第12話:失敗したデプロイ(Deployment Failed)
ガタゴト、という規則的な振動がする。
背中には柔らかいクッションの感触。
そして、鼻をくすぐる甘いお香の匂い。
(……ここは、どこだ?)
重い瞼を開ける。
意識のロード時間が長い。
OSの起動直後のような、気だるい感覚が全身を支配している。
「……あ、起きた!」
聞き覚えのある声。
視線を動かすと、リナが僕の顔を覗き込んでいた。
その目は真っ赤で、泣き腫らした跡がある。
隣には、例のバルドもいた。
「おお、レイン様! 気がつかれましたか!」
「……えっと、僕……?」
「三日間、眠り続けておられたのですぞ! いやあ、ご無事で何よりです!」
三日。
丸三日もシャットダウンしていたのか。
自分の体を確認する。
痛みはない。
だが、魔力回路がスカスカだ。
バッテリー残量 `5%` 以下。典型的なガス欠状態。
「……村は? みんなは?」
「無事ですよ。怪我人は出ましたが、死者はゼロです。あなたが守ったのです」
バルドが興奮気味に語る。
あの後、騎士団が残った魔物を掃討し、村は救われたらしい。
聖泉の魔力も落ち着き、今は正常な値を保っているという。
「……そっか。よかった」
僕は安堵した。
最低限の仕事はこなしたらしい。
村も、家族も、リナも守れた。
上出来だ。
窓の外を見る。
流れる景色は、見慣れぬ草原だった。
村はもう見えない。
遠くに山々が霞んで見えるだけだ。
「……お別れ、言えなかったな」
父さんと母さんに、ちゃんと「行ってきます」と言いたかった。
気絶したまま運び出されるなんて、親不孝にも程がある。
「言えたよ」
リナがそっと僕の手を握った。
「レインが寝てる間、村のみんなが見送ってくれたの。おじさんもおばさんも、泣きながら手を振ってたよ。『自慢の息子だ』って」
「……そっか」
目頭が熱くなる。
自慢の息子。
その言葉だけで、命を削った甲斐があったというものだ。
「それにね、レイン。みんな感謝してたよ。『あの子はやっぱり特別だ』って」
「……特別、か」
僕は苦笑した。
特別になりたくてなったわけじゃない。
ただ、生き残るために必死にデバッグを繰り返しただけだ。
その結果が「聖者」なんて大層な称号だ。
皮肉な運命もあったものだ。
「レイン様。王都に着いたら、まずは大聖堂へご案内します。そこで正式な洗礼を受け、その後は王立魔法学園への入学手続きを……」
「学園? 僕、まだ五歳だよ?」
「特例措置(飛び級)です! あなたのような天才を、一般枠で遊ばせておくわけにはいきません!」
バルドが鼻息荒く宣言する。
まあ、願ったり叶ったりだ。
早く高度な魔法教育を受けられるなら、それに越したことはない。
それに、学園には図書館がある。実験室がある。
僕の渇いた知識欲を満たすためのリソースが山ほどあるはずだ。
「……楽しみだね、リナ」
「うん! 私も頑張って勉強して、レインの助手になるから!」
「助手? パートナーじゃなくて?」
「えへへ、まずは助手からね!」
リナが笑う。
その笑顔を見て、僕もつられて笑った。
新しい世界。新しい環境。
これから待ち受けるのは、田舎の村とは比べ物にならないほど複雑で、バグだらけの「王都」という巨大システムだ。
貴族の派閥争い。
古代魔法の謎。
そして、僕を狙うであろう新たな「敵」。
(……望むところだ)
僕は窓の外、遥か彼方に広がる空を見上げた。
青く、どこまでも広がる空。
それは、かつて僕がオフィスの窓から見上げていた、灰色に濁った空とは違う。
可能性に満ちた、未定義の領域(Unexplored Area)。
「よし。行こう」
僕は小さく呟いた。
これは終わりじゃない。始まりだ。
レイン・リファクトの、二度目の人生の、本当のスタート地点だ。
