第34話:ヴァイスの最後通牒
深夜。
僕とミオ、そしてリナの三人は、学園の裏門に集合していた。
月明かりもない暗闇の中、冷たい夜風が校舎の間を吹き抜けていく。
目的は、王都旧市街の地下にある「古代研究所」への侵入だ。
「……二人とも来てくれたか」
ポケットの中で、エララから預かった鍵を確認する。
あとは夜の王都を抜けて旧市街に辿り着ければ——。
「ちょっと、あんたたち!」
暗がりから駆け寄ってくる影。
息を切らしたエララが、マントの裾を翻しながら現れた。
「エ、エララさん!? どうしてここに……?」
リナが目を丸くする。僕も驚いた。声をかけたのはミオだけのはずだ。
「どうしてって……ミオから聞いたのよ。今夜、旧市街の研究所に潜るって」
僕がミオを睨む。ミオは「必要な情報を必要な人に共有しただけです」と涼しい顔だった。
「……っ。まあいいわ。それより、あんたたち、あの研究所への入口、知らないでしょ? 旧市街のどこにあるか、どうやって開けるか」
エララは腕を組み、震える声を抑えるように続けた。
「鍵だけ渡して、あとは知りませんなんて……そんなの、私のプライドが許さないのよ」
その言葉の裏に、今日の出来事があるのは明らかだった。
講堂で全校生徒が怯える姿。壇上で神官に抗議しても跳ね返された無力感。
あの光景が、彼女の覚悟を変えたのだ。
リナがエララの手をそっと握った。
「……ありがとう、エララさん。心強いよ」
エララは一瞬だけ目を潤ませたが、すぐにいつもの表情に戻った。
「……べ、別にあんたたちのためじゃないわよ。うちの管理してる場所が荒らされたら困るだけ。……行くわよ」
エララは深く息を吐いて前を向いた。
その横顔には、いつもの高飛車な令嬢の面影はなく、友を守るために家名を賭ける覚悟が滲んでいた。
「……ミオ、周囲の気配は?」
「問題ありません。巡回の騎士も、今の時間帯はこの区画を通りません。……調査済みです」
ミオが自信ありげに胸を叩く。
完璧な準備だ。
僕たちは音を殺して夜の王都へ踏み出そうとした。
だが、その時だった。
「――どこへ行くつもりだ?」
闇の中から、低い声が響いた。
心臓が跳ねる。
街灯の下、銀髪の青年が腕を組んで立っていた。
生徒会長、ヴァイス・アルノルトだ。
一人だ。取り巻きはいない。
だが、その存在感だけで空気が凍りついたように重くなっていた。
ミオが「そんな……探知に引っ掛からなかったのに……」と呻く。
異常な隠密性だ。
こいつは最初からここにいたのか。
「……夜の散歩ですよ、会長」
「とぼけるな。その方向は旧市街……『旧施設』へ向かうつもりか」
バレてる。
さすがはこの学園の最高権限者だ。
僕たちの動きなど、最初から筒抜けだったらしい。
彼はゆっくりと歩み寄ってきた。
その瞳は、夜闇よりも深く、冷たい。
「そこに行ってどうする? 聖女の仕組みを止める方法でも探すつもりか?」
「……だったら?」
「無駄だと言っている。……私が試していないとでも思ったか?」
その言葉に、僕は足を止めた。
ヴァイスの瞳には、冷徹さとは違う、深い絶望の色があった。
彼は嘲るように口元を歪めた。
だが、それは他人を嘲るためではなく、自分自身を嗤う笑みだった。
「私もかつて、この世界の理不尽さに抗おうとした。書庫を漁り、遺跡を巡り、あらゆる回避策を模索した」
彼は遠くを見つめる。
まるで過去の自分を見ているかのようだった。
「身内にいたよ、聖女候補が。……姉だ。明るくて、優しくて、おせっかいな人だった。私は姉を救うと誓った。管理者権限を使い、教会のあらゆる記録に目を通し、数百冊の古文書を読み潰した。寝る時間も惜しんで、解を探した」
ヴァイスの声が、僅かに震えた。
鉄壁の仮面が、ほんの少しだけ剥がれる。
「結論は一つだった」
彼は一歩、僕に近づく。
その体から、凄まじい魔力の威圧感が放たれる。
「魔力の枯渇は、この世界の『物理的な限界』だ。小手先の工夫でどうにかなるレベルではない。……器にヒビが入っている以上、水を注ぎ続けなければ乾いて死ぬ。誰かがその身を捧げなければ、世界ごと崩壊する。それが『確定した未来』だ」
ヴァイスの声には、重い実感がこもっていた。
彼もまた、計算し尽くしたのだ。
天才だからこそ、絶望という解に最短で到達してしまった。
「……で、そのお姉さんは?」
僕が聞くと、ヴァイスは沈黙した。
長い沈黙の後、彼は短く答えた。
「十年前の学年末式典で、聖女に選ばれた。……今は、もういない」
背後でリナが小さく息を呑むのが聞こえた。
エララが彼女の手を握り締めている。
「……私も、そうなるの?」
リナの声が、微かに震えていた。
彼女はまだ「聖女の生贄」の全容は知らない。
だが、教会に追われている理由と、この話が繋がっていることくらいは察しているのだろう。
僕は答えなかった。今は、答えるべきではない。
ヴァイスが背負っているもの。
それは、救えなかった姉の影だ。
彼の冷徹さは、絶望の上に築かれた殻に過ぎない。
「だから、リナを犠牲にすると?」
「そうだ。一人の犠牲で、一億人の命が助かる。……これ以上の『最善手』があるなら提示してみろ、レイン・リファクト!」
ヴァイスの叫びが、夜の空気に木霊する。
それが彼の本音か。
