第36話:盟約の真実
「ようこそ。私は『守護者』。エデンの盟約を守る者です」
光の幻影が、感情のない声で告げた。
古代の魔術師を模したその姿は、マザー・クリスタルの光で構成されており、輪郭が時折揺らぐ。
(管理AIだ。感情を持たない、純粋なシステムプロセス)
幻影は僕たち一人一人を見回し、最後にリナで視線を止めた。
「……検知しました。個体名:リナ・メモリ。現在の『聖女の器』ですね。素晴らしい。予定より早い到着ですが、儀式には十分な魔力密度です」
事務的な口調。
まるで、屠殺場に運ばれてきた家畜を評価するような響きに、僕は反吐が出るのを堪えた。
「……ふざけるな」
僕は一歩前に出た。
ミオとエララも、杖と扇子を構えて臨戦態勢をとる。
「単刀直入に聞く。……この世界はどうなってる? 『エデンの盟約』とは何だ?」
守護者は瞬きもせず、淡々と答えた。
「質問を受け付けました。……回答します。この世界は、千年以上前に古代の大魔術師たちが構築した『エデンの盟約』によって維持されています。世界を流れる全ての魔力――大気、重力、生命の循環。その全てが、盟約によって制御されています」
(……やっぱりな。世界まるごとがレガシーシステムだ)
「……!」
予想はしていた。
だが、突きつけられた現実は重い。
エララが息を呑む。
「盟約……? じゃあ、私たちの世界は……誰かに作られたもの、ってこと?」
「正確ではありません。世界そのものは太古から存在していました。大魔術師たちは世界を『創った』のではなく、崩壊しかけた世界の魔力循環を『固定』したのです。……十二の泉を核として」
守護者がマザー・クリスタルから光の図を投影した。
世界地図だ。
その上に、十二の光点が散らばっている。
(データベースのインデックスマップか。十二の泉が、世界のルーティングテーブルになってるわけだ)
「かつては十二の泉から根源のマナが循環し、盟約は永続するはずでした。……しかし、八百年前の大戦で九つの泉が破壊されました」
光点が次々と消える。
残ったのはわずか三つ。
「マナの循環が崩壊し、世界は緩やかに自壊を始めました。残る三つの泉だけでは、盟約を維持する魔力が圧倒的に不足しています」
「だから……補填したのか? 人間を使って」
僕が指摘すると、守護者は小さく頷いた。
「肯定します。緊急措置として、『聖女の儀式』を導入しました。……高密度の魔力を持つ個体の命を捧げ、その魔力を盟約の延命に充てる仕組みです」
守護者の指先が、リナを指し示す。
「数世代に一度、極めて魔力密度の高い個体が生まれるよう、世界の循環には偏りが生じています。彼女たちは『聖女』として崇められ、やがて……世界の礎として還元されます」
戦慄が走る。
魂を燃やして、世界を延命する。
(マトリックスもびっくりの人間発電所だ)
「それが『聖女』か……」
「はい。当初は一人の聖女で世界は百年維持できました。しかし、盟約の劣化に伴い、一人あたりの延命年数は大幅に縮小しています。直近では十数年に一人のペースです。……それでも、たった一人の命で全ての生命が守られる。これほど合理的な方法があるでしょうか」
「ふざけるなぁぁぁぁっ!!」
叫んだのは、僕ではなかった。
エララだった。
彼女は涙を流しながら、扇子を投げつけた。
扇子は光の幻影をすり抜け、虚しく床に落ちる。
「何が合理よ! ……リナさんは私の友達なの! 生贄なんかじゃない! リナさんにも、明日があるのよ! 恋をして、大人になって……お婆ちゃんになるまで生きる権利があるのよ!」
「権利。……それは盟約が維持される限りにおいて保証される概念です。世界の存続の前には、個人の権利は意味を持ちません」
話にならない。
こいつには感情がない。
ただ「世界を維持する」という使命だけを忠実に実行する存在だ。
(イベントループを回し続けるだけのデーモンプロセスだ)
「……つまり、リナを助ける方法はない、と?」
「ありません。彼女の儀式は既に予定されています。中断すれば、マナの循環が途絶え、盟約が崩壊し、世界は滅びます」
守護者は無機質に宣告した。
「諦めなさい。……それとも、彼女一人を救うために、世界を滅ぼしますか? 英雄志望の少年よ」
究極の二択。
トロッコ問題。
ヴァイスが絶望し、受け入れた現実がこれだ。
だが。
「……馬鹿か、お前は」
僕は冷ややかに吐き捨てた。
恐怖も、怒りも通り越して、ただただ「呆れ」が湧き上がってきた。
「な……?」
「それがお前の言う『最適解』か? ……笑わせるなよ、三流エンジニア」
僕は一歩踏み出し、守護者を見上げた。
「マナが足りない? なら、泉を直せばいい。九つの泉が壊れた? なら修復すればいい。なんで『中の人間を殺す』なんて安直な手段に逃げるんだよ」
「……泉の修復には、盟約者と同等の魔力と数百年の時間が必要です。現在の技術では不可能です」
「不可能を可能にするのがエンジニアだ」
その場にいた全員が、僕を見た。
「は……?」
「この盟約の仕組みは分かった。要するに、マナの循環さえ戻れば聖女なんて要らないんだろ? なら、泉の代わりになるものを作ればいい」
守護者の表情が、一瞬だけ揺らいだように見えた。
