モノローグ:Hello, Magic World.
深夜三時のオフィス。
聞こえるのは、サーバーラックの唸るような空冷ファンの音と、自分の指がキーボードを叩く乾いた音だけだ。
「……くそ、また例外(Exception)かよ。この依存関係、誰が書いたんだ……」
佐藤の意識は、カフェインとブルーライトの過剰摂取で泥のように濁っていた。
目の前のトリプルディスプレイに映し出されているのは、数千行に及ぶスパゲッティ・コードの残骸だ。
ドキュメントは五年前で更新が止まっている。
当時の担当者は退職済み。
仕様書? そんなものは最初から存在しない。
「『とりあえず動けばいいから』じゃないんだよ……。動いてるけど、いつ爆発するか分からない爆弾を抱えてるだけだろうが……」
独り言が、誰もいないフロアに虚しく響く。
デスマーチは三ヶ月続いていた。
家に帰ったのはいつだっけ。風呂に入ったのは。最後にまともな飯を食ったのは。
(……きれいなコードが、書きたいなあ)
ふと、そんな思いが脳裏をよぎる。
無駄がなく、美しく、堅牢で、読むだけで処理の流れが音楽のように聞こえる、完璧なロジック。
そんな「理想」を追い求めてエンジニアになったはずだった。
だが現実は、泥舟の穴をガムテープで塞ぎ続けるような、賽の河原の石積みだ。
「……あ、やべ」
胸の奥で、何かがプツリと切れる音がした。
激しい動悸。視界のブラックアウト。
指先から力が抜け、キーボードの上に突っ伏す。
(ああ、これ、ヤバいやつだ。……ログ出力、間に合うかな……)
エンジニアとしての悲しい習性か。
薄れゆく意識の中で、彼は最期まで「システムのエラー原因」を特定しようとしていた。
(次は……もっとマシな環境にアサインされたい……)
【System: Critical Error Detected.】
【Process: Life has been terminated.】
【Rebooting... Start in Safe Mode? [Y/N]】
――Y。
迷わず、イエスを選んだ。
その瞬間、彼の意識は暗転し、そして。
再起動した。
【今節の専門用語解説】
・スパゲッティ・コード
処理の流れが複雑に絡まり合って、解読不能になったプログラムのこと。修正しようとすると別の場所が壊れるため、エンジニアにとっては悪夢そのもの。
・例外(Exception)
プログラムの実行中に発生する「予期せぬエラー」のこと。これが発生すると、最悪の場合システムが停止する。
・再起動
システムを一度終了させてから立ち上げ直すこと。不具合が起きた時の最終手段でもある。




