第31話:認証エラー(Access Denied)
【103:08:22:36】
冬の足音が聞こえる。
学園の窓から見える景色は、もうすっかり枯れ野だ。
木々は葉を落とし、灰色の空が低く垂れ込めている。
世界が死に向かっている——比喩ではなく、文字通り。
カウントダウンが百日に迫ってから、世界のバグは指数関数的に増加していた。
授業中にテーブルが一瞬消える。
廊下の壁がちらつく。
グラウンドの一角に重力異常が発生し、立入禁止区域が増えた。
誰もが不安を感じているが、原因を理解している者はほんの一握りだ。
「レイン君。また教会から通達が来ています」
昼休み、ミオが書類の束を持ってきた。
教会の監査通知だ。
「『王立ログリス学園への聖女候補者調査を実施する。全在学女子生徒の魔力測定を義務化する』……」
「来月か」
「はい。来月の中旬。……リナさんのパッチ、持ちますか」
僕は奥歯を噛んだ。
`[Status: Awakening (67%)]`
`[Patch Integrity: 34%]`
持たない。
そう言いたかったが、言葉にはしなかった。
パッチの劣化速度が加速している。
先月は一週間で3%ずつ落ちていた。
今は一日で1%以上落ちる。
来月の中旬——あと約四十日後。
その時点でパッチは確実にゼロだ。
「……強化パッチを書く。v3.0だ」
「v2.0も二週間しか持ちませんでしたが」
「知ってる。だから今度はアプローチを変える。パッチじゃなく、リナの魂そのものを仮想化する」
ミオが目を見開いた。
「仮想化……ですか?」
「仮想マシン(VM)だ。リナの本体を、『聖女リナ』とは別の仮想空間に隔離する。教会の探知はVMの外殻だけを見て、中のリナ本体には触れられない」
「理論は分かります。ですが、人間の魂にVMを構築するなんて、前例が——」
「ないからやるんだ」
ミオは少し黙ってから、手帳を開いた。
「……分かりました。必要な設計図を書いてください。私が検証します」
◇
一週間後。
僕は自室で、血を吐くような思いでコードを書き続けていた。
人間の魂を仮想化する。
バカげた発想だ。
だが、前世から数えれば三十年以上コードを書いてきたこの脳みそが、「可能だ」と言っている。
問題は三つ。
一、VMの構築に必要な魔力演算量が膨大すぎる。
二、リナの覚醒が進むほど、VM内部から聖女プログラムが脱出しようとする。
三、VMを維持し続けるには、僕が常にバックグラウンドで処理を走らせ続ける必要がある。
つまり、僕の脳の処理能力の一部を、常にリナの保護に割き続けることになる。
マルチタスクの極限。
「レイン、ご飯食べた?」
ドアの外からリナの声。
「あー、うん。食べた」
「嘘。ミオちゃんから聞いたよ、今日何も食べてないって。ドア開けて」
僕が鍵を開けると、リナがお盆を持って入ってきた。
おにぎりとスープ。
食堂から持ってきたらしい。
「もぉ、レインってば。倒れたらどうするの」
「……悪い。ありがとう」
おにぎりを一口食べながら、僕は横目でリナを見た。
彼女の額には、かすかに光る紋様が浮かんでいた。
聖女の刻印の前兆。
覚醒率が上がるにつれ、物理的にも「刻印」が出現し始めている。
「リナ、額、どうした。怪我でもしたか」
「え? ああ、これ? 朝起きたら薄く跡がついてたの。寝てる時に柱にぶつけたのかなって」
違う。
それは聖女の刻印だ。
システムが、彼女の身体に「所有権マーク」を刻み始めている。
僕はスープを飲み干し、立ち上がった。
「リナ、ちょっとじっとしてくれ」
「え?」
「目、閉じて」
リナが不思議そうに目を閉じる。
僕は彼女の額に手を触れ、意識を集中した。
今夜、VMの試験起動を行う。
(……リナ。ここからは、僕がお前の『サーバー管理者』だ。お前のデータは、僕のVMの中で守る)
`[Initializing: Virtual_Machine_v1.0]`
`[Allocating Memory: Rein_Refact → Lina_Memory]`
`[Loading Payload: Soul_Partition]`
額の紋様が揺らぎ、薄くなった。
だが消えてはいない。
VMの起動には成功したが、聖女プログラムの進行を完全に隠蔽するには処理能力が足りない。
「……くっ」
頭がズキリと痛む。
脳のリソースを割きすぎた反動だ。
「レイン? 大丈夫?」
「平気だ。……ちょっと疲れてるだけ」
僕はリナに背を向けて、冷や汗を拭った。
VMの維持だけで、頭の処理能力の二割を持っていかれている。
これでは戦闘時に支障が出る。
だが、やるしかない。
パッチの代わりにVMでリナを隠蔽する。
これが今の僕にできる、最大のファイアウォールだ。
◇
深夜。
ミオが検証結果を持ってきた。
「VM、動作確認しました。リナさんの魔力波長は現在、聖女としての特異なサインが秘匿され、『未覚醒のSクラス生徒』として偽装出力されています。成功です」
「耐久性は」
「……未知数です。v2.0パッチよりは長持ちしますが、覚醒率が八十パーセントを超えた時点で、VMが内側から破壊される恐れがあります」
「あと何日だ」
「現在のペースなら……約四十日」
四十日。
年末か、年明け。
教会の監査と、ほぼ同時期だ。
「……ギリギリだな」
「ギリギリです。しかしレイン君、一つ気になることが」
「なんだ」
「ヴァイス会長が、最近頻繁に教会と連絡を取っています。内容は不明ですが……」
ヴァイス。
あの男が何を考えているのか、未だに読めない。
敵か、味方か。
それとも、どちらでもない第三の立場か。
「監視を続けろ」
「はい」
ミオが退室した後、僕は机に突っ伏した。
頭の奥で、VMの処理が低く唸っている。
常にバックグラウンドで走り続けるプロセス。
寝ている間も、常にリナを守るための計算が脳内で回り続ける。
眠れるだろうか。
正直、自信がない。
だが、明日も学校だ。
平穏な学園生活を演じなければならない。
世界のカウントダウンは、百日を切った。
秋が終わり、冬が来る。
そして冬が終わる前に、全てが決まる。
目を閉じた。
正直、前世の残業地獄より辛い。
あの頃は、終電がなくなったらカプセルホテルに逃げられた。
今は逃げ場がない。
でも、あの頃と違って、守りたいものがある。
リナのおにぎりの味を思い出しながら、僕はようやく意識を手放した。
【今節の専門用語解説】
・仮想マシン(Virtual Machine / VM)
物理的なコンピュータの中に、ソフトウェアで「仮想的なコンピュータ」を作る技術。外側からは仮想マシンの中身が見えず、独立した環境として動作する。レインはリナの魂にVMを構築し、聖女としての本体を外部から隠蔽した。
・認証エラー(Access Denied)
アクセス権限がないために操作が拒否されること。教会の探知がリナの「聖女の本体」に到達しようとしても、VMの外殻が「権限なし」として弾くようになった。
・バックグラウンド処理
ユーザーの操作と並行して、裏側で自動的に実行される処理。レインはVMを維持するために、自分の脳の処理能力の一部を常に「リナの保護」に割いている。これは休息中も止まらない。
・マルチタスク
複数の処理を同時に実行すること。人間の脳でこれを行うのは非常に負荷が高い。レインの場合、日常生活・戦闘・研究・VM維持を並行して処理する必要があり、常にリソース不足の状態にある。




