第13話:レガシーな魔導都市(Hello, Legacy World)
「……長かったな」
ガタゴトと揺れる馬車の窓から、僕は外の景色を眺めた。
目に飛び込んできたのは、巨大な石造りの城壁と、その内側に広がる無数の尖塔だった。
王都、ログリス。
この国の中枢であり、魔法技術の最先端が集まる場所。
だが、僕の目には少し違った形で見えていた。
「どう? 十年ぶりの王都は」
隣で窓にへばりついているのは、幼馴染のリナだ。
クリっとした栗色の瞳をこちらに向けて、嬉しそうに、でも少し安堵したように微笑んでいる。
あれから十年。僕たちは十五歳になっていた。
「ああ。まさか『治療』に十年もかかるとはな」
「治療っていうか、改造でしょ? 長期休暇のたびに会うと、毎回何かしら雰囲気が変わってるんだもの」
リナがクスクスと笑う。
そう、あの日――王都に着いた直後に倒れ、聖地へ送られてから、もう十年が経っていた。
リナは一人で王都に残り、一般生徒として学園に通っていた。
会えるのは長期休暇の時だけ。それ以外は、魔法通信機を使った「リモート通話」で繋がっていた。
「本当にね。……学園のみんな、レインのこと『私の妄想が生み出した架空の彼氏』だと思ってるんだから」
「なんだその不名誉な噂は」
「だって、私が男子の誘いを断るたびに『私にはレインがいるから』って言ってるのに、誰もその姿を見たことがないんだもの。しまいには『優秀すぎるリナ様が作り出した理想の概念』扱いよ」
リナが呆れたように言う。
その仕草は五歳の頃と変わらないが、見た目は劇的に変化していた。
村一番の美少女と評判だった彼女は、今や王都でも一、二を争うほどの可憐な少女に成長していた。
制服の着こなしも洗練されており、その優秀な成績と品行方正さから、学園内では「次代の聖女候補ではないか」という噂まで囁かれているらしい。
聖女。
この国において、それは王家の加護を受け、世界を守る大結界の維持に貢献する、最高位の魔導士の称号だ。
清廉潔白で、比類なき魔力を持ち、そして――生涯を神への祈りに捧げる存在。
世間ではそう言われている。
僕の方はと言えば、学籍だけは十年前からあったものの、一度も登校していない「幽霊部員」だ。
初等部から中等部まで、リモート受講とレポート提出だけで単位をもぎ取ってきた。
「でも、先生はずっと言ってたわよ。『彼こそが真の天才だ』って。……まあ、レインは授業中に先生の術式のミスを指摘して、遠隔で勝手に書き換えたりしてたけど」
「間違い(バグ)を放置するのは罪だからね」
「そのせいで実験室が爆発したこともあったけどね……」
リナがジト目で見てくる。
まあ、多少のトラブル(デグレ)はあったかもしれないが、概ね平和な十年間だったはずだ。
その間、僕が聖地で取り組んでいたタスクは、大きく分けて二つある。
一つは、肉体改造。
聖地の特殊な環境と、騎士団の訓練メニューを組み合わせた独自のプログラム。
おかげで、今の僕は同年代の平均を遥かに上回る体力(バッテリー容量)を手に入れている。
もう一つは、コードの最適化。
聖地の禁書庫に篭り、古代の魔導書を読み漁って世界の仕様(API)を解析した。
無駄な処理を削ぎ落とし、最小限の魔力で最大限の効果を発揮する「僕専用ライブラリ」を構築した。
僕の世界認識には、常に無数の情報が流れている。
風には大気の流体力学データが、街灯には魔力供給レートが、そして人々には生体バイタルが表示されている。
これこそが、僕だけに見えているこの世界の「ソースコード」。
「……すごい」
思わず声が出る。
十年ぶりに見る王都のデータ量は、田舎のサナトリウムとは桁違いだった。
空を飛ぶ飛空船の制御コード。
地下水道を流れる浄化魔法のロジック。
街全体を覆う巨大な防御結界のアルゴリズム。
それらが全て、視界の中で光の文字となって明滅している。
まるで巨大な電脳都市だ。
だが同時に、その「中身」のお粗末さにも気づいてしまった。
(……汚い)
思わず顔をしかめる。
遠目には壮麗に見える魔法構造物も、コードレベルで見れば「継ぎ接ぎだらけ」だった。
数百年前の古い術式の上に、無理やり新しい術式を重ねて動かしている。
互換性のないライブラリが衝突し、無駄なエラーログを垂れ流している。
