第27話:夏休みの最適化(サマー・チューニング)
【260:14:33:22】
夏休みに入って三日目。
学園は静まり返り、寮に残っている生徒はまばらだった。
「今日くらいは休みなさいよ。あなた、最近顔色悪いわよ?」
禁書庫に籠もる僕の前に、エララが仁王立ちしていた。
後ろにはリナとミオが並んでいる。
リナは申し訳なさそうに、ミオは涼しい顔で。
「今日は夏祭りです。レイン君も行きましょう」
「祭り? そんな暇は——」
「却下。行くわよ。これは命令よ」
エララが扇子で僕の額をぺちんと叩く。
いつから僕はこのお嬢様の部下になったんだ。
「レインも来てよ! せっかくの夏休みなのに、ずっと本ばっかり読んでたらもったいないよ!」
リナが僕の袖をグイッと引っ張る。
その顔は、夏の日差しよりも眩しい。
「……分かったよ。ちょっとだけな」
「やった!」
リナが飛び上がって喜ぶ。
ミオは僕の耳元で囁いた。
「『適度な休息』も管理者の義務ですよ。……魔力枯渇で倒れたら、誰がリナさんの保護術式を維持するんですか」
返す言葉もなかった。
◇
王都の夏祭り。
旧市街のメインストリートには色とりどりの屋台が並び、人々の熱気で溢れ返っていた。
提灯の明かりが、夕暮れの街を琥珀色に染めている。
「わぁぁっ! すごい、すごいよレイン! 見て、あのお面! あっちにリンゴ飴もある!」
リナが人混みの中を泳ぐように走り回る。
その背中を追いかけながら、僕は呆れ半分、安堵半分だった。
「はしゃぎすぎよ、リナさん。公爵家の令嬢がお祭りで走り回るなんて、使用人に見られたら大騒ぎだわ」
エララが扇子で口元を隠しながら言う。
だが、その目は屋台の焼き鳥に釘付けだった。
「……食べたいなら食べればいいだろ」
「べ、別に食べたいなんて言ってないわ! ……でも、せっかくだし、社会勉強として味見くらいは」
「素直じゃないな」
「うるさいわね!」
僕が焼き鳥を二本買ってやると、エララは顔を赤くしながらも小さく「ありがと」と呟いた。
公爵家の令嬢が、割り箸で焼き鳥を頬張る姿は、なかなかシュールだった。
「レイン君、こちらを」
ミオが小さな手帳を広げて見せた。
彼女は祭りの屋台の配置図を記録していた。
完璧な縮尺で。
「……お前、祭りを楽しむ気あるのか」
「楽しんでいますよ。私の楽しみ方が記録なだけです」
それもそうか。
◇
金魚すくいの屋台。
リナが三枚目のポイを握りしめ、水面を睨んでいた。
「……よし。今度こそ」
彼女の目が真剣だ。
戦場に立つ騎士のような集中力。
ポイが水面に触れた瞬間、リナの手が閃いた。
「取った! あっ、破けた? いや、取れてる! ……取れてるよ!」
小さな金魚が一匹、ビニール袋の中で泳いでいる。
リナの歓声が夜空に響いた。
周囲の客までもらい笑いしている。
「名前つけなきゃ! レイン、何がいいと思う?」
「……金魚に名前つけるのか」
「当たり前でしょ。家族なんだから!」
金魚すくいに全力を注ぐ幼馴染。
こういう時の彼女は、本当に「ただの女の子」だ。
聖女でも、生贄でも、システムの消耗品でもない。
ただの、金魚に夢中な十五歳の少女。
……守りたいのは、この瞬間だ。
ふと、彼女の手に目が留まる。
金魚の入った袋を持つ指先が、水に濡れているはずなのに、妙に乾いている。
汗もかいていない。
真夏の人混みの中で、リナだけが涼しげだった。
それは、快適ではなく、異常だ。
彼女の身体が、少しずつ「最適化」されている証拠。
人間という非効率な器から、聖女という完璧なデバイスへ。
(……今日は見ない)
僕は意識的に『低レイヤー・ビジョン』の出力を絞った。
今日くらいは、ただの幼馴染でいさせてくれ。
数字じゃなく、笑顔を見ていたい。
「金ちゃんにする!」
「安直すぎるだろ」
「じゃあレイン二号!」
「なんで僕なんだよ」
リナがゲラゲラ笑う。
エララが「品がないわ」と口では言いつつ笑っている。
ミオが手帳に「金魚の命名論争:未決着」と書き込んでいる。
平和だ。
何でもない、ただの夏の一夜。
◇
「……綺麗」
花火が始まった。
王都の東の空に、大輪の光が次々と開いていく。
四人で河川敷の芝生に座り、空を見上げていた。
「おっきい……! いつも遠くから見てたけど、こんなに近くで見るの初めて!」
「ええ、王都の夏祭りの名物よ。宮廷魔導士が魔法で打ち上げてるから、近くで見ると迫力が違うわね」
エララが解説するが、リナはもう聞いていない。
口を半開きにして、ただ光を追っている。
ミオはいつの間にか花火のスケッチを始めていた。
彼女の手帳には、光の軌跡が正確に描かれている。
僕は三人の横顔を眺めた。
花火の光に照らされた、それぞれの表情。
ふと、リナの瞳に花火の光が映った時、虹彩の奥で微かな金色が瞬いた。
一瞬だけ。
誰にも気づかれないほど短く。
リナ自身も気づいていない。
彼女は夜空に手を伸ばし、「触れそう」と呟いただけだ。
僕だけが見ている。
彼女の中で、何かが静かに書き換わり続けていることを。
「ねえ、レイン」
「ん?」
「こういう日が、ずっと続くといいね」
リナが空を見上げたまま言う。
花火の残光が、彼女の頬を淡く照らしている。
「ああ。……続くさ」
僕は答えた。
それは願望であり、宣言だった。
この先、どれだけ厳しい戦いが待っていても、僕が守るのはこの時間だ。
花火の音が遠ざかっていく。
金魚の袋を大事そうに抱えたリナの隣を歩きながら、僕は肩の力を抜いた。
今日だけは、エンジニアじゃなくていい。
ただの、夏祭りを楽しんだ男の子でいさせてくれ。
……明日からは、また戦う。
【今節の専門用語解説】
・チューニング(Tuning)
システムの性能を最適な状態に調整すること。エンジンの調律にも使われる言葉。レインにとってこの夏祭りは、自分自身の精神状態をチューニング(調律)するための時間だった。
・休息
システムを熱暴走から守るための冷却期間。前世のレインは「休む暇があるなら一行でもコードを書け」というブラック環境にいたため、ミオに強制的に休ませられるまで自制が利かなかった。
・ポイ
金魚すくいに使う紙製の道具。薄い和紙を枠に貼ったもので、水に長く浸けると破れる。技術的に言えば「耐久度」が極めて低い使い捨てインターフェース。




