第24話:強制イベントの予兆
隠蔽工作から一ヶ月。
世界のバグは、静かに、しかし確実に日常を侵食し始めていた。
王都のメインストリート。
レンガ造りの建物が並び、多くの人々が行き交うこの場所は、今や「バグの展示場」と化していた。
「……ひどいな」
下校途中、僕は思わず眉をひそめた。
街路樹の枝が、物理法則を無視して空中に浮いている。
噴水の水が、重力に逆らって上へと登り、空中で霧散している。
歩いている商人の一人が、同じ場所を何度も行ったり来たりする「無限ループ(スタック)」に陥っている。
「きゃっ!? な、なにこれ……!」
隣を歩いていたリナが短く悲鳴を上げ、僕の腕にしがみついた。
彼女の視線の先では、建物の壁が赤と青の極彩色に激しく点滅していた。
テクスチャ(表面画像)の読み込みエラーだ。
「大丈夫だ、リナ。近づかなければ害はない」
「で、でも……最近こういうの増えてるよ? やっぱり、世界がおかしくなってるのかな?」
「……ただの魔力溜まりだよ。すぐに魔法省が直しに来る」
僕は嘘をついた。
直しに来るわけがない。
魔法省の連中は、これらを「一時的な魔力異常」として処理し、根本原因(メモリ不足)には蓋をしているだけだ。
腐ったシステムの上で、騙し騙し日常を回している。
「キャアァァァッ!!」
その時、通りの向こうで爆発音と悲鳴が響き渡った。
ただの表示バグじゃない。
「実害」が出るタイプのエラーだ。
「行こう、レイン!」
「待て、リナ!」
正義感の強い彼女は、僕の静止も聞かずに駆け出した。
やれやれ。
こうなるとテコでも動かないのが彼女だ。
僕はため息をつき、後を追った。
現場は市場だった。
惨状だ。
屋台がなぎ倒され、果物が散乱している。
そしてその中心には、空間そのものが「裂けた」ような黒い穴――『空間参照エラー(Null_Void)』が発生していた。
周囲の物体を無差別に吸い込み、消滅させている。
ただのブラックホールではない。
データそのものを消去する、絶対的な「無」だ。
「鎮まれっ! 神の御名の元に命じる! 《ホーリー・ライト》!」
そこへ、白銀の鎧をまとった一団が現れた。
教会騎士団だ。
彼らは整列し、一斉に聖なる光を放つ。
神聖魔法による浄化。
魔物相手なら有効だろう。
だが、相手はバグだ。
「馬鹿な……魔力が溢れてる場所に、さらに重い術を重ねてどうする!」
僕の叫びは届かなかった。
聖なる光が黒い穴に着弾した瞬間、パチパチッ! という不快なノイズが走る。
処理落ち(ラグ)が発生。
空間の歪みは収まるどころか、光の魔力を吸収してさらに肥大化した。
「なっ!? 神聖魔法が効かないだと!?」
「き、効いていないのではない! 信心が足りないのだ!」
「もっと強く祈れ! 神よ、我らを救いたまえ!」
騎士たちが絶叫しながら、さらに光を注ぎ込む。
地獄絵図だ。
システム障害に対して「お祈り」で対処しようとする素人集団のような惨状に、僕は頭を抱えた。
彼らは本気で「祈れば直る」と信じているのだ。
その盲目的な信仰こそが、この世界を腐らせている最大のバグだというのに。
「ああっ! 子供が!」
リナが叫ぶ。
逃げ遅れた子供が、膨れ上がった黒い穴に吸い込まれそうになっていた。
「くそっ、間に合わないか……!」
僕がコードを展開しようとしたその時。
リナが飛び出した。
「ダメ……消えちゃダメェェッ!!」
彼女は恐れることなく、黒い穴へと手を伸ばす。
その全身から、黄金色の光が溢れ出した。
それは教会騎士団の放つ「攻撃的な光」とは違う。
もっと根本的で、静謐な、システムの根源に関わる光。
「《リペア(修復)》……!!」
彼女が叫んだ瞬間。
世界が、巻き戻った。
吸い込まれそうになっていた子供が、ふわりと地面に着地する。
散乱していた果物が、屋台の上に戻る。
そして、あれほど猛威を振るっていた黒い穴が、最初から存在しなかったかのように綺麗に消滅した。
「な……?」
騎士たちが口を開けて固まっている。
僕も、思わず息を呑んだ。
治癒魔法? いや違う。
あれは「ロールバック」だ。
破損したデータを、破損する前のバックアップデータで上書きし、正常な状態に戻す。
文字通りの「神の御業」。
管理者権限(Admin)を持たないユーザーには、決して実行できないコマンドだ。
(……リナ。お前、そこまで覚醒していたのか)
リナ自身は「あれ? 私、なんで今の直せたんだろ?」と自分の手を見つめて首を傾げている。
無自覚な管理者。
それがどれほど危険なことか。
「そこの少女! 貴様、何をした!」
ハッとして見ると、騎士団の隊長おぼしき男が、リナに詰め寄っていた。
顔色が悪い。
自分たちの魔法が効かなかったのに、ポッと出の少女が一瞬で解決した。
プライドが傷ついたのだろう。