最適化されていないループ処理が、膨大な魔力を食い潰している。
「レイン? どうしたの、難しい顔して」
「いや……ちょっと、酔ったかも」
眩暈がした。
この街は、まさに「レガシーシステム」の塊だ。
誰も仕様を理解していない古代の遺産の上で、人々は何食わぬ顔で生活している。いつ崩壊してもおかしくない砂上の楼閣。
それが、ログリス王国の実態だった。
そして今日。
ようやく僕の体は、年相応の強度まで成長した。
迎えに来てくれたリナと共に、こうして王都の門をくぐろうとしている。
「今日からは、ようやく『現場』での作業だ」
僕は凝り固まった首を鳴らした。
画面越しではなく、直接コード(世界)に触れられる。
その喜びと、ほんの少しの不安。
「……ん? なんだあれ」
ふと、視界の端に違和感を覚えた。
王都の正門付近。
入国審査待ちの馬車の列ができているのだが、その上空に奇妙な「歪み」が見えたのだ。
熱による陽炎ではない。
もっと質の悪い、魔力のノイズだ。
【Alert: Unstable Mana Detected.】
【Location: Gate Area.】
【Distance: 150m.】
脳内のコンソールに警告が出る。
『低レイヤー・ビジョン』が、自動的に原因を特定した。
(……結界の干渉か)
王都を包む巨大な防御結界。
その結界の周波数と、門を通過しようとしている大型魔導馬車のエンジンの周波数が、偶然にも共鳴を起こしている。
設計ミスだ。
特定の条件下で、波長がぶつかって無限ループが発生するバグがある。
本来なら、結界を通過する際にはエンジンの出力を落とす手順が必要なはずだが、どうやらその馬車の御者はそれを知らないらしい。
あるいは、馬車自体が最新すぎて、古い結界の仕様に対応していないのか。
「あ、あれ……? なんか、馬車の様子がおかしくない?」
リナも気づいたようだ。
一台の豪華な馬車が、急にガタガタと震え出したのだ。
車体には金色の装飾が施され、側面には見覚えのある紋章――大貴族ヴァロス家の紋章が刻まれている。
御者が慌てて手綱を引くが、止まらない。
それどころか、車輪に組み込まれた魔導具が青白く発光し、暴走を始めた。
「ど、退けぇぇぇ! 制御不能だぁぁぁ!」
御者の悲鳴。
暴走した馬車が、列を外れて歩道へと突っ込んでいく。
そこには、入国待ちの観光客や商人がごった返している。
「きゃあぁぁっ!?」
「逃げろ! 突っ込んでくるぞ!」
悲鳴。怒号。
だが、人は急には動けない。
特に、最前列にいた親子の足が竦んでいるのが見えた。
母親が子供を庇うように抱きしめ、恐怖に目を見開いている。
その距離、あと十メートル。
このままでは確実に轢かれる。
(……やれやれ)
僕はため息をついた。
社会に出た初日から、バグ対応かよ。
この世界は本当に、どこに行っても不具合だらけだ。
「レイン!」
「分かってる」
リナが言うより早く、僕は窓を開けた。
馬車から飛び出す。
着地と同時に、脳内クロックを加速させる。
世界がスローモーションになる感覚。
状況分析。
原因は、馬車の魔導エンジンにおける「魔力供給ループ」の暴走。
結界との共鳴で、アクセルが踏みっぱなしの状態(無限ループ)になっている。
止めるには、物理的に破壊するか、供給を断つ(電源を抜く)か。
普通なら破壊を選ぶだろう。
強引に魔法で吹き飛ばせば、親子は助かるかもしれない。
だが、あそこには人がいる。爆発させれば巻き添えが出る。
それに、あの馬車はおそらく高級品だ。壊したら賠償請求が怖い。
なら、スマートにいくしかない。
(……コード解析、完了)
僕は走りながら、右手をかざした。
距離、五十メートル。
遠隔操作の範囲内だ。
「……対象オブジェクト、魔導馬車。エンジン・プロセスの強制終了(Kill)信号を送信」
詠唱はない。
ただ、明確な殺意だけを込める。
《Override: Stop》
指先から放たれたのは、目に見えないほど細い魔力の「針」だ。
それは暴走する馬車の防御障壁をすり抜け、エンジンの核となる魔石の「一点」を正確に貫いた。
物理的な破壊ではない。
魔石に刻まれた「駆動術式」の、ループ処理をしている部分だけを書き換えたのだ。
