第16話:ダブル・バインド(板挟み)
「――見つけたわよ、名無しのレビュアーさん」
放課後のFクラス教室。
ガララッ! と勢いよく扉が開かれたかと思うと、教室中の視線を一身に集める人物が現れた。
真紅の髪、深紅の制服。
Sクラスの筆頭にして公爵令嬢、エララ・フォン・ヴァロスだ。
教室がどよめく。
「おい、なんでSクラスがここに?」「エララ様だ……」「例の『リナ様の彼氏』に用があるみたいだぞ?」
Fクラスの教室は、普段は活気とは無縁の場所だ。
落ちこぼれが集められたこのクラスは、どこか諦めの空気が漂っている。
だが今は、台風の目が飛び込んできたことで、パニック状態になっていた。
僕は机に突っ伏して寝たふりを決め込んだが、無駄だった。
カツカツとヒールの音が近づいてきて、僕の机の前で止まる。
香水の匂い。柑橘系の、生意気そうな香りだ。
「起きなさい。寝たふりは通じないわよ」
「……睡眠学習中なんですが」
「嘘をおっしゃい。今の授業、ずっと窓の外を見てたじゃない」
バレていた。
僕は観念して顔を上げた。
目の前には、腕組みをして仁王立ちするエララの姿。
逆光で表情が見えにくいが、怒っていることだけは分かる。
「何の用ですか、エララ様。Fクラスの教室は埃っぽいでしょう?」
「嫌味な口ね。……単刀直入に言うわ。私と決闘しなさい」
教室の空気が凍りついた。
決闘。
それは学園内で認められた、魔法使い同士の公式な争い解決手段だ。
だが、SクラスがFクラスに申し込むなんて、いじめ以外の何物でもない。
力の差は歴然としている。
「お断りします。いじめられっ子の役は趣味じゃないんで」
「いじめじゃないわ。これは『証明』よ」
エララは柳眉を釣り上げた。
「あなたが本当に、あの『名無し』なのか。そして、リナ・メモリの『彼氏』に相応しい実力を持っているのか。それを証明してもらうわ」
「……はい?」
彼氏?
周囲がさらにざわめく。
「おい聞いたか」「やっぱりリナ様の彼氏ってマジだったのか」「校門でもイチャついてたらしいぜ」
(……誤解だ。僕らはただの幼馴染だ。リナの距離感がバグってるだけで、付き合ってるわけじゃないんだが)
訂正する隙もない。
エララが畳み掛けてくる。
「リナは私のライバルよ。その彼女が選んだ相手が、ただの『口だけ男』じゃ納得できないの。……十年間、私の論文を添削してたのが、ただの知識自慢の無能だったら承知しないから」
なるほど。
彼女のプライドが許さないわけだ。
自分の魔法理論を論破してきた相手が、実技Fランクの落ちこぼれだなんて事実は。
彼女にとって、リナは唯一の好敵手であり、そのリナが選んだ(と思っている)僕もまた、強者でなければならないという理屈か。
面倒くさいお嬢様だ。
「……面倒くさいなぁ」
「逃げるなら、明日の朝刊に『レイン・リファクトは私の論文を盗用した詐欺師』って載せるわよ」
「うわ、貴族権力だ」
逃げ道は塞がれたらしい。
僕はため息をつきつつ、ちらりと教室の入り口を見た。
そこには、腕組みをしてこちらを監視している銀髪の少年――生徒会長ヴァイスの姿があった。
彼は何も言わない。
ただ冷ややかな目で、「どう切り抜けるのか見せてもらおうか」と語りかけている。
おそらく、エララをけしかけたのは彼じゃないにしても、この状況を利用して僕の底を見ようとしているのは明らかだ。
(……やれやれ。これぞ完全に『板挟み(ダブル・バインド)』だ)
断れば社会的死。
受ければ、ヴァイスの前で「正体不明の力」を晒すことになる。
派手に勝てば目をつけられ、負ければエララに殺される。
八方塞がりだ。
(……難易度調整ミスってないか? このシナリオ)
だが、エンジニアとして「解決不能なバグ」はないと信じたい。
要件を整理しよう。
勝利条件は「エララに勝つこと」。
制約条件は「ヴァイスに正体(システム介入)を悟られないこと」。
そして追加要件として「Fクラスらしく振る舞うこと」。
……無理ゲーだ。
だが、抜け道(Glitch)はあるはずだ。
僕はゆっくりと立ち上がった。
「分かりました。受けますよ」
「ふふ、そうこなくちゃ」
エララが勝気な笑みを浮かべる。
ヴァイスが無表情のまま、少しだけ目を細めたのが見えた。
***
放課後の第3闘技場。
噂を聞きつけた生徒たちで、観客席は満員になっていた。
「Sクラス対Fクラスの公開処刑」なんて、最高の娯楽だ。
リナも心配そうに最前列にいる。
「レイン、大丈夫なの……?」
「まあ、適当にやるよ」
僕はリナに手を振り、対戦位置についた。
向かい側には、真紅の杖を構えたエララ。
やる気満々だ。
「ルールはシンプルに。先に膝をついた方の負け、でいいわね?」
「異存はありません。……あ、手加減とか期待していいんですか?」
「するわけないでしょ。全力で焼き尽くしてあげるわ!」
審判の「始め!」の声と同時。
エララが即座に詠唱を開始した。
「――我、炎の精霊王に乞う! 汝、破壊の化身となりて……」
またあの長い詠唱だ。
だが、昨日の試験とは魔力の練り上げ速度が違う。
本気だ。
彼女の周囲に、真っ赤な熱風が渦巻く。
熱気がフィールドを支配し、観客席まで届く。
(……火力馬鹿だな、相変わらず)
僕は呆れつつ、自分の杖(棒)を構えた。
迎え撃つヴァイスの視線を感じる。
「管理者権限(Sudo)」や「システムへの直接介入」を使えば、一瞬で終わる。
