第19話:理(ことわり)の浸食(nullの恐怖)
「……なによ、これ」
最深部(ボス部屋)。
辿り着いた僕たちの目の前には、異様な光景が広がっていた。
空間が歪んでいる。
壁や床のテクスチャが剥がれ落ち、その向こう側に「何もない空間(虚空)」が覗いている。
そして中央に鎮座していたのは、本来のボスである「アーク・デーモン」……の成れ果てだった。
上半身はある。
だが、下半身がない。
代わりに、幾何学的なノイズのような模様が、足元の空間を侵食していた。
顔も半分が欠損しており、そこから赤黒いエラーログのような霧が噴き出している。
「グルルゥ……ガガガッ……Re...quest...Ti...meout...」
獣の唸り声に混じって、機械的な音声ノイズが聞こえる。
生き物としての輪郭が保てていない。
存在そのものがバグり始めている。
「鑑定不能……! まるで、世界から拒絶されているみたい……」
リナが青ざめた顔で呟く。
エララも、流石に軽口を叩ける状況ではないと悟ったようだ。
杖を構える手が震えている。
「これ、本当に初級ダンジョンのボスなの? 魔力反応がおかしいわよ! 桁が……エラー表示になってる!」
「……逃げましょう、レイン君」
ミオが僕の服の裾を引っ張る。
彼女の直感は正しい。
あれは、触れてはいけないものだ。
世界のバグの集積体。
本来なら運営(神)によって削除されるはずのデータが、何らかの理由で残留し、他のデータを巻き込んで肥大化した姿。
ズン……。
ボスが動いた。
足がないのに、空間を滑るように移動してくる。
その軌跡にある地面が、次々と「消失」していく。
触れたら消える。
防御力無視の即死攻撃だ。
「くっ! 迎撃するわよ! 《フレイム・ランス》!」
エララが炎の槍を放つ。
狙いは正確。心臓とおぼしき部分に直撃した。
――すり抜けた。
「は……?」
炎の槍は、ボスの体を素通りし、背後の壁に着弾した。
ダメージが入っていない。
いや、「当たっていない」。
「当たり判定がズレてる!」
僕が叫ぶのと同時、ボスの腕が振るわれた。
エララがいる場所からは、数メートル離れた空間をなぎ払うような軌道。
だが。
ドゴォン!!
「きゃあぁっ!?」
何もない空間を殴ったはずなのに、エララが吹き飛ばされた。
見えない衝撃波?
いや違う。
「攻撃判定」の位置座標が狂っているのだ。
見た目と、実体が一致していない。
「エララさん!」
リナが駆け寄り、回復魔法をかける。
幸い、防御結界のおかげで直撃は免れたようだが、ローブが裂け、血が滲んでいる。
「訳が分からないわ……! 当たらないのに、攻撃してくるなんて!」
「視覚情報に頼るな! 君たちの目は騙されている!」
僕は前に出た。
『低レイヤー・ビジョン』を全開にする。
このボスの正体を暴く。
赤いワイヤーフレーム。
ボスの「実体」は、見た目より右に3メートル、手前に2メートルずれている。
しかも、その表面は「無敵判定(Invincible)」のフラグで守られている。
外部からの魔力干渉を一切受け付けない、完全耐性。
(……チートかよ)
開発者がデバッグ用に設定した無敵モードのまま、放置された残骸か?
あるいは、バグで偶然そのフラグが立ってしまったのか。
どちらにせよ、まともな手段では倒せない。
「レイン、どうするの!? 魔法が効かないわ!」
「物理もダメです! 本を投げてもすり抜けました!」
ミオがいつの間にか本を攻撃手段にしていたことに驚きつつ、僕は頭を回転させた。
無敵で、不可視で、即死攻撃持ち。
クソゲーもいいところだ。
倒すには、フラグを折るしかない。
だが、ボスの周囲には高密度のエラーデータが渦巻いており、外部からの術式介入を弾いている。
直接触れて、コードを注入する(インジェクション)必要がある。
一瞬でも触れれば、即死級のダメージを受けるかもしれないのに。
(……リスクを取るしかないか)
「リナ、エララ! 陽動を頼む!」
「えっ!?」
「あいつの攻撃判定は、見た目より『右・手前』だ! そこを狙って攻撃し続けてくれ! 当たらなくてもいい、気を引いてくれるだけでいい!」
「む、無茶言わないでよ!」
「やるしかないのよ、エララさん! レインを信じて!」
リナが叫び、光の矢を放つ。
指定された「何もない空間」に向かって。
エララも歯を食いしばり、炎を連射する。
「こっちよ、化け物!」
ボスの注意が二人に逸れた。
その隙に、僕は疾走した。
ボスの左側(死角)へと回り込む。
ズガガガガッ!
