第29話:四人のスタンドアップ(朝会)
夏が終わろうとしていた。
残暑の空は高く、蝉の声が遠くなっている。
学園は夏休み明けの準備で慌ただしく、教師たちが新学期のカリキュラムを整理し始めていた。
そんな日常の隙間に、僕たちは集まっていた。
「じゃあ、定例報告会を始めます」
禁書庫の奥。
埃っぽい本棚に囲まれた隠し部屋で、ミオが仕切り役を買って出た。
テーブルの四辺に、それぞれが座っている。
僕、リナ、ミオ、エララ。
たった四人の、秘密の作戦会議。
「まず、夏期演習の振り返り。レイン君、どうぞ」
(魔力の泉を修復したい『本当の理由』――タイムリミットが迫る世界崩壊と、リナの生贄プログラムを回避するためのエネルギー源確保――を知っているのは、僕とミオだけだ。
エララは頻発する局地的な魔力異常の調査と、純粋な古代魔法への知的好奇心から。リナに至っては単なる『友達の手伝い』としてここにいる。それでいい。本当の地獄は僕らだけが見ていればいい)
「ああ。……森の奥で見つけた『魔力の泉の痕跡』。あれは本物だった。壊れてはいるが、修復の可能性はゼロじゃない」
「修復には何が必要なの?」
エララが真剣な目で聞いてくる。
あの演習以来、エララは明らかに変わった。
高飛車な令嬢の仮面の下に、研究者としての好奇心が顔を出し始めている。
「時間と魔力。……圧倒的に足りないほどの」
「具体的に言って頂戴」
「一つの泉を修復するのに、数十年。全十二箇所なら数百年」
沈黙が落ちた。
「……それって、私たちが生きてる間には無理ってこと?」
リナが不安そうに言う。
「今すぐには、な。でも、将来の選択肢として記録しておく価値はある」
僕はミオを見た。
彼女は既に、手帳に数値を書き込んでいた。
「記録済みです。泉の座標、残存率、周辺の魔力密度。……ゼノ大導師の講義ノートと照合すれば、修復の理論モデルが構築できるかもしれません」
ミオの手帳は三冊目に入っていた。
一冊目は僕の能力と世界の異常に関する記録。
二冊目はリナの状態変化。
三冊目は、今後の計画と考察。
「それ、見せて」
エララが手帳に手を伸ばしたが、ミオがさっと引っ込めた。
「駄目です。レイン君のプライベートな情報が含まれています」
「プライベートって何よ! 私だって仲間でしょ!?」
「仲間であることと、情報アクセス権は別です」
ミオが淡々と言い切る。
この子は本当に、情報管理に関しては一切の妥協がない。
前世のセキュリティエンジニアもびっくりだ。
◇
「次。エララさん、報告をお願いします」
エララが鞄から、古びた巻物を取り出した。
羊皮紙には、細かな文字と魔法陣の断片が描かれている。
「実家の書庫から見つけたの。ヴァロス家が代々管理してきた古文書の一部よ。……古代の魔力循環理論なんだけど、泉の修復に使えるかもしれない」
僕は巻物を受け取り、中身に目を走らせた。
古い。
千年近い昔の文書だ。
だが、そこに書かれた理論の断片は——
「……マナフィールド共鳴理論の原型か。これは貴重だ」
「でしょ? お礼は高くつくわよ」
「いくらだ」
「今度の魔法実技、教えなさい。Sクラスの演習が難しくて困ってるの」
「安いな。了解だ」
エララが照れたように咳払いする。
彼女も彼女なりに、できることを探してくれている。
家名を使った支援ではなく、自分の手で見つけた情報を持ってくる。
その姿勢が、僕には何より心強かった。
◇
「じゃあ最後。リナさん、何かありますか?」
ミオに振られて、リナがびくっと身を竦めた。
「え、えっと……私、難しいことはよく分からないんだけど……」
リナが指で机の模様をなぞりながら、言葉を探している。
「みんなが何を調べてるのか、全部は理解できてないの。でも、すごく大事なことをやってるのは分かる。……レインが夜遅くまで起きてるのも、ミオちゃんが手帳を手放さないのも、エララさんが実家の書庫に通ってるのも」