`target.setHP(0);` と書けば終わりだ。
だがそれは、監視されている状況ではリスキーすぎる。
あくまで「魔法技術の応用」範囲内で、かつ「Fクラスらしく」勝つ必要がある。
(……そんな無茶な要件定義があるかよ)
まあ、やるしかない。
エララの魔法が完成する。
彼女の頭上に、太陽のような巨大な火球が出現した。
「《プロミネンス・バースト》!!」
昨日、巨大な岩を消し飛ばしたあの超巨大火球だ。
それが一直線に僕に向かってくる。
熱量だけで肌が焦げそうだ。
観客から悲鳴が上がる。
「死んだな」「あんなの防げないだろ」
僕は動かない。
ただ、迫り来る火球の「構造」を解析する。
『低レイヤー・ビジョン』を展開。
火球がワイヤーフレームの集合体に見える。
**Process ID:** Fireball_Lv5
**Composition:** Hydrogen 60%, Oxygen 40%
**Vector:** Straight to Me
**Stability:** Low
(……燃焼効率が悪すぎる。無駄な燃料を突っ込みすぎて、自己崩壊寸前じゃないか)
見た目は大きいが、中身はスカスカだ。
彼女は魔力を「圧縮」することを知らない。ただ膨張させているだけだ。
なら、少し手伝ってあげよう。
僕は杖を振り、火球に向かって小さな「命令」を飛ばした。
相殺でも、防御でもない。
「最適化」だ。
`Target.Optimize();`
`Target.Compress(Ratio: 0.01);`
僕の魔力が接触した瞬間。
直径二メートルはあった巨大な火球が、シュルシュルと音を立てて縮み始めた。
風が逆巻く。
「えっ!?」
エララが目を見開く。
火球は見る見るうちに小さくなり――最後には、ピンポン玉ほどの「青白い炎」になって、僕の目の前でピタリと止まった。
ボッ。
可愛らしい音を立てて、青い炎は空中に浮かんでいる。
熱くない。
完全燃焼した炎は、周囲に熱を撒き散らさないからだ。
エネルギーロスが無い証拠だ。
「な……なによこれぇぇぇ!?」
「無駄な魔力を圧縮しました。君の魔法、サイズはデカいけど中はスカスカなんだもん」
僕は杖の先で、その青い「火の玉」をつつく。
コロン、と転がる火の玉。
「魔力の9割が『熱』と『光』に逃げてたよ。燃焼の術式を洗練させて、無駄を削ぎ落としたら、本来のサイズはこれくらいです」
「う、嘘よ! 私の全力魔法が、あんな豆粒に……!?」
エララのプライド(と魔法)は粉々になった。
会場は静まり返っている。
何が起きたのか理解できているのは、おそらく二人だけ。
一人は、安心したように胸を撫で下ろしているリナ。
もう一人は――
(……やっぱり、見てるか)
観客席の隅で、ヴァイスが手帳に何かを書き込んでいるのが見えた。
表情は険しい。
「規格外の挙動(Unknown Behavior)」として記録されたに違いない。
とりあえず、「魔法そのものを消したわけではない」という言い訳は通じた……か?
かなり怪しまれてはいるだろうが。
「……あ、あの……」
エララが呆然と立ち尽くしている。
僕は肩をすくめ、小さくなった火の玉を彼女の方へ弾き返した。
「返すよ。……次はもっと効率的な構築方をするといい」
火の玉はふわりと飛び、エララの足元でパチンと弾けた。
怪我はない。ただの小さな花火だ。
だが、彼女はその場にへたり込んでしまった。
腰が抜けたらしい。
「勝者、レイン・リファクト!」
審判の声が響く。
まばらな拍手。そして、どよめき。
「なんだ今の」「魔法を消した?」「いや、小さくしたのか?」「Fクラスが勝ったぞ……」
僕は勝どきも上げず、さっさとその場を後にした。
ヴァイスの視線が背中に痛い。
(……まあ、最低限の「不可解さ」で乗り切った、としよう)
「レイン!」
観客席からリナが駆け寄ってきた。
その瞳はキラキラと輝いている。
「すごかった! あのエララさんの魔法を、あんな風にしちゃうなんて! やっぱりレインは天才ね!」
「シーッ。声が大きい」
「あ、ごめんなさい。……でも、かっこよかったわよ。私の自慢の幼馴染は、やっぱり最高ね」
リナが満面の笑みでVサインを送ってくる。
周囲の生徒たちが「おい見たか、あのイチャつきぶり」「Sクラスを倒した上に、聖女様公認とか何者だよ……」と遠巻きに噂しているのが聞こえるが、彼女は全く気にしていない様子だ。
まあ、彼女の機嫌が直ったならよかった。
これが、僕の学園での初勝利(デバッグ完了)だった。
そして同時に、エララという面倒な「ユーザー」に懐かれるきっかけでもあったのだが……それはまた別の話だ。
【今節の専門用語解説】
・ダブル・バインド(Double Bind)
「二重拘束」。どちらを選んでも悪い結果になる、板挟みの状態。「命令Aに従え、でも命令B(Aと矛盾する)にも従え」と言われて身動きが取れなくなること。レインはヴァイスとエララの間でこの状態だった。
・最適化(Optimization)
プログラムの処理速度を上げたり、メモリ消費量を減らしたりするための調整作業。レインはエララの無駄だらけの魔法を「最適化」し、必要最小限のサイズに圧縮してしまった。
・圧縮(Compression)
データのサイズを小さくすること。魔法で言えば、分散していた魔力を一点に集中させること。威力は上がるが、見た目の派手さはなくなる。




