第28話:夏のオーバーヒート
【223:18:09:51】
真夏の熱が、学園を焼いていた。
夏期集中演習。
学園では毎年、夏休みの終盤二週間に実戦形式の合同演習を行う。
今年は校外の森林地帯での討伐演習だ。
全クラス混合の小隊が編成され、魔獣の掃討と結界の維持を実地で学ぶ。
「……暑い」
森の中は湿気でむせ返るような空気だった。
鎧を着た上級クラスの連中は涼しい顔をしている。
身体強化で体温調節をしているのだろう。
Fクラスの僕は、そんな無駄遣いはしない。
暑さくらい、根性で耐える。
「はい、レイン。水」
リナが水筒を差し出してくれた。
彼女は暑さに強いのか、汗一つかかずに涼やかだ。
……いや、違う。
それは彼女の中で増大し続ける魔力が、無意識に体温を最適化しているからだ。
聖女としての覚醒が進むほど、身体機能は「人間」から逸脱していく。
彼女のステータスが視界の端に浮かぶ。
覚醒は半分に迫っている。
二ヶ月前は、まだ余裕があった。
今は、彼女が水筒を差し出す手の温度すら、微かに高い。
人間の体温じゃない。
「ありがとう。……お前、暑くないのか?」
「うーん、なんかね、最近平気なんだよね。不思議」
不思議じゃない。
だが、言えない。
◇
演習二日目。
僕の小隊は、森の奥の「魔力汚染区域」の調査を命じられた。
メンバーは僕、リナ、ミオ、エララ、そして上級クラスから数名。
教官はゼノ大導師だ。
「いいか、諸君。本来この区域は立入禁止だ。だが、今年は異常な魔力の揺らぎが観測されている。……我が目で確かめる必要がある」
ゼノの白髪が風に揺れる。
老齢の彼が直々に教官を務めるのは珍しいらしい。
周囲の上級生がひそひそと囁いている。
「変だよね。あのゼノ先生が、わざわざ現場に来るなんて」
エララが扇子で顔を仰ぎながら囁いた。
「……あの爺さんも、何か気づいてるんだろう。世界がおかしくなってることに」
僕は小さく答えた。
実際、世界のバグは確実に増えている。
二ヶ月前に王都で見た空間参照エラーは、今では地方でも報告されるようになった。
魔法省は「一時的な自然現象」と発表しているが、誰もが薄々感じている。
何かが、壊れ始めていると。
森の奥へ進むにつれ、空気が変わった。
重い。
肌に纏わりつくような圧迫感。
僕の視界には、緑のワイヤーフレームと共に、赤い警告が点滅していた。
`[Warning: Mana Density Exceeds Safe Threshold]`
`[Ambient Error Rate: 3.7% → Rising]`
「……止まれ」
ゼノが手を上げた。
その視線の先に、異常があった。
木々が——凍っている。
いや、凍っているのではない。
「時間が止まっている」のだ。
葉が落ちる途中で静止し、風に揺れるはずの枝が完全に硬直している。
円形に切り取られたかのように、直径十メートルほどの範囲だけが時間の外に置かれていた。
「局所的な処理停止だ」
僕は思わず呟いた。
サーバーの一部が過負荷でハングアップした状態。
世界のリソースが枯渇し始め、処理を放棄した領域が生まれている。
「レイン君。あれ、見てください」
ミオが凍結領域の中心を指差した。
そこには、地面から突き出るように、青白い光の柱が立っていた。
細く、儚い光。
僕の視界にテキストが浮かぶ。
`[Detected: Mana Spring Fragment (Corrupted)]`
`[Status: 0.3% Operational]`
「……泉の痕跡か」
「泉?」
エララが怪訝な顔をする。
説明する時間はない。
だが、これは重要な手がかりだ。
八百年前の大戦で破壊された十二の魔力の泉。
その一つの残骸が、ここにある。
完全に壊れてはいない。
0.3%だが、まだ機能している。
修復できるかもしれない。
もし十二の泉を全て復元できれば、聖女の生贄なしで世界の魔力循環を維持できる——
「近づくな」
ゼノが鋭い声で制止した。
「あの光に触れれば、身体ごと時間凍結される。……見るだけにしておけ」
僕は唇を噛んだ。
手が届きそうで届かない。
だが、泉の存在を確認できただけでも収穫だ。
◇
演習が終わった夜。
宿営地のテントの中で、僕はミオと密談していた。
「泉の修復、可能性はあると思うか?」
「理論的にはゼロではありません。ただし、0.3%の残存率から完全復旧させるには、天文学的な魔力と時間が必要です。一つの泉の修復に、最低でも数十年」
「十二個あるから、全部で数百年……」
「現実的ではありませんね。少なくとも、リナさんの期限には間に合いません」
分かっていた。
泉の修復は「正解」の一つかもしれないが、スケジュール的に不可能だ。
リナの命は一年を切っている。
数百年の工事は待てない。
「……でも、将来的な解決策としてはアリだ。メモしておけ」
「はい。既に記録しました」
ミオの羊皮紙には、今日の調査結果が整然と記されている。
泉の座標、残存率、周辺の魔力濃度。
彼女の「完全記憶」は、こういう時にこそ真価を発揮する。
テントの外では、星空が広がっていた。
だが、その隅に——細く黒い亀裂が走っているのが、僕には見えた。
世界のテクスチャに入った、修復不能なヒビ。
カウントダウンは止まらない。
だが、諦めるのは僕の仕事じゃない。
エンジニアの仕事は、どんなにクソなレガシーシステムでも、なんとか動かし続けることだ。
【今節の専門用語解説】
・オーバーヒート(Overheat)
CPUやサーバーが過剰な負荷で異常発熱する現象。リナの身体が常に温かいのは、増大する魔力(処理能力)が肉体の許容量を超えつつあるため。
・フリーズ(Freeze)
コンピュータが応答を停止し、一切の操作を受け付けなくなる状態。処理能力を超えた負荷がかかった場合に発生する。作中では、世界のリソース不足により管理が放棄された区域が「時間停止」という形で凍結した。
・ハングアップ(Hang-up)
プログラムやシステムが、エラーは出さないが処理を先に進められない状態で停止すること。フリーズと似ているが、内部では処理が生きている場合もある。泉の周囲の時間凍結は、世界が「処理しきれない」領域を放置した結果。
・レガシーシステム(Legacy System)
古くなり、保守が困難になったシステムのこと。八百年前に構築された盟約は、まさに究極のレガシーシステム。設計者は既にいなくなり、仕様書もなく、止めることもできない。