三人が黙ってリナを見た。
「だから……私にできることがあったら言って。何でもする。お弁当作るとか、見張りとか、魔力供給とか。……何でも」
僕は口を開きかけた。
『いてくれるだけでいい』——そう言おうとした。
だが、言葉を飲み込んだ。
それは優しいようで、残酷な言葉だ。
「何もしなくていい」と言われることが、いかに人を無力にするか。
前世で、上司に「お前はそこに座ってるだけでいい」と言われた時の屈辱を、僕は覚えている。
「……じゃあ、一つ頼んでいいか」
「うん!」
「毎朝、おにぎりを一個作ってきてくれ。僕は朝飯を抜く癖があるからな」
リナの顔がぱっと明るくなった。
「任せて! レインの好きな具は梅干しとおかかでしょ! 交互に作るからね!」
「覚えてんのかよ」
「当たり前じゃん。幼馴染を舐めないでよ」
ミオが手帳に「依頼事項:レインへの朝食支援。担当:リナ」と書き込んでいる。
律儀な記録者だ。
◇
会議が終わった後、四人で遅い昼食を取った。
禁書庫の隠し部屋に、食堂から持ってきたパンとスープを広げる。
資料の上にパン屑が落ちるたびにミオが眉を吊り上げ、エララが「庶民の食事って案外美味しいのね」と上から目線で感心し、リナが全員の分のスープをおかわりしに走った。
リナが席を立った瞬間、僕は気づいた。
彼女のスープが、ほとんど減っていない。
「……リナ、食べてないのか?」
戻ってきたリナに聞くと、彼女は首を傾げた。
「食べてるよ? ……でもね、最近ちょっと味が薄く感じるの。塩味とか、甘味とか。前はもっとはっきり分かったんだけど」
何でもない口調だった。
だが、僕の背筋に冷たいものが走る。
感覚の鈍麻。
覚醒に伴う副作用として、最も初期に現れる症状の一つだ。
彼女の身体が、「食事」という非効率なエネルギー補給を必要としなくなり始めている。
「風邪の前兆かもな。ちゃんと食べろよ」
「はーい」
リナは素直に頷いて、スープを飲み干した。
……美味しそうには、見えなかった。
◇
何でもない光景だ。
だけど、こういう時間が一番大切だと、前世の僕は知らなかった。
仕事が全てだと思っていた。
チームは歯車で、感情は非効率で、人間関係はコストだと。
今は分かる。
この四人の時間こそが、僕の戦う理由だ。
やがて、午後の日差しが窓から差し込み、部屋が温かくなった。
いつの間にか、全員が眠りに落ちていた。
リナは僕の肩にもたれかかり、寝息を立てている。
エララは本を枕にして、器用に丸まっていた。
ミオは最後まで手帳を握っていたが、ペンを持ったまま沈没していた。
僕も意識が遠のいていく。
……最後に目に入ったのは、ミオの手帳の最新ページだった。
彼女の几帳面な文字で、こう書かれている。
『本日の会議出席者:四名。全員笑顔。議題は解決していないが、士気は高い。記録者所感——これは記録する価値のある日だった。』
目を閉じた。
この瞬間を、もう少しだけ延長したかった。
【今節の専門用語解説】
・スタンドアップ・ミーティング(Stand-up Meeting)
毎朝、立ったまま短時間で行う進捗報告会議。各メンバーが「昨日やったこと」「今日やること」「困っていること」を手短に共有する。アジャイル開発で広く使われる手法。四人は座っていたが、精神はスタンドアップだった。
・ドキュメンテーション(Documentation)
知識や手順を文書として記録・整理すること。ミオの手帳は、この世界で最も正確なドキュメンテーションである。優れたドキュメントは、書いた本人がいなくなった後も価値を持ち続ける。
・情報アクセス権(Access Permission)
誰がどの情報を閲覧・編集できるかを管理する仕組み。「仲間だから全部見せろ」は、セキュリティ的には最悪の考え方。ミオは正しい。




