第30話:紅葉のデッドロック
【152:21:44:08】
秋が深まり、学園の中庭は紅葉に染まっていた。
だが、僕の目に映る世界は、日に日に赤い警告で上書きされていく。
「……また増えたな」
登校途中、僕は空を見上げた。
澄んだ秋空に、黒い点が三つ。
一般人には見えない「テクスチャの欠落」だ。
先月は一つしかなかった。
世界の崩壊が、確実に加速している。
「レイン、どしたの? 空に何かあるの?」
「いや、なんでもない。雲の形が面白くてさ」
「えー、どれどれ? ……普通の雲じゃん」
リナが不審そうに首を傾げる。
僕は笑って誤魔化した。
彼女には、まだ見せたくない景色がある。
◇
放課後。
禁書庫で、僕とミオは壁にぶつかっていた。
「駄目です。マナフィールド共鳴理論、完全に行き詰まりました」
ミオが珍しく声を荒らげた。
夏の演習で発見した「魔力の泉」の修復案。
僕たちはこの数ヶ月、古文書を漁り、理論を組み立ててきた。
だが、壁は分厚かった。
「十二の泉を共鳴回路で接続する……理論自体は美しい。だが、現状で使えるのは三つだけ。残り九つは大戦で破壊されている」
「三つでは共鳴が成立しません。最低でも七つ必要です。そして破壊された泉を修復するには——」
「数十年。分かってる」
僕はコーヒーカップを握りしめた。
カップの底に、黒い液体が澱のように残っている。
僕の思考もこんな感じだ。澱んでいる。
行き詰まり。
デッドロック。
二つのプロセスが互いの完了を待ち合って、永遠に先に進めない状態。
「泉を直すには時間が要る」→「時間がないから泉は直せない」→ 無限ループ。
「……別の手を考えよう」
「別の手、ですか」
「盟約そのものにパッチを当てる方向だ。泉を直す代わりに、盟約の消費魔力を削減できないか。……エネルギー効率の最適化で延命する」
「それは……」
ミオが言葉を切った。
彼女の表情が、一瞬だけ暗くなる。
「レイン君。仮に消費魔力を半減できたとしても、根本解決にはなりません。延命であって、治療ではない」
「分かってる。だが、時間を稼げるなら何でもやる。リナの覚醒が完了する前に、少しでも選択肢を増やしたいんだ」
ミオは黙って頷いた。
彼女もまた、答えのない問いと戦っている。
その手帳に書かれた記録は、もう三冊目に突入していた。
◇
「レイン。少しいいか」
翌日の昼休み。
中庭のベンチで弁当を食べていると、ゼノ大導師が歩み寄ってきた。
白髪の老人は、紅葉の下でも存在感が異様に強い。
「はい、なんでしょう」
「先日の夏期演習で、お前が森の凍結区域に妙な反応を示していたのを覚えている」
背筋が冷たくなった。
あの時、「泉の痕跡」と呟いたのを聞かれていたのか。
「大導師、僕はただ——」
「誤魔化さなくていい」
ゼノの目が、鷹のように鋭い。
「お前には『見えている』のだろう。我々には見えないものが」
「……何の話ですか」
「カウントダウンだよ」
空気が凍った。
「お前の目が、時折空虚を見つめる。まるで何かを読み取っているかのように。……そして、あの泉の痕跡に気づいた。あれが見えるのは、世界の構造そのものを認識できる者だけだ」
僕は沈黙した。
否定しても、この老人には通じないだろう。
「……知ってたんですか。世界が壊れかけていることを」
「千年以上生きていれば、嫌でも気づく。……わしは最初の聖女の時代から、この世界を見てきた」
千年。
この老人は、聖女の生贄システムが始まった当初から生きている。
ということは——
「止められなかったんですか。……八百年間、何十人もの少女が犠牲になるのを」
僕の声が、思わず鋭くなった。
ゼノは目を伏せた。
「……わしの力では、盟約には干渉できん。わしの『原理魔法』は、システムの外で動く旧式のものだ。盟約を書き換えるには、盟約の内側で動ける者が必要だった。……千年待った」
「待った?」
「お前のような人間を、だ」
ゼノがまっすぐに僕を見た。
その目に宿る感情は、期待ではなく——覚悟だった。
「助言を一つだけやろう。……お前がもし、盟約の根幹に手を伸ばすつもりなら、覚悟しておけ。あの深淵は、覗いた者を呑み込む」
「……大導師」
「わしにできるのは、お前たちが動きやすいように場を整えることだけだ。……せいぜい、老骨を使ってくれ」
ゼノはそう言って、背を向けた。
紅葉が舞い散る中を歩く彼の背中は、千年分の重みを背負っているように見えた。
◇
夜。
寮の屋上で、僕は一人で考えていた。
リナのステータスが視界に浮かぶ。
覚醒が半分を超えていた。パッチの耐久度も半分を切っている。
交差点が近づいている。
パッチが破れる日と、覚醒が完了する日。
その二つが重なった時、リナは「人間」ではなくなる。
「教会の動きも活発化しています」
背後からミオの声がした。
彼女はいつからそこにいたのか。気配もなく現れるのは相変わらずだ。
「地方の教区で、『聖女探し』の通達が出ました。全国の魔力波長を調査するそうです」
「……範囲を広げてきたか」
「学園への正式な監査も、年内に予定されているとの情報があります」
年内。
あと数ヶ月。
包囲網が、確実に狭まっている。
「ミオ。一つ聞いていいか」
「はい」
「お前は、なぜここまで付き合ってくれるんだ? リナのことも、僕のことも、お前には直接関係ないだろ」
ミオは少し考えてから、静かに答えた。
「記録者としての本能、でしょうか。あなたたちの物語は、記録する価値がある。……それに」
「それに?」
「友達、ですから」
小さな声だった。
だが、秋の夜空に、はっきりと響いた。
「……ありがとう、ミオ」
「お礼はいりません。……ただ、生き延びてくれれば」
夜風が吹いた。
紅葉が一枚、僕の肩に落ちた。
千年を生きた老人が、僕のような若造に未来を託す。
その重さを、今の僕は正しく量れない。
ただ、ミオが「友達ですから」と言った声だけが、耳の奥に残っていた。
【今節の専門用語解説】
・デッドロック(Deadlock)
二つ以上の処理が、互いの完了を待ち合ったまま永遠に先に進めなくなる状態。レインが直面しているのは「泉の修復に時間が必要」←→「時間がない」という構造的行き詰まり。プログラムの世界では最も厄介なバグの一つ。
・プリミティブ(Primitive)
もっとも基本的で原始的なデータ型や操作のこと。ゼノの「原理魔法」は、盟約というシステムに依存しない旧来の魔法体系で、いわばOSに頼らず直接ハードウェアを操作するアセンブリ言語のようなもの。
・パッチの劣化
ソフトウェアのパッチは、対象システムがアップデートされると対応できなくなることがある。レインのパッチがリナの覚醒に追いつけなくなっているのは、OSが更新され続けるのにパッチだけ古いバージョンのまま、という状態に近い。