「Hello, Magic World.」
風に乗って、僕の声が世界へと溶けていった。
さあ、デバッグの旅を始めようか。
この理不尽で、欠陥だらけで、でも最高に面白いこの世界を。
馬車は速度を上げ、王都へと続く街道をひた走る。
その先には、まだ見ぬバグと、新たな出会いが待っているはずだ。
***
数日後。
王都ログリスの城壁が、視界いっぱいに広がった。
「おおお……! これが王都ですぞ、レイン様!」
バルドが感極まったように叫ぶ。
巨大な石造りの門。空を行き交う飛空船。街全体を覆う防御結界の膨大なコードが、僕の『低レイヤー・ビジョン』に流れ込んでくる。
(……すごい情報量だ。村とは桁が違う)
頭がじんと痺れた。
だが、それは興奮のせいだと思っていた。
学園の正門をくぐる。
入学手続きの会場では、在校生たちが模擬戦を行っていた。
魔法が飛び交い、歓声が響く。
その一つ一つの術式構造が、僕の目には丸見えだった。
(あの火球、ループ処理が冗長だ。半分のコードで同じ出力が出せる……)
無意識に、脳が解析を始めていた。
止められなかった。
王都に充満する濃密な魔力が、僕のスキルを勝手に起動し続ける。
視界が情報で埋め尽くされていく。
「さあ、まずは適性検査を――」
バルドの言葉が、途切れた。
「――ガハッ!」
口から、熱い液体が溢れた。
膝が折れる。石畳が近づいてくる。
(あ……やばい。CPU温度が……)
王都の魔力濃度は、村の数十倍。
そこに僕の『低レイヤー・ビジョン』が常時稼働していれば、どうなるか。
ただ立っているだけで、脳が焼け付くほどの処理負荷がかかっていた。
村では問題にならなかったスペック不足が、ここでは致命傷になる。
「レイン! レイン!!」
リナの悲鳴が、遠くのノイズのように聞こえる。
ああ、また泣かせてしまった。
***
診断結果は、「魔力過多による身体崩壊の危機」。
ドクターストップがかかり、学園への入学は凍結された。
「王都の魔力濃度では、この子の体が持ちません。遠方の聖地で、時間をかけて肉体を強化する必要があります」
白衣の治療師が、淡々と告げた。
入学初日で、強制退場。
学園生活は、始まる前に終わった。
「……ごめん、リナ。先に行ってて」
聖地へ向かう馬車の中で、僕はリナに言った。
彼女は目を真っ赤にして、首を横に振った。
「……絶対、戻ってきてね。約束だよ」
「ああ。必ず戻る。バグを直して、ちゃんと動く体にして」
馬車が動き出す。
窓の向こうで、リナが小さくなっていく。
手を振る彼女の姿が、涙で滲んで見えた。
僕の「Hello, Magic World.」は、開始五分で強制終了した。
リブートには、少し時間がかかりそうだ。
【System Notice: Hardware upgrade required. Estimated downtime: unknown.】
【今節の専門用語解説】
・デプロイ(Deploy)
プログラムやシステムを「本番環境」に配置すること。開発やテストが完了したソフトウェアを、実際にユーザーが使える状態にする作業。レインにとっての「王都行き」は、テスト環境(村)から本番環境(王都)への移行だったが、盛大にクラッシュした。
・オーバーヒート(Overheat)
ハードウェア(体)が処理能力の限界を超え、熱暴走を起こすこと。レインの場合、王都の膨大な魔力情報を脳(CPU)が処理しきれず、身体が悲鳴を上げた。
・ハードウェア・アップグレード(Hardware Upgrade)
ソフトウェア(魔法の能力)は十分なのに、それを動かすハードウェア(肉体)の性能が足りない場合に行う改良。レインのサナトリウム行きは、肉体を王都の魔力濃度に耐えられるレベルまで鍛え直す「長期メンテナンス」だった。