彼もまた、苦しんでいたのだ。
非情な天秤を回し続けることしかできない自分に。
トロッコ問題のレバーを握らされ続けてきた男の悲鳴だ。
「あるよ」
僕は静かに答えた。
ヴァイスが目を見開く。
「……何?」
「最善手? 笑わせるな。誰かが死ぬ仕組みなんて、歪みだらけの欠陥品だ」
「……理想論だ。子供の戯言に付き合っている暇はない」
「理想で何が悪い。技術ってのは、理想を現実に変えるためにあるんだ」
僕はヴァイスを真っ直ぐに見据えた。
「アンタは諦めたんだ、ヴァイス。限界値を信じたんだ。世界の定格を超えて、無理やりにでも回せば、力なんていくらでも引き出せるはずだ。……方法はある」
「……」
「僕は技術者だ。歪みがあるなら直す。仕組みがクソなら書き換える。……それだけだ」
「……技術者?」
ヴァイスが怪訝そうに眉をひそめる。
彼には通じない言葉だ。
前世の記憶に根ざした、僕だけの矜持。
だが、その概念は伝わったはずだ。
運命を受け入れる者と、運命を書き換える者。
その決定的な違いが。
僕の隣で、リナが一歩前に出た。
その小さな体が、ヴァイスの前に立つ。
「……会長さん」
「……何だ」
「あなたが救えなかった人のこと……私は知りません。でも、その人もきっと、あなたに『ありがとう』って言いたかったと思うの。一生懸命、助けようとしてくれたこと」
ヴァイスの瞳が揺れた。
鉄壁の仮面に、細い亀裂が走る。
「……お前に、何が……」
「分かんないよ。全部は分かんない。でもね、レインがずっと何かと戦ってくれてるのは分かるの。私のために、無理してるのも。……だから私、逃げたくないの。会長さんも、諦めないでほしいの」
リナの声は震えていた。
だが、その言葉は真っ直ぐだった。
僕にはできない言い方だ。
計算も理屈もない、ただの祈り。
だがそれこそが、論理では絶対に届かない場所に届く力なのかもしれない。
ヴァイスは沈黙した。
僕と彼の間で、視線が火花を散らす。
やがて、彼はふぅと息を吐き、身体から力を抜いた。
道を空ける。
「……行け」
「え?」
「今夜、私はこの場所を巡回していない。……何も見ていない」
彼は背を向けた。
「だが覚えておけ。もし、何の成果も得られずに戻ってきた時は……私がこの手で君たちを処断する。それが秩序を守る者の義務だ」
冷徹な声。
だが、そこには僅かな揺らぎがあった。
彼は賭けたのだ。
自分には見つけられなかった「修正法」を、この異端の少年が見つけてくる可能性に。
「……ああ。好きにしろ。期待して待ってろよ」
僕たちはヴァイスの横を通り過ぎる。
すれ違いざま、彼は小さく呟いた。
「……証明してみせろ。この世界が、欠陥品ではないことを」
その声は、祈りのようにも聞こえた。
◇
「……行っちゃったわね」
エララが安堵のため息をつく。
その場にへたり込みそうなほど消耗していた。
強敵だった。
もし彼が本気で止めていたら、僕たちは研究所の調査どころではなくなっていただろう。
「レイン君、やっぱり会長も……」
「ああ。あいつも、このクソゲーの被害者なんだろうな」
僕はヴァイスの背中が見えなくなった暗闇を見つめた。
彼は待っているのだ。
自分には書けなかった「修正パッチ」を、誰かが持ち帰ってくれることを。
天才ゆえに諦めてしまった彼を救えるのは、諦めの悪い馬鹿だけだ。
「ヴァイスさん……お姉さんを、救えなかったんだね」
リナが呟く。
その瞳には涙が滲んでいた。
十年前に失われた、名前も知らない誰かのために泣いているのだ。
この子は本当に、どこまでもお人好しだ。
「……だからこそ、僕たちが証明しなきゃいけない」
僕はリナの涙を指で拭った。
「誰も死なない未来を。……あいつの絶望が、間違いだったってことを」
エララがマントの裾をぎゅっと握り、小さく頷いた。
「……行きましょう。もう迷わないわ」
ミオが無言で頷き、杖を構え直す。
全員の覚悟が決まった。
「行くぞ。……責任重大だ」
僕は歩き出す。
目指すは地下研究所。
すべての始まりの場所であり、すべての終わりが記されている場所。
「プロジェクト・エデン」の真実へ。
空を見上げると、赤い数字がカウントダウンを刻んでいる。
表示されている猶予はすでに百日を切っているが、実際のタイムリミットはおそらくもっと短いだろう。
僕たちの戦いが、システムの核心に触れようとしているのだから。
【今節の専門用語解説】
・管理者(Administrator / システム管理者)
システムの全権限を持つユーザー。しかし、それは「システムが決めたルールの中で最強」というだけであり、ルールそのものを壊すことはできない。ヴァイスの苦悩はそこにある。
・オーバークロック(Overclocking)
CPUなどのハードウェアを、定格(メーカーが決めた安全な速度)を超えて無理やり高速動作させること。発熱や故障のリスクはあるが、限界を超えた性能を引き出せる。レインは「世界の限界」もこの理論で突破しようとしている。
・最善手(Optimal Solution)
ここでは「最適解」の言い換え。ヴァイスのような論理的な人間は、感情を排して数字の上で最もマシな答えを選ぶ。レインの選ぶ道は、数字の上では「不可能」だが、感情の上では「唯一の正解」である。