(おっ、想定外の入力でフリーズしてやがる)
「……理論上は可能です。しかし、泉に匹敵するマナの供給源を個人で賄うことは、いかなる魔術師にも不可能です」
「僕がやる」
僕は断言した。
「方法はこれから考える。だが、可能性はゼロじゃないはずだ。このアーカイブのどこかに、盟約の根幹に触れる方法が記録されてるだろ?」
守護者は長い沈黙の後、答えた。
「……一つだけ。禁術があります。『根源接続』。術者の魂を盟約の法則そのものに組み込み、世界の楔となる儀式です」
(Kernel Modeか。OSの核に直接アクセスする禁じ手だ)
「代償は?」
「術者の人格の全損です。人間の魂の構造を、盟約システムと同位の言語に自力で書き換え、さらに莫大な自我の記憶を『燃料』として放出し続ける必要があります。……過去に歴代の管理者が数名これに挑みましたが、魂の直接改写技術を持たず、全員が自我を崩壊させて消滅しました」
守護者の言葉が響く。
(……だからか。だからヴァイスは、姉の身代わりにこれを使えなかった)
システムから与えられた管理者権限を使うだけの彼らには、自分自身の魂のソースコードを書き換える技術がない。
そして仮にできたとしても、この世界の住人の記憶データ(容量)では、世界を維持するための燃料として圧倒的に足りない。
だが、僕にはそれがある。
前世で培った、この世界には存在しない『概念(プログラム言語)』という異質で高密度な情報群。
世界システムを錯覚させるほどの、規格外のデータ容量が。
「……リナは渡さない。他に道がないなら、僕が楔になる」
僕は後ろを振り返った。
リナが、涙を溜めた瞳で僕を見つめている。
彼女はずっと黙っていた。
自分の命が生贄だと言われ、ショックを受けていないはずがない。
それでも、彼女は気丈に立っていた。
「……レイン」
「帰ろう、リナ。……こんなクソみたいな歴史、僕が全部書き換えてやる」
僕は守護者に背を向けた。
「警告します。……『聖女の儀式』の執行予定まで、残り89日です。それまでに代替手段を確保できなければ、盟約は強制執行されます」
「ああ、分かってるよ。デッドラインは守る主義だ」
「……その時を待っています、盟約の破壊者」
光の幻影が消える。
静寂が戻った。
「……レイン君」
ミオが震える声で話しかけてくる。
彼女の手には、震えるメモ帳が握られていた。
「本当に……根源接続をやるつもりですか? 人格が消えるって……」
「最終手段だ。まずは他の道を探す。……泉の修復か、盟約の書き換えか。とにかく方法はある」
「でも……どうやって?」
「この研究所のデータを持ち帰って解析する。千年前の連中にできたことが、僕にできないはずがないだろ」
僕は強がって見せたが、内心は冷や汗まみれだった。
(大口を叩いたが、具体的なプランはまだ白紙だ)
(だが、可能性はある。この研究所のアーカイブに、盟約の構造が記録されているはずだ)
(リバース・エンジニアリングすればいい)
「……ごめんね、レイン」
ぽつりと、リナが呟いた。
彼女の顔は俯いていて、表情が見えない。
「ごめんね……私のせいで……レインにそんな無茶させて……」
「馬鹿。お前のせいじゃない。システムのせいだ」
「でも! 私が死ねば……みんな助かるんでしょ? 私一人が我慢すれば……」
「それを言うな!!」
僕は思わず怒鳴っていた。
リナがびくりと肩を震わせる。
「……二度と言うな。お前が死んで助かる世界なんて、そんなの生きてる価値がない地獄だ」
「レイン……」
「頼むから……生きることを諦めないでくれ。お前が諦めたら、僕の戦いは全部無駄になるんだ」
僕の声は震えていたかもしれない。
リナを失う恐怖。
それだけが、今の僕を突き動かしている原動力だ。
リナはしばらく呆然としていたが、やがて、瞳に強い光を宿して頷いた。
「……うん。分かった。……私、生きる。レインと一緒に」
彼女の手が、僕の手を強く握り返す。
その体温。
温かい命の証。
これを消させてたまるか。
「……よし。帰ろう」
「ええ。長居は無用だわ」
「記録を持ち帰って解析しましょう。……忙しくなりますよ」
僕たちは地下研究所を後にした。
足取りは重いが、迷いはなかった。
敵は千年の歴史を持つ巨大な盟約そのもの。
残り時間は約三ヶ月。
勝ち目の薄い戦いだが、やるしかない。
盟約のハッキング。
前代未聞の「世界の法則の書き換え」プロジェクトが、今、始動した。
【今節の専門用語解説】
・デーモンプロセス(Daemon Process)
バックグラウンドで動き続けるプログラムのこと。守護者は善でも悪でもなく、ただ「世界を維持する」という命令を粛々と実行し続けているだけ。レインはその在り方を「デーモンプロセス」と認識した。
・ルーティングテーブル(Routing Table)
ネットワーク上で、データをどの経路で送るかを記録した表。十二の泉が世界中の魔力をどう循環させるかの設計図を、レインはこう呼んだ。
・リバース・エンジニアリング(Reverse Engineering)
完成品を分解・解析して、その仕組みや設計図を割り出すこと。レインは古代の盟約の構造を読み解いて、書き換えの方法を探ろうとしている。




