結ぶのは、例外処理のないtry-catchブロックと同じだ。

エラーが起きた時に、何も返せない。


僕は引き出しを閉じた。

今は、まだ。


   ◇


「レイン。……散歩、行かない?」


午後、リナが研究室に顔を出した。

最近、彼女はよく僕を外に連れ出そうとする。

籠もりきりの僕を心配しているのだろう。


「……いいぞ」


たまには頭を冷やすのも悪くない。

僕はコートを羽織り、リナと並んで雪の王都を歩いた。


白い息が混ざる。

街路樹は枯れ、石畳は薄く雪化粧をしている。

商店街ではクリスマスらしき飾り付けが始まっていた。

この世界にもクリスマスに似た祝祭があるらしい。


「ねえ、レイン」

「ん?」

「学年が終わったら、どうする?」


突然の質問に、足が止まった。


「……まだ考えてない」

「私はね、先生になりたいの」

「先生?」

「うん。小さい子に、魔法を教えるの。イニット村みたいな田舎にも、ちゃんとした先生がいたらいいなって」


リナが遠くを見つめる。

その横顔に、雪が一片、溶けて消えた。


「レインが昔、私に計算を教えてくれたでしょ。あの時すっごく嬉しかったんだ。世界が広がった感じがして。……あの気持ちを、他の子にも教えてあげたい」


僕は答えられなかった。

彼女の「この先」が存在するかどうか、今の時点では保証できない。

だが——


「いい先生になるよ、お前なら」


嘘じゃない。

心の底から、そう思った。

だから、彼女のその未来を実現するために、僕は戦う。


「へへ。レインは? レインも先生になる? 二人で学校作ろうよ」

「……それは、まあ。考えておく」


リナがにかっと笑う。

その笑顔を見るたびに、胸の中の「守りたい」というプロセスが優先度を上げる。


   ◇


帰り道。

エララが校門前で待っていた。

珍しく、真剣な顔をしている。


「レイン。教会の監査日程が確定したわ」

「いつだ」

「学年末式典の当日よ。全在学生の魔力測定を、式典と併行して実施するとのことよ」


式典当日。

VMの隠蔽が持つかどうかの瀬戸際だ。


`[Status: Awakening (82%)]`

`[VM Integrity: 23%]`


八十二パーセント。

VMの残存耐久も二割強。

式典当日まで保つとは思えない。


「エララ。一つ頼みがある」

「何よ」

「式典の直前、リナを講堂から出せるか」

「……どういうこと?」

「体調不良を理由に、開式直前にリナを退席させる。そのまま監査をすり抜けて、地下へ向かうんだ」


エララが少し考えてから、頷いた。


「分かったわ。保健室の魔導医にも話を通しておく。……でも、一度怪しまれたら終わりよ」

「分かってる。だから、その日のうちに全てを終わらせる」


エララが僕をじっと見つめた。


「レイン。あなた、何をする気なの?」

「世界のバグを、直す」

「……大きく出たわね」

「エンジニアってのは、大きいバグほど燃えるんだよ」


エララは呆れたように笑った。

だが、その笑顔の奥に、信頼の色があった。


   ◇


夜。

寮の自室で、僕は最後の作戦計画を書き上げていた。


『学年末式典当日の行動計画:

①式典開始と同時にラグ魔法を展開。混乱を誘発

②ミオが情報撹乱。教会騎士団の通信を妨害

③リナを連れ出す。地下通路から旧市街へ

④エララが表で時間稼ぎ。公爵家の権限で騎士団を足止め

⑤研究所の最深部へ侵入。管理者専用区画の防壁ファイアウォールを突破

⑥盟約の完全データを入手。最終手段を実行する』


最終手段。

それが何を意味するのか、今はまだ考えたくない。

だが、最深部に辿り着けば答えが見つかると信じるしかない。


引き出しの中の石英の指輪が、微かに光った気がした。

気のせいだろう。

だが——もし全てがうまくいったら、あの指輪を渡そう。


「全てがうまくいったら」。

エンジニアがその言葉を使う時、大抵うまくいかないことは知っている。

それでも。


僕はペンを置き、窓の外を見た。

雪が止み、星が見えた。

赤い数字が、星空の隅で静かに点滅している。


【32:00:47:55】


三十二日。

それが、僕たちに残された最後の猶予だった。

【今節の専門用語解説】


・コンパイル(Compile)

プログラムのソースコードを、コンピュータが実行できる形に変換すること。コンパイルが成功して初めてプログラムは動く。レインが「作戦計画を書き上げた」段階は、まだ実行前の「コンパイル」——全てのコードが正しいかどうかは、実行するまで分からない。


・try-catchブロック

プログラムでエラーが発生した場合に備える構文。try(試行)の中でエラーが起きたら、catch(捕捉)で処理する。レインが「約束」を避けているのは、約束が破られた場合のcatch(救済措置)を持っていないから。


・例外処理(Exception Handling)

プログラムの実行中に発生する想定外のエラーに対処する仕組み。例外処理がないプログラムは、エラーが起きた瞬間にクラッシュする。レインの計画にも、失敗した場合のバックアッププランが不足している。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