そして何より、「異質」なものを排除しようとする教会の防衛本能が働いている。
「あ、えっと……怪我を治そうと思って……」
「治癒魔法だと? あの状況でか? ありえん! 貴様、さては異端の術者か!」
「ち、違います! 私は……!」
隊長がリナの腕を掴む。
まずい。
「離せ」
僕は飛び出し、隊長の手首を掴んだ。
身体強化魔法をフル稼働させる。
「なんだ貴様は。学生風情が、騎士団に盾突くつもりか」
「彼女は僕の連れです。人助けをしただけの彼女を罪人扱いするとは、教会の教えはずいぶんと高尚なんですね」
「貴様……ッ!」
隊長が剣に手をかける。
周囲の騎士たちも殺気立つ。
Fクラスの学生ごときが、権威ある騎士団に逆らう。
この世界では死罪に値する行為だ。
だが、引くわけにはいかない。
「あらあら、随分と騒がしいわね」
その時、凛とした声が響いた。
人垣が割れ、豪奢な縦ロールの少女が現れる。
エララ・フォン・ヴァロスだ。
「エララさん!?」
「たまたま通りかかったのよ。……それにしても、見苦しいわね、騎士団の方々」
エララは扇子を広げ、隊長を見下ろした。
身長差はあるはずなのに、その威圧感は隊長を圧倒していた。
公爵家のオーラ。
この国において、王家に次ぐ権力を持つ名家の紋章が、彼女の胸元で輝いている。
「こ、これはヴァロス公爵令嬢……!」
「私の友人が、何か不始末でも?」
友人が。
その言葉に、隊長がたじろいだ。
公爵家に喧嘩を売れば、明日には自分の首が飛ぶ。
権力という名のファイアウォールは、想像以上に強力らしい。
「い、いえ……ただの職務質問であります。……撤収!」
隊長は悔しげにリナと僕を睨みつけると、慌ただしく部下を引き連れて去っていった。
典型的な「強いものには巻かれる」タイプだ。
「……ふぅ。助かったよ、エララ」
「べ、別にあなたのためじゃないわ! リナさんが困ってたからよ!」
エララがツンと顔を背ける。
だが、その目線はチラチラと僕の方を気にしていて、耳が少し赤い。
分かりやすいツンデレだ。
「あ、ありがとうエララさん! すごいね、一言で追い払っちゃった!」
「当り前よ。あんな下級騎士、私の家の庭師より地位が低いわ」
そう言いながらも、エララはリナの手を取り、心配そうに覗き込んだ。
「でも気をつけて。教会は執念深いの。特に今の……あなたの力。あれは少し、異常だったわ」
「……うん」
リナも表情を曇らせる。
エララですら気づく異常性。
あの騎士団も、今は退いたが、必ず上に報告するだろう。
「規格外の治癒魔法を使う少女がいる」と。
(……猶予がなくなったな)
僕は空を見上げた。
赤いカウントダウンと共に、見えない包囲網が狭まってくるのを感じる。
隠蔽パッチはもう限界だ。
リナの力は、システムが無視できないレベルまで肥大化している。
次の手を打たなければ。
それも、劇薬を。
僕はエララを見た。
彼女の実家、ヴァロス公爵家。
そこに眠る「古代の遺産」へのアクセス――それこそが、逆転への唯一の糸口だ。
「ねえ、エララ」
「な、なによ。改まって」
「今度、君の家に遊びに行ってもいいか? ……いや、行かせてくれ。頼みがあるんだ」
僕の言葉に、エララは真っ赤になって絶句した。
「は、はぁぁぁ!? い、家に!? そ、それって……ごごごご両親への挨拶とか、そういう……!?」
「いや、ちょっと古い魔導具を見たくてさ」
「……なんだ、魔導具か」
あからさまにガッカリされた。
なぜだ。
まあいい。
許可は取れそうだ。
僕は拳を握りしめる。
リナを守るための、次なるデバッグ作業。
その舞台は、公爵家の屋敷だ。
【今節の専門用語解説】
・無限ループ(Infinite Loop)
プログラムが終了条件を満たせず、同じ処理を永遠に繰り返してしまうバグ。作中の商人は、家の壁にぶつかっては戻るという動作を繰り返していた。NPC(Non Player Character)の挙動バグとしてよくある現象。
・ロールバック(Rollback)
データベースなどでエラーが起きた際、処理を取り消して、問題が起きる前の状態まで時間を巻き戻すこと。リナの魔法は「治す」のではなく「無かったことにする」という、システム管理者権限のコマンドに等しい。
・現場猫(Genbaneko) → 本文では「インシデント・メーカー」等のルビに変更
ネットスラング。安全確認などの基本を怠り、トラブル(労働災害)を引き起こすキャラクター。レインの目には、理屈も分からず「お祈り」で対処しようとする騎士団が、指差呼称しながらサーバーを破壊する猫に見えた。
・インシデント(Incident)
システム運用における事故や障害のこと。騎士団はバグというインシデントに対し、誤った対応で被害を拡大させた。