空間が削り取られる音がする。
かすめただけで、制服の袖が消滅した。
皮膚がピリピリと焼けるような感覚。
「存在」が削られる痛み。
あと、五メートル。
三メートル。
一メートル。
「……捕まえた(Catch)」
僕はボスの――何もない空間にある「コア」の部分に、右手を突き刺した。
肉を突く感触はない。
冷たい泥水の中に手を突っ込んだような、不快な感覚。
脳内にノイズが走る。
【Warning: System Corruption Detected.】
【Logic Error. Integrity Check Failed.】
思考が焼き切れそうだ。
だが、僕は意識を保ち、その「核」を握りしめた。
「検索(Search)……対象プロパティ……『IsInvincible』……発見(Found)」
書き換える。
`true` を `false` に。
ついでに、HPの最大値を `1` に設定変更。
防御力(DEF)を `-999` に。
(……受け取れ、これがお前の『パッチ』だ!)
《Update: Apply Changes》
バチィッ!!
青白い火花が散り、僕は弾き飛ばされた。
地面に転がり、受け身を取る。
右手が痺れて動かない。
だが、修正は完了した。
「……今だ! 全員で叩けぇッ!」
僕の号令に、三人が反応した。
「いっけぇぇぇ!」
エララ最大火力の炎。
リナの聖なる光。
ミオが投げた分厚い百科事典(物理)。
それらが全て、ボスの「実体」に吸い込まれていく。
今度はすり抜けない。
無敵フラグは消えた。
防御力はマイナスだ。
ギィャァァァァァァァァァァ!!!!!!
断末魔。
まるで黒板を爪で引っ掻いたような、不快な音が響き渡る。
ボスの体が内側から崩壊を始めた。
ノイズが晴れ、本来のグラフィックが乱れながら消滅していく。
`Error: Object Destroyed.`
「……やった……?」
エララがへたり込む。
空間の歪みが収まり、ボスのいた場所には静寂だけが残っていた。
そして、その足元に転がっていたのは――
七色に輝く、奇妙な石だった。
魔石ではない。
もっと禍々しく、それでいて美しい、データの結晶。
「……なにこれ? 綺麗……」
リナが手を伸ばそうとする。
「触るな!」
僕の叫び声に、リナがビクッと手を引っ込めた。
僕は痛む体を引きずって、その石に近づいた。
間違いない。
これは「グリッチ・ストーン」。
バグの固まり。
世界のエラーログが圧縮された、危険物だ。
こんなものが、なぜ初級ダンジョンに?
「……回収する。これは、学園に持ち帰って解析する必要がある」
僕はハンカチで包んで、慎重にポケットに入れた。
ミオが不安そうな顔で僕を見ている。
彼女には分かっているのだ。
これが、ただのモンスターのドロップアイテムではないことが。
「……レイン君。この世界、なんだかおかしくないですか?」
ミオの問いかけに、僕は答えられなかった。
おかしいどころの話じゃない。
この世界は、もう限界を迎えているのかもしれない。
僕たちは無言でダンジョンを後にした。
初級ダンジョンの入り口には、夕日が赤々と差し込んでいた。
その赤色が、まるでシステム終了を告げる警告灯のように見えて、僕は思わず身震いした。
【今節の専門用語解説】
・テクスチャ(Texture)
3Dモデルの表面に貼り付けられる絵柄・模様のこと。これが剥がれると、中身のポリゴンや、背景の何もない空間が見えてしまう。
・当たり判定(Hitbox / Collider)
ゲーム内で、攻撃が当たったかどうかを判定するための見えない箱。見た目のグラフィックとズレていると、攻撃がすり抜けたり、何もない場所から攻撃を受けたりする。
・無敵(Invincible)
ダメージを受けない状態。通常は演出中などに一時的に設定されるが、バグでこの状態が解除されないと、倒せない敵になってしまう。
・パッチ(Patch)
プログラムの不具合を修正するための追加データ。つぎあて。レインは直接触れることで、ボスに修正パッチを強制適用した。