`while(true)` を `while(false)` に。
たった一行の修正。
キィィィィィン……プシュン。
嘘のように、馬車が静まり返った。
車輪の回転が止まり、慣性だけで数メートル滑って、親子の目の前でピタリと停止する。
鼻先数センチの距離。
馬の荒い息遣いだけが響く。
爆発も、衝撃もない。
ただ「スイッチが切れた」ような静寂。
「……へ?」
助かった親子が、腰を抜かしたままポカンとしている。
周囲の人々も、何が起きたのか理解できていない様子だ。
無理もない。
派手な爆発も光もなかったのだから、「勝手に止まった」ようにしか見えないだろう。
「……ふう。完了」
僕はフードを深く被り直し、人混みに紛れてその場を去ろうとした。
目立つのは良くない。
僕はあくまで「平穏に卒業する」ために戻ってきたのだ。
トラブルシューティングは、給料が発生する時だけにしたい。
だが。
「――待ちたまえ、そこの君」
凛とした、よく通る声が僕を呼び止めた。
振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
馬車から降りてきたのだろう。
燃えるような真紅の髪。
意志の強さを感じさせる深紅の瞳。
身に纏っているのは、一目で最高級品と分かる深紅のドレスローブだ。
彼女の周りだけ、空気がピリリと張り詰めている。
圧倒的な「強者」のオーラ。
そして、その体から溢れ出る魔力の量は、リナに匹敵するか、それ以上だった。
(……うわ、面倒くさそうなのが来た)
僕のセンサーが危険信号を鳴らす。
彼女は、僕の顔をじっと見つめ、そして不敵に微笑んだ。
「今の、君がやったのかしら?」
「……何のことですか?」
「とぼけても無駄よ。私には見えたもの。君が、あの暴走する魔力回路を一瞬で『書き換える』のを」
彼女は一歩、僕に近づく。
「あの馬車は、我が公爵家の最新モデルよ。何重もの防御が掛かっていたはず。それを、外部から、しかも一瞬で無力化するなんて……」
彼女の目が、獲物を見つけた肉食獣のように細められる。
「君、何者? ……いや、答えなくていいわ。どうせすぐに分かることだから」
彼女は胸元のエンブレムを指差した。
そこには、僕たちがこれから向かう場所と同じ紋章が刻まれていた。
王立魔法学園の校章だ。
「私はエララ。エララ・フォン・ヴァロス。……君の名前は?」
逃げられないと悟った僕は、小さくため息をついて答えた。
「……レイン。ただのレインです」
「レイン、ね。覚えておくわ。……面白い『例外』を見つけた気分よ」
彼女はそう言い残し、優雅に踵を返した。
その背中を見送りながら、僕は頭を抱えた。
(……初日から、一番関わりたくないタイプ(貴族様)に目をつけられた)
戻ってきたリナが、心配そうに僕の顔を覗き込む。
「レイン? どうしたの? 知り合い?」
「いや……。ただの『厄介事』だよ。……行こう、リナ。先が思いやられる」
僕は重い足取りで、王都の門をくぐった。
目の前に広がるのは、古びた街並みと、継ぎ接ぎだらけの魔法技術で維持された巨大都市、ログリス。
僕が10年間、モニター越しにしか知らなかった世界。
レガシー・コードの塊。
そして、これから始まる学園生活と言う名の、新たなデスマ・プロジェクトの現場だった。
「Hello, Legacy World. ……お手柔らかに頼むよ、ほんと」
僕の呟きは、雑踏のノイズに消えていった。
【今節の専門用語解説】
・レガシー(Legacy)
「遺産」の意だが、IT業界では「古すぎて誰も仕様がわからなくなったシステム」を指すことが多い。技術的負債の塊。ログリスの街並みや魔導技術は、今のレインにとってまさにこれ。
・オンサイト(On-site)
「現場」のこと。リモート(遠隔)の対義語。トラブルが起きた際、現地に行って直接対応することを指す。レインは10年間のリモート生活を終え、ようやくオンサイトでの活動を開始した。
・無限ループ(Infinite Loop)
プログラムが終了条件を満たせず、永遠に同じ処理を繰り返してしまうバグ。馬車の暴走はこれに近い状態で、魔力供給が止まらなくなっていた。レインは強制終了(Kill)コマンドでこれを止めた。




